スラヴォイ・ジジェク氏の制作による映画のガイドなのだが、かなり偏っている印象が否めない。
ほとんど私は選択したくない映画が大半を占めていて、その解説がまさに倒錯的に過ぎて理解出来なかった。
視覚文化論の延長上でこの映画を見る意味があまり飲み込めていないまま今日のパート1を見終えた。
明日と明後日でパート3まで観ることになっているけれど、最後まで未消化で終わりそうな予感がする。
このようなガイドはあんまり有益ではないような気分がする。
視覚文化論その物の姿勢はこれから文化を語る上で必要な対峙の仕方だと思うが、この映画にだけ関して言えば
ジジェク氏のように何もかもフロイトの理論でもっていくのも何やら無理がありそうな気がする。
というか私自身の知性も理解も追いついていないのだとは思うが、生理的に観るに耐えられないということが先行している。
あらゆる分野の学問を横断的に網羅するビジュアルカルチャースタディは多面的理解を加える事が可能なのだろうが、
最終的にわけのわからないものにならないようにするにはどうしたらよいのか、、明日以降の授業で模索したい。
とはいえ、知らない世界を垣間見て行くのはわくわくする。
ほとんど私は選択したくない映画が大半を占めていて、その解説がまさに倒錯的に過ぎて理解出来なかった。
視覚文化論の延長上でこの映画を見る意味があまり飲み込めていないまま今日のパート1を見終えた。
明日と明後日でパート3まで観ることになっているけれど、最後まで未消化で終わりそうな予感がする。
このようなガイドはあんまり有益ではないような気分がする。
視覚文化論その物の姿勢はこれから文化を語る上で必要な対峙の仕方だと思うが、この映画にだけ関して言えば
ジジェク氏のように何もかもフロイトの理論でもっていくのも何やら無理がありそうな気がする。
というか私自身の知性も理解も追いついていないのだとは思うが、生理的に観るに耐えられないということが先行している。
あらゆる分野の学問を横断的に網羅するビジュアルカルチャースタディは多面的理解を加える事が可能なのだろうが、
最終的にわけのわからないものにならないようにするにはどうしたらよいのか、、明日以降の授業で模索したい。
とはいえ、知らない世界を垣間見て行くのはわくわくする。