アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

太陽光発電はバブルの終わりかもしれない 最終回

2015年06月11日 | 政治問題

前回の買取価格を効率的に決める方法として、太陽光導入見通しを達成するために年間250万kWの入札を行うことも考えられる。現在の太陽光導入量は住宅・非住宅あわせて2131万kW(2015年1月末時点であり、現在の導入ペースから3月末の導入量は約2500万kWと思われる。今回見通し小委が示した2030年6400万kWまでは、残り3900万kWだから、2030年度まで16年間かけて年間250万kW導入すればよいことを意味する。

コスト等検証委員会は、メガソーラーのシステム価格が、現在の29.4万円/kWから2030年度には18.5~22.2万円へ約3割低下すると推計している。もちろん、これは導入による学習効果等をもとに試算されているものの、我が国の太陽光買取価格は、欧州FIT先行国のそれと比較した場合、依然として2~3倍以上も割高であり、導入量をコントロールすることで、費用負担とのバランスをとるといった制度設計が必要である。

上限設定は国際標準を、ドイツですら上限を設定しなかった非を認めている

加えて、上限設定は国際常識である。FITの賦課金抑制には、太陽光が想定していた年間導入目標を大幅に超過する設置が進む「太陽光バブル」への対策が重要であり、欧州FIT先行国(ドイツ・イタリア・スペイン・フランス・英国)の全てで、(1)買取価格の大幅な切り下げ、(2)買取価格改定時期の高頻度化、(3)導入上限が実施されている。

特に重要なのは導入上限の設定である。ドイツでFITの運用を担っている連邦環境省(BMU)ですら、導入上限が実施されていれば、賦課金が高騰する等の「間違い(mistake)」が避けられていたと、導入上限を設定しなかったことを“mistake”として公式な場で言及している。

実は、我が国のFIT法においても、「効率的な供給を行う場合に通常要する費用」に「適正な利潤」を加えて買取価格を算出するとしながらも、「我が国における再生可能エネルギー電気の供給の量の状況(中略)その他の事情を勘案して定める(同法3条2項)」という規定が存在している。買取価格を算定する調達価格等算定委員会はこれまで、導入量や目標に基づく買取価格は定められないという認識であったが、太陽光に偏重した導入が進む現状や、FIT先行国の常識を考えても、この規定に基づき、導入上限の設定を検討すべきである。

既に太陽光の設備認定量は莫大であるため、買取総額を抑制する方策は限られる。それでも、莫大な既認定分についての見直し抜きにして、ミックス案が掲げる電力コストや買取総額の目標は到底達成することはできない。政府が掲げる「再エネの最大限導入」は、いくら高くても何でも買い取ることではない。効率性の観点にたてば、再エネ買取総額を出来るだけ抑制するために、FITによる太陽光買取の早急な停止と、入札等の競争原理を用いた制度改正が必要である。

 

 

参考文献

[1]総合資源エネルギー調査会 省エネルギー・新エネルギー分科会新エネルギー小委員会(第9回、2015年2月3日配付資料)

[2]朝野賢司「太陽光発電等の大量導入により、今後の賦課金負担はいくらになるのか?」『電気新聞』2015/03/09掲載

http://criepi.denken.or.jp/jp/serc/denki/pdf/20150309.pdf

[3]見通し小委における「電力コスト」は、火力・原子力の燃料費とFIT買取総額であり、通常、電力供給に必要なコスト(設備費等)は含まれていない。

[4]地球環境産業技術研究機構(2014), 「電源別発電コストの最新推計と電源代替の費用便益分析」

[5]朝野賢司(2014)「我が国の固定価格買取制度に関する費用負担見通しとその抑制策の検討」、電力中央研究所報告 Y13031.

