ほんわか亭日記

ダンスとエッセイが好きな主婦のおしゃべり横町です♪

「クラブへの訪問者」

2024-11-25 | エッセイ
2024年11月25日(月)

エッセイサークルのエッセイをいつも届けているAさんから電話があった。
彼女は、いつも感想をいってくださるんだ。
今回のウィステのエッセイ、「クラブへの訪問者」は、文章クラブの
ほうへ来られた方の話で、彼女も
「そんなこともあるのねえ」と、びっくりしていた。
その作品は、・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「クラブへの訪問者」

私が二年ほど前に入会した文章クラブは、毎月第四火曜日の午後、公民館で
開かれている。
今日、十月の会は、三名の欠席があり、出席者は、先生と生徒六名だった。
まずは、今月初めにあった公民館祭での展示と同人誌の配布のことから話が始まり、
私の当番の日以外の来場者の様子などを聞いていると、トントンとドアがノックされた。
席が近かった私がドアを開けると、私たちと同じ後期高齢者くらいの男性二人が
立っていた。お二人は、先日の公民館祭にいらして、我々のクラブの同人誌を
古い号も含めて何冊も持ち帰り、読んでくださったのだそうだ。
(新規入会希望者かしら?)
 だが、ちらっとかすめた私の期待とは違っていた。片方のA氏は、片手に
古い我々のクラブの同人誌を持ちつつ、
「このエッセイを書いたBさんにお会いできないでしょうか?」
と、あるエッセイを示しながら聞いてきた。
 いったいどういうことだろうと、A氏の手元をのぞき込むと、その同人誌は、
なんと、1998年版、つまり26年も前の号だった。
「Bさんが子供の頃を書いたそのエッセイを読んで、同郷の人と分かったので、
是非、お会いしてお話をしたいのですが。」
(なんという奇遇。幼いころの田舎が一緒とは、会ってみたいのでしょうね。)
 A氏の強い思いは伝わったけれど、クラブにBさんという方はいらっしゃらないしと、
他の会員の方たちのほうを見ると、当時からいるベテランのCさんが、
「Bさんは、だいぶ前に退会されましたよ。私から、Bさんに、こういうことが
あったと、お手紙をさしあげましょうか。」
「Bさんは、お元気ですか?」
「お元気ですよ。」
と、話あっている間に、私は、メモ用紙を用意し、そこにA氏が、自分の名前、
住所、電話番号を書き込み、それをCさんが書き写した。
(いきなり知らないA氏から手紙が来たら、Bさんも戸惑うでしょうし、
Cさんからのお手紙が丁度よい距離感でしょうね。)
そのA氏は、Bさんの連絡先を知りたくて、公民館でうちのクラブの代表者の
Dさんの電話番号を教えてもらったのだが、何度かけても繋がらないので、
今日、こちらにいらしたのだそう。先生が、
「Dさんは、今、検査入院をしているので、連絡が取れなかったのでしょう。
私からも、Bさんの作品の載っている同人誌を何冊か、お送りしましょう。」
と、そのメモ用紙を受け取った。
 ただ、A氏が、
「こちらの会の方と連絡が取れるように、電話番号を教えていただけませんか?」
と、言いだされると、少し気持ちがざわついた。
(すごく前のめりになっている。でも、どういう方か分からないのに、私の電話番号を
お知らせするっていうのは、気が進まない。個人情報だし、直接、お電話を頂いても、
どう言葉を交わしても良いか分からないし。)
 近寄ってきたCさんを見ると、彼女もどうしたものか、でも、自分の番号は、
知らせるのはどうかという様子で黙っていた。私も、困って、
「連絡先、先生はどうかしら?」
と、先生の方を見ると、先生が、
「私、耳が遠くて、電話に出ても聞こえなくて。だから、連絡があったら、
手紙をください。」
と、対応してくださって、ほっとした。そのまま、A氏とお連れの方は、
帰っていかれた。
 その後で、先生は、
「エッセイに興味があるなら、入会をお勧めしようかな。」
と、おっしゃった。
(お仲間になれば、距離が近づくし、会ももっと活気づくかな。でも、読むのが
好きとはおっしゃったけれど、書くことは何も言っていなかったなあ。さて。)
 A氏とBさんが連絡を取り、お会いするかどうかは、まだ分からないけれど、
良い結果になるとよいのだが。ただ、私は、Bさんの作品が、時を越えてこんなにも
A氏の心を動かしたことに胸を打たれた。私もエッセイを書き、ここの前の
エッセイサークルの頃から二十年、サークルの同人誌に発表してきたけれど、
書いた作品が、どんなに読者の心に響くかを間近に見せてもらえた驚きと、
書いたものは、残るという責任感を改めてかみしめた。
 それから、こつこつ勉強を積み重ねていくかのように、いつもの勉強会が
始まった。
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Aさんも、
「その後、どうなったかねえ。うまくいったら良いかもしれないけれど、
私だったら、ちょっととまどうなあ・・」
と、複雑そうだった。
そうだねえ・・。

