今・ここ・自分~断捨離日記

断捨離とは不要・不適・不快を、要・適・快に入れ替えるプロセス
正規トレーナーのmomoが、断捨離でごきげんを実現します

少し切ない春

2012-03-22 09:50:10 | 断捨離とは?

弥生のダンシャベリ会でのこと。

進学で子供が家を出る、
それが寂しくて仕方ない…という方がいらっしゃった。

断捨離のことはもちろんだけれど、
そんな話もできればなぁ…と参加されたとか。

だけどこの日のダンシャベリ会、
けっこう壮絶な話がぽんぽん飛び出した。

なんて波乱万丈の人生!

皆さんの話を聞くうちに、
こんな小さなことは、悩みのうちに入らないと感じ始める。

そして、私ももっと頑張らなきゃと。


大いに刺激を受けて帰られたのは嬉しいけれど、
寂しいという気持ち、無視しなくてもいいと思う。

だって、寂しいと自分が感じていることは、
紛れもない事実なんだから。

はたから見たら小さな悩みでも、
当の本人にとっては、深刻なこと。

誰かと比べて、悩みの大小を量る必要はない。




寂しいとか、哀しいとか、辛いとか、悔しいとか、

…そういう感情って、
蓋をしてとりあえず隠してしまったら、それで無くなるのだろうか?


否!


感情というものは、
押さえつけたり、無視したりすれば、
一時的には消えたように見えるけれど、
心の奥深い所に潜って、ずっとずっと隠れている。

そして何か月も、いや何年、何十年も経った頃、
突然、顔を出す。

自分も忘れていた感情だから、
本当にびっくりする。

そして大昔の感情、つまり心の傷に向かいあうことになる。


無意識とはいえ、
こんなにも長いこと、痛みの感情を持ち続けていたのか…と、
自分が可哀そうになるくらい。


こんなことなら、
あの時、きちんと向き合って、昇華させておけばよかった…。


そうしたら、
なんとなく辛いな、しんどいな…と思っていた年月、
もっと楽しく過ごせたのかもしれない。



断捨離は、モノと向かい合う。

モノには想いが張り付いていて、
捨てる…ということは、その想いを手放すことでもある。


簡単に処分できるモノもあれば、
これだけは無理!…と思うモノもある。

そういうモノには、たいてい裏に何かある。

じっくり対峙してみよう。

大昔に沈めてしまった感情が、掘り起こされてくるかもしれない。

ちゃんと向き合って、
ああ、あの時、私は哀しかったんだ、
寂しかったんだ…と認める。

きちんとその痛みを味わう。

そうすると、
行き場のなかった感情は昇華して、
心のつかえ…みたいなものが、なくなる。


無意識の中に沈めてしまった重い荷物を、下ろした瞬間だ。

 

自由になる、軽やかになる…って、そういうことかもしれない。



子供の巣立ちって、嬉しいけど、少し切ない。

私も本当は寂しいのかも…。



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