[6]下記文献では、FITによって再エネの普及やコストダウン等の効果があったとしており、FIT自体の正当性を主張する点は従来と変わらない。ただし、技術的に未成熟だったPVをFIT対象としたことで賦課金が高騰したことを認め、2014年の法改正で導入された上限があればmistakeは避けられたことを公式な場で言及している点では珍しいと思われる。

Poschmann, Andre(2013), German Renewable Energy Policy What can be learned from the German case? driver mistakes challenges, The International Renewable Energy Agency (IRENA) Workshop on Renewable Energy Policies


太陽光発電はバブルの終わりかもしれない その3

2015年06月10日 | 政治問題

前回に続き、 その結果、毎年度末に駆け込み認定が発生し、設備認定量の2割程度しか運転開始には、

至っていないことや、空枠取り等の問題が生じていた(「バブルが始まった太陽光発電」、

「太陽光のFIT認定は一時的に停止を」)。確かに、今年4月からは接続契約時点に改正されたが、

それでも3月に大量の駆け込み認定が生じてしまっている。つまり、結果的に3年連続となる莫大な

駆け込みが需要が生じていることからも、国民負担ではなく普及を優先する余り、抜本的な対策を

打てなかったと言える。より少ない費用で多くの再エネを導入できる

むしろ、今回の電力コスト目標を達成するために重要なことは、既認定分で運転開始に至っていない。

設備に対して、買取価格を大幅に切り下げる、あるいは上限を設定し入札によって価格を決定する

事である。もちろん、一度認定した設備が運転開始していないことを理由に買取価格を切り下げるという

制度運用は大きな困難が予想される。しかし、運転開始が僅か2割という現状を踏まえれば、今回の

ミックス案は買取総額という概念によって、負担と普及のバランスを提示しているのだから、

例えば一定期間内に運転開始に至らない設備への認定取消等、改めて既認定分に対する負担の

削減方策を真剣に検討すべきである。こうした措置が必要なのは、現行買取価格が「適正な利潤」を

大きく超えているからである。

FITの買取価格は、「効率的な供給を行う場合に通常要する費用」に「適正な利潤」を加えて

算出される(再エネ特措法 3条2項)。しかし、地球環境産業技術研究機構(RITE)による分析では、

総費用に「適正な利潤」を加えて算定するとされてきたFIT買取価格の実際は、明らかに「適正な利

潤」を大きく超えるものとなっているとされる。過剰な利潤を補償することが再エネ特措法の意図では

なく、莫大な既認定かつ未運開の設備について買取価格を見直すべきである。その際は、入札によって

価格を決めることでコストダウンを促す方が良い。このように書くと、「政府の再エネ最大限導入に

逆行する」という反論があるかもしれない。しかし、実際には、全く逆で、莫大な太陽光既認定分は、

再エネの中でも極めて割高であり、太陽光の抑制によって、他の再エネへ国民負担を効率的に

再配分することができる。そもそも、エネ庁は2012年度の非住宅用太陽光認定のうち9.7%にあたる

182万kWの認定取消を既に公表しているが、前述した「認定の6割が運転開始」とする具体的な根拠は

何ら示されていない。認定取消が9.7%だったことを踏まえて、仮に運転開始する設備を「認定の9割」と

すると、太陽光の年間買取総額は3.4兆円である。これは前述の太陽光買取総額の上限2.3兆円から

約1兆円上回る運転開始率を6割から9割にすると太陽光の発電電力量は増加するので、LNG火力発電の

電力コスト分が削減されることを考慮しても、「電力コスト目標9.1~9.5兆円」からさらに約9000億円の

国民負担が必要になる。

反対に、既認定分でまだ運転開始していない設備に対する買取価格を25円/kWhに切り下げれば、

太陽光買取総額は1.9兆円となり、上限2.3兆円から約4500億円を捻出することが可能になる。

これを再エネの中で買取価格が相対的に安価な中小水力や地熱発電の買取に回せば、再エネ比率

22~24%から、1.6~1.8%を上積みすることができる。もちろん、現行の買取価格で水力・地熱が

追加的に導入できるかどうか不明なので、この2%弱の数字自体に意味はない。