あと、ウィステ、先日お届けした時に頂いたお菓子のお礼も言いましたよ。

その後、下のスーパーへ行って、明日、文章クラブの会費を払うために、
一万円札をくずそうと、9200円、おつりが来るように払った。
すると、200円だけ出てきて、9000円が出てこない。
それは、困る。
店員さんがとんできて、会計機の中を開けたら、千円札が2枚、詰まっていた。
中はこうなっているんだと、お札がいっぱい入っているのを横から覗き込んで
しまったよ。ふむふむ。
詰まった1000円札2枚は、店員さんが持って行って、改めて9000円、
渡してくれたし、思いがけない大金も覗けたので、良しとしました。
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「電話番号表示」

2024-09-11 | エッセイ
2024年9月11日(水)

昨日はエッセイサークルで、2週間したら、文章クラブの日になる。
文章クラブでは先生が添削をしてくださって、その返信用に、
84円切手を貼った封筒も添えるんだ。
9月末に文章クラブがあるから、返信は、10月初旬になる。
そう、切手の値上げがあるんだよね。
それで、郵便局へ行ってみたら、10月から料金は110円になるにつれ、
84円との差額の26円切手と、110円切手をもう売り出していた。
買ってきて、これで返信も大丈夫と、一安心。

そこで、今日は、今度持っていく、エッセイを・・。
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「電話番号表示」

八月の始めの水曜日の午後、スマホに電話が掛かってきた。名前ではなく電話番号が
表示されているだけだ。友人からならスマホに登録してあり、電話に出る前から名前が
表示され誰からか分かるようにしているので、友人ではないことは、確実だ。
恐らく迷惑電話だろう。私は、そういう電話は、無視することにしているのだ。
すると、何度も、その番号から掛かってくる。しつこさに、ラウンドダンスサークルとか
エッセイサークルの名簿をチェックしたけれど、該当者はいなかった。
念のために、ネットの迷惑電話チェックのホームページでチェックしたけれど、
その番号の表示はなかったが、アンケートか、何かの業者か、あるいは詐欺、
いたずら電話かと、出るまでも無く、無視していた。
夕方、また掛かってきた電話は、私のダンスのリーダーさんの名前が表示されていたので、
すぐ出た。すると、何度も電話してきたのは、日曜日のダンスの自主練会のAさん
だったという。
ああ、日曜日の名簿は調べていなかった。
そして、リーダーさんがAさんからの伝言を伝えてくれた。
「今度の日曜日の自主練会は、お休みします。そうなると、その日の出席者が他に
いなくなるので、正式にキャンセルできるなら、したほうがよいのではないでしょうか」
(自主練会の代表の私たちも休む予定で彼らに利用許可書も渡していたけれど、
そういうことだったのか! それなら急がなくては。)
 私は、リーダーさんに、
「日曜日まであと五日。今日なら、キャンセル料がかからずに取り消せるかもしれないから、私、これから急いで、公民館に連絡します。」
 幸い、公民館の担当者は、電話からのキャンセル申請でも受付けてくれたので、
使用料金は、後で清算してもらえることになった。
(セーフ。危なかった。)
 その後、すぐ、私は、Aさんの番号もスマホに登録しておいた。
(こういうこともあるから、電話番号表示だけの電話にも、でなくてはなあ。)
 だが、テレビでは、さかんに、
「今年になって、「+」の符号が電話番号の先頭についている国際電話での詐欺が
去年の二倍になっています。」
と、注意を喚起している。
「心当たりのない電話に注意してください。」
その通りなんですが、今回のように、心当たりが無くても、知人ということもあるし、
困ってしまう。
とにかく、「+」のついた番号には、絶対に出ないということにした。友人、家族が
外国旅行先からかけてくることもないでしょうから。

