ペットボトル飲料の自動販売機は日本中どこに行ってもほぼ設置されている。
陸の海ごみとしての膨大なごみがにほんの海岸に押し寄せている、海の生きものたちはそのごみでいのちを縮め、食物連鎖で
その肴を食べるのは私たち人間、
私たちは便利さを享受することでかけがえのない循環する自然をうしない、もうマッタ無しの取り返しのつかないところに立たされている現実に
むきあわされている。
目を背ける事は出来ない。
十代のトゥンベリさんのスピーチはそのマッタ無しの現実を如実に突きつける迫力に満ちていた。
使い捨てを止め、マイボトル、マイハシ、マイ皿の活用を始めたのは遥か20年前、飲料ボトルメーカーに、勝手に薄着大賞を進呈に会社訪問して
いぶかしがられたりもした、使用済みの乾電池の回収ボックスを各拠点に設置運動もした、持続可能な社会の実現の為の提言
燃えるごみの大半の生ごみの堆肥化推進活動、区民まつりでのリユース皿の活用、催事のごみステーションでの分別推進、
子どもたちと共に自然循環をする世界の美しさを感じるワークショップや人形劇もリヤカーで出前もした、風呂敷伝道師として大風呂敷を広げてきた。
だがしかし、2019年10月台風19号は、様々な爪痕を残し、私たちが享受した便利さの果てのツケを目の前に突きつけてきた。
なんの役にもたっていなかったのか、と虚しく寒々とした思いがこみあげてくる、もうかつてのような活動や運動をするだけの体力も知力も哀しいかな
絞り出すこともできない、かといって黙って見過ごしにはできない、なんのあたいもない遠吠えだとしても 吠える 吠えたい 吠えねば成らぬ
気がしている。
深刻なマイクロプラスチックの功罪も地球温暖化も気候変動の原因も辿って行けば、私たち人間の在り方をどう捉えるかに尽きるように思う。
この地球を構成している様々な要素のヒトツでしかない人間という自覚、天地自然の巡りの中で活かされている一存在が天地自然の巡りや摂理を無視し
破壊し、循環のサイクルをあちらこちらで断ち切った事で狂いが生じてきているのだという自覚、食べる事もあたたまることもできないお金、経済成長という
亡霊にそそのかされてどんどん地球の摂理を無視して破壊し続けてきた、一度破壊した自然はもはやもどることはない、いのちを抵当にしてお金儲けに
狂奔している無様に気づき、何を優先すべきなのか、今度こそ正気で対峙すべき時だ、とおもう。8年前2011年の三月十一日、私たちはいのち最優先の國に
舵きるチャンスを多くの人の命を犠牲にしながら与えられた、のに、その好機を無視してしまった。
いのちより経済を優先し、又原発を選択した、先頃の関電の巨額な原発マネーのバラマキもいのちよりお金を選んでいる事を物語っている。
真の安寧はお金では得られないという事をハッキリと理解し、いのち最優先の國に今一度 舵をきる勇気と智慧と愛を育む事を
朴訥にはじめようではありませんか、と言いたい。
虚しくこだまする遠吠えではあっても、諦めずに、ほえていこうとおもう、安寧の青空を仰ぐ日が必ず来ると信じて、、