しかし、重要なことは、我が国が再エネに支払える額には、必ず上限があり、安い再エネから導入する

費用対効果を考えるべきだ、ということである。換言すれば、太陽光の莫大な既認定分の取り扱いに

よって、効率的な再エネ最大限導入が可能か否かが決まるとさえ言える。

                                         つづく


太陽光発電はバブルの終わりかもしれない その2

2015年06月09日 | 政治問題

そこで資源エネルギー庁は見通し小委に対して、火力・原子力の燃料費と、

FIT買取総額を合わせた、いわゆる「電力コスト」を、2013年9.7兆円から

5%程度削減し、9.1~9.5兆円にするというロジックを提出した。

これは太陽光バブルを収束させるために決定的な役割を果たす。

FIT等による再エネの年間買取総額は2030年段階で3.7~4兆円とし、

その内訳は、まず地熱・水力・バイオマスの買取総額(約1.0~1.3兆円)を

決め、残り2.7兆円の中で太陽光(2.3兆円)、

風力(0.42兆円)としている。したがって、特に太陽光バブルによって、

膨らんだ太陽光の買取総額について、

我が国が再エネに支払える総額の中から上限を示したことは評価できる。

3月の駆け込み1600万kWにより、累計1億kWに迫る太陽光認定しかし、

買取総額は今年度既に1.8兆円を超えており、2.7兆円に抑える制度的な

担保は何もない。見通し小委で示された資料をもとに、私が推計すると、.

太陽光の設備認定は、今年3月の1カ月間だけで非住宅用太陽光は約1600万kW

もの駆け込み認定が行われ、住宅用と合わせて累計約1億kWにも達している。

この数字は、見通し小委において「認定量のうち、運転開始まで至るのは、

住宅用は認定量の9割、非住宅用は報告徴収・聴聞の結果を踏まえ6割が、

導入」としていることから、認定量の2月末実績値から逆算し求められる。

(後述するように「認定6割が、運転開始」の根拠は示されていない)。

つまり、FITが導入された2012年7月以降、768万kW(13年3月)、2653万kW(14年3月)、

そして約1600万kW(15年3月)と、3年連続して年度末に駆け込み認定が生じたのである。

この駆け込みは、我が国では認定時点で買取価格を確定させていたため生じている。

買取価格の適用時期には、設備認定時点、電力会社との系統接続の契約時点、そして

設備の運転開始時点の3つの段階がある。

我が国ではこの中で一番早い設備認定時点で運用されていたが、ドイツ等の主要な

FIT導入国は運転開始時点としている。

                                                                                                                 続く


太陽光発電はバブルの終わりかもしれない。その1

2015年06月08日 | 政治問題

ソーラー発電の現実と数年後

2013年03月22日に、私は上記のタイトルで投稿いたしましたが、2年後の現状は

下記の状況です。          

経済産業省が提示しているエネルギーミックス案の中に、ある重要な政策転換のサインが盛り込まれている。それは2030年における再生可能エネルギー買取総額を3.7~4兆円とするというものだ。原子力発電の停止によって震災前に比べ約3.8兆円燃料費が上昇しているから、原発の再稼働によって浮く燃料費をほぼ全て再エネの買取に充てるということを意味する。

しかし、現状の固定価格買取制度(FIT)による買取総額は今年度1.8兆円を超えており、3.7~4兆円で落ち着く制度的な担保は何もない。私による推計では、太陽光発電の設備認定は、今年3月の1カ月間だけで約1600万kWもの駆け込みが行われ、累計約1億kWに達している。仮にこの9割が運転開始になった場合、再エネ買取総額は4.8兆円となり、目標から1兆円も跳ね上がる。

これを契機に再エネを少ない費用で多く入れるという効率性の観点に立ち返ることが重要である。莫大な太陽光の既認定分のうち8割が運転開始に至っていないから、これらの買取価格を切り下げてもよいし、年間導入量に上限を設け入札等の競争原理を導入してもよい。既に認定されてしまった莫大な太陽光は再エネの中で極めて割高であり、ここに投じる国民負担を他の再エネや、コスト低下が見込まれる将来の太陽光に振り向けるほうが、「再エネを最大限導入する」という政策目標にもかなう。現行のFITによる太陽光買取の早急な停止が必要だ。