翌日の午前中、また、電話番号表示の電話がかかってきた。
昨日のことがあるので、こちらの名前を名乗らず、
「はい。」
とだけで、恐る恐る出てみたら、リーダーさんと出ようと申し込んだ
ダンス競技会の役員さんからだった。
(これは、名前の表示が無いはずだわ。)
 私たちは、二試合に出ようと申し込んだのだけれど、一方の試合が、成立に
至らなかったとのことだ。なんと、申し込み者が、我々の組だけだったのだ。
思わず、
「一組だけで会場で踊って、優勝っていうことになりませんか?」
と、軽口をたたいてしまったが、もちろん、そんな甘いことにはならない。
 結局、申し込み人数の足りた一試合にだけ、出場することになった。
(ちゃんと電話に出て良かった。
 連絡先を申し込みの時に書いてあるから、出るべき責任のある場合もあるわけだ。
これからは、心を入れ替えて、知らない番号でも出なくては。)
そう反省したが、やはり詐欺は怖い。
せめて、番号の最初の「+」に注意して、その時は絶対、出ないと決めたのだが、
国内からの番号表示電話が詐欺だった場合には、騙しのプロ相手に騙されない対応が、
きちんとできるか、自信が無い。
だから、そういう「黒い念」の籠った言葉に触れないのが一番なのだ。
仕方ないので電話が鳴り、名前ではなく番号表示と見るたびに、一呼吸置いて逃げ腰で
出ている。
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「圧力鍋の乱」

2024-07-10 | エッセイ
2024年7月10日(水)

今日は、昨日のエッセイサークルに出した、竹の子のエッセイを・・。
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「圧力鍋の乱」

