侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

師走到来。

2012-12-01 00:23:14 | Weblog
    かつて、 遅筆堂井上先生の作品 を紀伊國屋サザンシアターで観ていた頃の昂揚感を期待して
 出かけたのだったけれど、、

  しのぶさん演じる日の浦姫のたたずまいに杉村先生の面影が憑依しているような気がフットしてしまい、、

  そこからイッキに40数年前にフィードバック!

  芝居少女だった自身が蘇り、 胸がつまってしまった、、らしい。

  役者になることを目指して上京し、演劇科に入学するも一年目にして
  70年代の嵐が吹き荒れ、学校はバリケード封鎖され、先輩の誘いに乗じて劇団を旗揚げ
  何も知らないうちに成り行きで女優になってしまった。

  状況劇場、早稲田小劇場、自由劇場、はじめ、小劇場の乱立する時代だった。
  暗黒舞踏の土方巽さんに象徴されるような、時代の雰囲気は
  ひたひたと暗く、どこか血の臭いもさせているような気配もあり、
  何処までも落ちていきそうで蠱惑的ではあったけれど、、こわくもあった。

  東北の片田舎の少女がめざしたのは文学座の杉村春子さんだったのだから、其の落差は大きかったのだ、、

 そんなこんなが瞬時に胸を去来し、ガタンと音を立てて落ち込んでしまったらしい、、

 馬鹿げたことなのだが、、そうだった。

  芝居は最高に面白かった。70年代の蜷川さんは新宿アートシアターで映画上映終演後に
 血気盛んな芝居少年少女を舞台に乗せて、彼らのむやみやたらなエネルギーを発散させていた。

 今や超スペクタクルなお芝居を演出する大御所になってしまわれた。


  グレゴリオ聖歌の響きが妙に心を打ったし、井上先生の言葉遊びの駄洒落も嫌みなく笑いを多いに誘っていたし、
 ある意味非のうちどころのないお芝居だったのだからカタルシスを味わってよいはずだったのに、

 うなだれてすごすごと惨めな気分で華やかな渋谷の町を通り過ぎて帰って行ったのだった、、、


  そんな気分にふとおそわれることの多い昨今だ。

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