4月28日の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会長期エネルギー需給見通し小委員会(以下、見通し小委)において、2030年時点で再エネ比率を22~24%とするエネルギーミックス(電力構成比)案が公表された。最大の論点の一つは、どのように太陽光発電の導入と費用負担のバランスをとるのか、より端的に言えば太陽光バブルをいかに収束させるのかであった。

これは2012年7月から実施されている固定価格買取制度(以下、FIT)において、欧州FIT先行国と比べて2~3倍以上も割高な買取価格のもとで、爆発的な導入が進み、費用負担の抑制が大きな課題になっているためだ。

そこで資源エネルギー庁は見通し小委に対して、火力・原子力の燃料費とFIT買取総額を合わせた、いわゆる電力コストを、2013年9.7兆円から5%程度削減し、9.1~9.5兆円にするというロジックを提出した。これは太陽光バブルを収束させるために決定的な役割を果たす。FIT等による再エネの年間買取総額は2030年段階で3.7~4兆円とし、その内訳は、まず地熱・水力・バイオマスの買取総額(約1.0~1.3兆円)を決め、残り2.7兆円の中で太陽光(2.3兆円)、風力(0.42兆円)としている。したがって、特に太陽光バブルによって膨らんだ太陽光の買取総額について、我が国が再エネに支払える総額の中から上限を示したことは評価できる。

そもそもFITとは、再生可能エネルギーによる電力供給を、20年間等の長期に「固定」した価格で、政府が電力会社に買い取りを義務づける制度である。FITに要する費用は賦課金として電気料金に上乗せされ、一般家庭を含めた電力需要家が負担する。現行の導入ペースが継続する場合、太陽光の2030年時点の累積導入設備容量は、2015年2月末時点の導入量である2131万kWの8倍にあたる1億4000万kWに達することが示されており、その買取総額を渡しが試算すると2030年度に6.1兆円に達する。これは今年度の買取総額1.8兆円(標準世帯年額5688円)の3倍以上の規模である。

                              続く

 

参考文献

[1]総合資源エネルギー調査会 省エネルギー・新エネルギー分科会新エネルギー小委員会(第9回、2015年2月3日配付資料)

[2]朝野賢司「太陽光発電等の大量導入により、今後の賦課金負担はいくらになるのか?」『電気新聞』2015/03/09掲載

http://criepi.denken.or.jp/jp/serc/denki/pdf/20150309.pdf

[3]見通し小委における「電力コスト」は、火力・原子力の燃料費とFIT買取総額であり、通常、電力供給に必要なコスト(設備費等)は含まれていない。

[4]地球環境産業技術研究機構(2014), 「電源別発電コストの最新推計と電源代替の費用便益分析」

[5]朝野賢司(2014)「我が国の固定価格買取制度に関する費用負担見通しとその抑制策の検討」、電力中央研究所報告 Y13031.

[6]下記文献では、FITによって再エネの普及やコストダウン等の効果があったとしており、FIT自体の正当性を主張する点は従来と変わらない。ただし、技術的に未成熟だったPVをFIT対象としたことで賦課金が高騰したことを認め、2014年の法改正で導入された上限があればmistakeは避けられたことを公式な場で言及している点では珍しいと思われる。

Poschmann, Andre(2013), German Renewable Energy Policy What can be learned from the German case? driver mistakes challenges, The International Renewable Energy Agency (IRENA) Workshop on Renewable Energy Policies

 