四月下旬の木曜日、社交ダンスの練習の合間に、友人から掘りたての竹の子を
頂いたので、翌日、今年初めての竹の子を煮ようとした。
私は、三十年ほど前から、竹の子はもちろん、肉じゃが、かぼちゃ、大根をはじめとして、
いろいろな煮物は、ぱぱっと作れる圧力鍋を使用し、食べ盛りの子供たちの慌ただしい
夕食づくりなどに重宝していた。一人暮らしになってからは竹の子の季節に使うくらいで、
私は、しばらく使っていなかった圧力鍋を引っ張り出した。
竹の子の外側の皮を3枚ほど剥き、鍋に入る大きさに切って、水やトウガラシ、
あく抜きの糠とともに鍋に入れた。蓋を締めるとき、いつもは、スパンと閉じる蓋が、
なぜか、ちょっと引っかかる。ほんの僅かの違和感はあったが、それでも、蓋を閉じる
ことは出来た。うちのキッチンは、ガスではなく電気式にしてあり、スイッチをいれると、
普通の鍋なら一時間くらいかかるところを十五分ほどで下茹でが出来きる。
スイッチを切ってからは、余熱を利用するために、さらに二十分ほど置いておけば
よいのだ。
事件は、その後に起きた。
いざ煮ようと、圧力鍋に先ほどより小さく切った竹の子と、出汁、醤油、砂糖、味醂を
入れなおし、蓋を閉じようとした時だった。先ほど以上にギリギリっと引っかかる。
ギューっと力をいれ、やっと締まったほどだった。しかし、なんだか閉まり方が
気になり、煮始めたところを止め、蓋を閉め直そうと、台から下ろしたが、
なんと、蓋が開かない。
(びくとも動かないって、どういうことなの!)
 慌てながら圧力鍋を持ち上げて、よく見ると、五か所でかみ合っている蓋と
鍋本体が、なんと、四か所はかみ合っていたのに、一か所外れていた。
長く使っていて、留め具が、おかしくなってきたのだろうか。
それでも、蓋を閉めてしまったので、今度は、開けられなくなったのだ。
どんなに力を入れても、蓋は動かない。
(竹の子が、取り出せない。いったい、どうしたら良いのだろう。困る~!)
圧力鍋をあちこち傾けながら苦闘していると、なんと、辺りが濡れて来た。
しっかり締まっていない部分から、中の煮汁がこぼれ出て、服から足元まで
濡れてしまった。慌てて拭き取るも、情けなさにため息がでた。
(圧力鍋、こんな大事な竹の子の煮物の時に、なんて、反乱を起こしてくれたの。)
(このまま、取り出せなくなったら、竹の子は、どうなるんだろう。)
(それに、蓋が開かない圧力鍋では、使いようが無いから、もう金属ゴミにだすしか
ないのだろうか。)
(いや、竹の子が入ったままでは、中で腐ってしまうだろうし、こんなとんでもない
捨て方をするなんて、怪しからん、誰だ! と、探し出されたら、どうしよう。)
 固く閉じたままの蓋を前に、私は、おろおろするしかなかった。
(こんな時に男手があったら……。息子たちは、東京や神奈川だし、
友人たちのご主人にお願いするのも、躊躇われる。こんな時、頼れるのは……、
そうだ、リーダーさんだ。)
 私は、七、八年前から、社交ダンスの競技会に出ており、そのために、リーダーと
呼ばれる決まった男性とペアを組んでいる。毎週土曜日は、公民館のダンスサークルで、
お仲間とともに練習し、週に二回、木曜日と日曜日は、それぞれのペア同士で
練習できる自主練習会に入って公民館やダンス練習場に通い、競技会を目指して
練習を重ねている。
彼は、隣の市に住んでいるが、一人暮らしで頼みやすいし、今日、金曜日は、確か、
リモートワークだそうで、在宅のはずだ。
前途が明るくなった気がするとともに、仕事が一段落するであろう夕方まで、半日、
じりじりと待った。
 やっと四時半になり、私は、大きくて袋に入れられない圧力鍋を抱えて、
車で三十分近いリーダーさんのお宅へ急いだ。
ピンポンと鳴らすと、出てきてくれたリーダーさんは、私が抱えている鍋に
驚いた様子だった。
「あの、煮物の差し入れじゃないんです……。」
訳を話すと、彼は、何度も力を入れて蓋を回してくれ、ついに、蓋が開いた。
(助かりました。)
(ありがたや、ふ~♪)
 すぐマンションに戻り、普通の鍋に竹の子を移して、数十分、時間をかけて
炊いた竹の子は、美味しく、大騒ぎした後の成果の煮物には、いくらでも、箸が進んだ。
 お腹が満たされると、キッチンに置いたままの圧力鍋が気になってきた。
忙しい時代に助けてもらったけれど、一人暮らしになって、もう圧力鍋自身の
役目を終えたかもしれない。
むしろ、またこの鍋を使って、同じ騒動を起こす方が、怖くなった。
(もう充分働いてくれた。柔らかいお肉や野菜をスピーディに作ってくれて、ありがとう。)
(それでも、不具合が起きだした圧力鍋は、この際、目に触れないようにするほうが、
うっかり度を増している私には、いいのだろう。安全優先だ。)
という気持ちに押され、えいやっと捨てることにした。
翌日のダンスサークルの練習の後、駐車場で、リーダーさんにその煮物を、
「私のは、ちょっと薄味で、鰹節をかけるんですけれど、お口に合うかどうか……。」
と、言い訳をしながら、お裾分けをした。
 日曜日の自主練集会で顔を合わせた時、彼から、
「薄味でおいしかったです。亡くなったうちの家内の竹の子の煮物も、こんな風に
薄味で、鰹節をかけていましたね。それで、“薄すぎた人は、お醤油をかけてね”
なんて言っていましたね。」
と、懐かしそうに言われ、ほっとしたのだった。
(リーダーさんは、今回の竹の子に醤油をかけたのかしら?)
少し気になったが、食べてくれたのだから、まあいいかと、そこには触れなかった。
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今年の竹の子シーズンも、大騒ぎのうちに終わったなあ。
来年もいただけますように・・・。
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「止めた! 止めた!」

