侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

パスポートで博物館へ!

2009-08-12 21:58:56 | Weblog
 昨日の早朝の地震は恐かった!集中豪雨はある意味、人間の暮らしがもたらしている気がしないでもないが地震は温暖化とは
関係なさそうだし、人為で起こるものではないだけに尋常じゃない程、私は恐怖を感じる。
 そんな不穏な天候の後ではあったがすっかりピーカンに晴れ上がり、まさに夏空!
 上野に行った。
 セミが盛大に行く夏を惜しむかのように鳴いていた。
 西洋美術館でデュラーのメランコリアをみてから東博に。

 本館の彫刻室を見てから、二階で又「菩薩立像」に向き合ってきた。
 このフロアーは日本美術の流れを概観するようになっていて、最初のコーナーには土器・土偶などと
 共に埴輪も展示してある。
 かねてから6世紀の古墳時代の埴輪制作者が造仏の担い手に移行した可能性が
 有るような気がして仕方なかった。その何とも言えぬ、茫洋とした表情が菩薩立像と似通っているからであるが、
 当時を生きる人々の美意識というか、崇敬の念、の現れの源流を見る思いがしたからだ。

 芸大の生徒さんによる、「親指のマリア」の列品解説を聞いてから、資料館に行ってみる。

 菩薩立像に関する資料閲覧をしたいむねをお伝えしたら、いくつか用意してくださった。
 至文堂の日本の美術と久野健氏の「飛鳥、白鳳、天平彫刻」等をみたが、
 閉館時間になってしまったので明日又くることにした。
 それから、以前ミュジアムショップで働いていた時に存じ上げていた彫刻の先生に
 お電話で4点の疑問についてお尋ねしてみた。明日から夏休みになってしまう由だったので
 お伺いできて良かった。

①菩薩像の背面に書かれている文字はなんと書いてあり、何時の時代に書かれたものか
②同時代の木彫作品にはどのようなものがあるか
③この像を制作した担い手はどのような人物か、止利仏師との関係はあるか、埴輪制作者達が移行したとは考えられるか
④この時代の一般庶民がこの仏像を礼拝したりは出来たのか、民衆との接点はどのような状況だったのか

 お電話でのお尋ねだったにも関わらず丁重に答えて頂いた。
この4点を自分自身の考え方や他の方々の資料等も参考にして深めてみたいと思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。