真説 国定忠治 平成弐拾七未年 其の参拾

2015年06月06日 | 近世の歴史の裏側

 三右衛門は、徳との後見の関係を清算してからも、何故に出店が認められなかったか、

その理由を種々詮索している。

 宿役人一同が徳を拒絶した理由については、日記には全く触れられていない。しかし、決定的と

なったのは、火札に間違いあるまい(火札とするのが最も宿内の人々が納得しやすい理由であった)。

 あの徳を名指しにした火札は、突発的、偶然に貼られたものではない。

仕組まれたもので、第一発見者の建具屋金といい、三右衛門に注進に及んだ三好屋、たまたま居合わせた

本陣の雅之丞、念を押しに来た豆腐屋なども怪しい。

徳と三右衛門は、二月十一日に貼られてから宿役人の決定の四月九日まで火札対策を講じていない。

助けなかったということもあろうが、ただ徳の弟の高崎清水寺別当田村仙岳だけは、火礼出る、

の報に危急を感じたのか、二月三十日に三右衛門を訪れている。

 遅まきながら三右衛門は、愛妾徳を奪うことになった火札の究明に乗り出す。後に離別状を渡し

た翌日、三右衛門は火礼の占いを試みる。

 

四月十二日

 

 昨夜晩く之火札ヲうらなヘミる処

  女家より三丁か三里ニ而未申ニ当り

  我等所より壱丁ヲ不過戌亥ニ当ル

  名前はとらよき此三字之もの仕業

 

