山窩は、日本列島の脊梁(せきりょう)(せきりょう)山脈や高地を移動し『山』を生活の拠点としていた。
北は青森の下北半島から南は鹿児島の大隈半島まで全国的に分布するとも、東北地方以北には、
いないともいわれる。住居は山では洞窟に住み、移動のときにはユサバリとよばれるテントを張って
家族単位に生活した。また、ユサバリで暮らすことをセブリと『瀬振り』(セブリ)といった。
これこそがサンカの特徴である。セブリこそがサンカなのである。昼間は箕(み)作りをしたり、
笛を作ったりする。時には蝮(まむし)も捕る。サンカは働き者で、身奇麗だという。煮炊きは、
テンジン=天人という自在鉤(かぎ)で吊(つる)したナベで行う。風呂(ふろ)は焼き湯と言って、
穴を掘った内側にまず天幕を張って水がもれないようにし、水を入れた後に、たき火で焼いた石を入れる。
こうして湯を沸かし、入浴する。冬は南の暖かいところ、夏は北の涼しいところに居を構えたという。
男は天幕や道具を、女は赤ん坊やナベカマを背負い、山のサンカ道を抜けて次のセブリに行く。
彼らは米を主食とせず、さらに、非農耕・非定住・非服属の等の特徴を持つことから
「日本のジプシー」とも呼ばれる。サンカは、このような生活をサンカ言葉でハタムラという掟(おきて)で
守ってきた。サンカ言葉では、平地に降りて暮らすことをトケコミ、イツキという。戦後は、
トケコミしたイツキのサンカが、サンカの主流となったという。
つづく