弥生のダンシャベリ会でのこと。
進学で子供が家を出る、
それが寂しくて仕方ない…という方がいらっしゃった。
断捨離のことはもちろんだけれど、
そんな話もできればなぁ…と参加されたとか。
だけどこの日のダンシャベリ会、
けっこう壮絶な話がぽんぽん飛び出した。
なんて波乱万丈の人生!
皆さんの話を聞くうちに、
こんな小さなことは、悩みのうちに入らないと感じ始める。
そして、私ももっと頑張らなきゃと。
大いに刺激を受けて帰られたのは嬉しいけれど、
寂しいという気持ち、無視しなくてもいいと思う。
だって、寂しいと自分が感じていることは、
紛れもない事実なんだから。
はたから見たら小さな悩みでも、
当の本人にとっては、深刻なこと。
誰かと比べて、悩みの大小を量る必要はない。
寂しいとか、哀しいとか、辛いとか、悔しいとか、
…そういう感情って、
蓋をしてとりあえず隠してしまったら、それで無くなるのだろうか?
否!
感情というものは、
押さえつけたり、無視したりすれば、
一時的には消えたように見えるけれど、
心の奥深い所に潜って、ずっとずっと隠れている。
そして何か月も、いや何年、何十年も経った頃、
突然、顔を出す。
自分も忘れていた感情だから、
本当にびっくりする。
そして大昔の感情、つまり心の傷に向かいあうことになる。
無意識とはいえ、
こんなにも長いこと、痛みの感情を持ち続けていたのか…と、
自分が可哀そうになるくらい。
こんなことなら、
あの時、きちんと向き合って、昇華させておけばよかった…。
そうしたら、
なんとなく辛いな、しんどいな…と思っていた年月、
もっと楽しく過ごせたのかもしれない。
断捨離は、モノと向かい合う。
モノには想いが張り付いていて、
捨てる…ということは、その想いを手放すことでもある。
簡単に処分できるモノもあれば、
これだけは無理!…と思うモノもある。
そういうモノには、たいてい裏に何かある。
じっくり対峙してみよう。
大昔に沈めてしまった感情が、掘り起こされてくるかもしれない。
ちゃんと向き合って、
ああ、あの時、私は哀しかったんだ、
寂しかったんだ…と認める。
きちんとその痛みを味わう。
そうすると、
行き場のなかった感情は昇華して、
心のつかえ…みたいなものが、なくなる。
無意識の中に沈めてしまった重い荷物を、下ろした瞬間だ。
自由になる、軽やかになる…って、そういうことかもしれない。
子供の巣立ちって、嬉しいけど、少し切ない。
私も本当は寂しいのかも…。
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