右とく女二戌亥当り障り有之、但し十三日之仏を侠客とするものと、

無頼の極悪人であるとする説があって、

いまだ、 忠治をめぐる論争は絶えるところがない。

私は群馬県で、忠治の地元であるから、早くから忠治の資料には注意していた。

忠治は二十歳のころから数年の間、境町在百々(どうどう)村に居たと思われるが、

関係するところが甚だ多いのである。

ところが資料を集約すると、侠客とするよい面が次々になくなって、

次第に卑怯者、悪人忠治の姿が浮かび上ってくる。

国定村の近く、伊与久村の儒家深町北荘の手記によれば、

北荘には嘉永四年の「博徒忠治伝記」五冊の著述があるが、

これも国定忠治死後の記録である。北荘の筆録は多く散逸して、

この国定忠治伝は伝えられないが、もしこの五冊があるならば、

実際にその行状を見聞した地元の手記として、忠治の実状をかなり詳しく

知られたであろうが惜しい限りである。

しかし北荘には他に「国定忠治引」という文章が残されている。

忠治引というのは「忠治のこと」という意味で、その中に忠治が、渡瀬川上で酒銭をかすめたことや、

昼は山にかくれ、夜になると徒卆を引いて通街を侵し、処女は暴にあって婚義を失い、販婦は節を失って泣く、

という行状が記されている。

一人の百姓は、抜刀する数人の無頼の徒に、決してかなうものではなく、

昼間はかくれていて、さながら夜盗山賊の所業である。

斯様に国定一味は日夜非道暴戻を重ねたわけで、付近の百姓町人は震え上って怖れたのである。

忠治の行状を調べると、その大部分は悪業である。

娘を救ったという、いわゆる信州の山形屋藤蔵一件や、岩鼻の悪代官の、

松井軍兵衛を斬ったというのは、紛れもない作り話しである。

そして相手を倒すとき、ほとんど国定忠治自身は手を出していない。

売り物の度胸は一体どこに失ってしまったのであろう。

従ってその行動は悪業だらけで、悪人の国定忠治が成り立つわけで、

生まれたのは没年より算すると文化七年で、国定村長岡与五左衛門の次男である。

三人兄弟であったが、長兄は幼い時死に、つぎが忠治、その弟に友蔵というのがいて、

この友蔵の子孫が今にある。巷説には父与五左衛門は、村の名主で豪農等とするが、

それを示す資料は全くない。

与五左衛門は文政二年、忠治十歳のとき死んだとされるが、享年其の外伝えられるところはない。

清水次郎長はこの翌年に生まれている。

羽倉外記「赤城録」によれば、文政九年、忠治十七歳のとき賭場の争いで相手を殺害したという。

そのため村に居ることが出来ず、出奔して川越にいた大前田栄五郎のところに身を寄せた。

栄五郎は赤城下大前田村(現前橋市大前田町)の無宿で、やくざ者で召捕られて佐渡流しされたが、

厳重な見張りを破って島抜けして船で逃げていたのである。

大前田栄五郎の厄介になって居たが、一年ほどして栄五郎は、ほどほどで上州に帰れといい、

文政十年に百々(現群馬県伊勢崎市境百々)の紋次の子分なった、既に此処には、三ッ本の文蔵や、

境川安五郎などいう名うてのならず者たちがいた。

又、先にこの地は、島村一家伊三郎の地盤であったから博徒ではなく、

その筋では、ならず者集団だったわけである。

忠治の妻をお鶴といい、妾をお町といったが、さらに五目牛村の

お徳というのを妾にした、すでにかつての国定一家の勢いはなく、

上州にいては安心出来ない。そのため奥州へ逃げて隠れようとし、

嘉永二年十一月、縄張りと駒札を境村安五郎にゆずったが、

すぐに旅立つことが出来なかった。

 そして翌三年七月二十一日夜、お町の兄、庄八の家で

お町と臥したが、俄に中風(脳溢血)を起こし、目を見開き、

口からはよだれを出す、お町は驚いて「親分、親分」と呼んだが、

やっと半身を少し動かしただけであった。お町はすぐさま使いを走らし、忠治の弟の友蔵や、境村安五郎を呼んだ。

二人は色々相談の上、お徳の家なら人手も多く、看病が行き届くと言って、

翌日途中で発病したと言って、忠治をお徳の家へ送りつけた。

しかし友蔵らの偽りを知ったお徳は、すぐさま忠治の身柄を

お町の元に送り帰している。 

 その時、田部井村の名主宇右衛門は、忠治の仲間で悪銭を手に入れていたが、忠治が御用なるとこの身が危ない。

忠治を引取って、お上へ通報すれば、お情けが得られると考えて

忠治の身柄を引取り、蔵の中で匿い機会を狙った。   

                                                                                                                            つづく


信州への旅 其の3

2015年06月04日 | Weblog

旧制高等学校記念館に、お邪魔して学芸員の方に教えて頂きました。

その後、松商学園を訪れました。

そして、歴史光栄室を案内して戴きました。

 

次に、松本市美術館に行きました。

 


 

とても、素敵な美術館でした。

 

 










             


今回は皆さんに、お世話になりました。

                                              

それから、県ヶ丘高校同窓会会館でも、大変お世話になりました。

 

                                                                                終


上野国伊勢崎藩と、米沢藩の関係 其の七

2015年06月02日 | 近世の歴史の裏側

銘に曰く

 

  烈々藩公  烈々たる藩公

  丁時銀屯  時に丁り艱屯

  忠節不楡  忠節は渝らず

  以義全恩  義を以て恩を全うす

  無傷無意  無偏無黨

  勤王保民  勤王して保民す

  身席栄寵  身席は栄寵

  沢流子孫  沢は子孫に流る

  内向既備  内向は既に備わり

  智足先務  智足りて先ず務む

  感人何心  人は何心に感ず

  匪伊言論  これ言論に匪ず

  南山貞石  南山の貞石

  化焉豊碑  化して豊碑となる

  碑石有泐  碑石にろく有り

  高名難廢  高名はすたれ難し

  乗彝同好  つねに同行乗ず

  我来銘之  我来たり之に銘す

  黄絹幼婦  黄絹の幼婦

  視之令辞  この令辞を視る

  文章華国  文章は華国

  未若忠孝  まだ忠孝に若かず

  此邦之人  此のくにの人

  是則是倣  是則ち是に倣う

 

         大清出使日本全権大臣

 

                       李   経 方 銘

 

                                               終

 


信州への旅 其の2

2015年06月02日 | Weblog

前回に続き翌日松本城管理事務所の研究専門員の方に城内を詳しく案内して頂きました。

 

城内に入り、昭和の大修理の様子を詳しく説明をして戴きました。

城内を詳しく説明を受けた後、階段を上がりました。

上の画像は、2階の画像です。

下の画像は、最上階の画像です。外国の方も多くいました、皆さん興味が有りそうでした。

 

この画像は、天守閣四階の御座所です。

 

その後、研究専門員の方に詳しく説明をしてい戴きました。 

                                                                                                                                                        続く