仙岳は 今までは藩庫を支える穀倉の従順な城付の君海が一変 不公平を是正しようとする積年の忿怒に同情した
一方 下仁田戦争から朝幕間にあって右往左往し 莫大な支出に苦しむ高崎藩の懐事情も、理解出来た。
天狗党騒ぎから藩政に干与して下仁田戦争では死傷者の収容と供養に献身して
藩主の信任を得ていた仙岳は 高崎藩存亡にも係る五万石騒動の危機に両者の調停に乗り出す、五万石騒動の全貌を明らかにしてくれるのは細野格城が明治四十四年(1911)に書き遺した来た 「五万石騒動」である。
細野は、当時十六歳動員を駆けられ加わった その体験を土台に調査を積み重ねて
四十二年後にまとめたもので 騒動の内実の真相を伝えてくれる。
細野は調停 斡旋に奔走した田村仙岳に注目して 次のように人物を紹介している
一種性格の違った淡白な豪雄肌の人が在った 其人格に就ては中々多種多様で
色々な諸議も、多かった変り者で他人の企図し難い美徳をも持って居ると云う正体の知れぬ僧で
随分面白き経歴を持って居た。(後略)
続く