2024-05-19 | エッセイ
2024年5月19日(日)

今日は、ウィステが出発する前の出来事のエッセイを・・。
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 「止めた! 止めた!」

 十年ほど前、一軒家からマンションに引っ越しをした。以来、暮らしの中で、
特に、水を零さないように気を付けている。一軒家なら、それこそバケツの水を
零そうが、私一人が慌てて、拭き取ればよいだけだが、マンションで
水漏れとなったら、下の階の方にまで迷惑をかけてしまう。コップ一杯ほどの水なら、
なんとかなるだろうが、怖いのは、帰宅して、キッチンや洗面所の蛇口を閉め忘れ、
しかも、排水口も閉じていて、水が、そこらじゅうに溢れていることを発見した場合だ。
下のお宅から、ご夫婦が怒りながら駆けつける様まで、想像できてしまう。
 だから、出かけるときは、キッチンの蛇口と洗面所の蛇口を何度も確認する。
だんだん、目で見るだけでは心配で、蛇口に触ってみる。そのうち、蛇口を指さし、
「止めた! 止めた!」
と、声でも確認しないと、心配になった。
 最近、私の心配は、さらに進み、一度では済まず、もう一度、確認して
回らなくては、落ち着かなくなってきた。それほど、自分の確認というものに
自信が無くなってきているのだ。誰に迷惑をかけるわけでもないし、気持ちが
収まるのが大事と、出かける前は、家の中で、うろうろと確認を重ねている。
 その心配性が、進んできたかもしれないと思ったのは、今日、銀行へ行った
ときの出来事だった。銀行の貸金庫を借りているのだが、久しぶりに用事で
貸金庫室へ入った。中には、番号のついた小さな金庫がぎっしり並んでいて、
私は、私の金庫の鍵を開け、中からボックスを取り出して、必要な書類を取り出し、
また、ボックスを元に戻した。
 用事も済んで、銀行から外へ出た時だった。
(あれ? 私、貸金庫の鍵を閉めたかな?)
 急に、どっと心配が押し寄せた。
(開けっ放しで出てきてしまったかな? 
 次の人が入ったら、どうしよう?
 盗まれるってこともないだろうけれど、けれど、けれど……。)
 心配したまま帰ることは出来ないと、私は、すぐ、銀行へ戻った。
 貸金庫室へ入るためのカード操作の間も、反応が遅く感じられて、地団駄を
踏みたい思いだった。
 戻った貸金庫室の中は、しんとして、すべての金庫の扉は閉じられていた。
私は、自分の金庫の扉に触れてみたが、きちんと鍵がかかっていた。
それでも、念のために、もう一度金庫を開け、ボックスの中味を見直したのは、
確認のためもあるし、防犯カメラで私の行動を確認しているであろう銀行員に、
勘違いで戻ってきたという姿を見抜かれたくない見栄も、もちろんあったのだった。
 帰り道、つくづく思った。
(止めた! 止めた! と、いつものように指差呼称を、するべきだった。)
 そう、それを、私の呪文にして、何でも忘れがちになる自分自身と、
なんとか付き合っていかなくては……。
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はい、今日も、「止めた! 止めた!」をやってから、ダンスの自主練会へ
行ってきました。
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「青い鳥」の行方(2) 

2024-03-19 | エッセイ
2024年3月19日(火)

今日は、昨日の続きから・・。
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「青い鳥」の行方(2)

「最近は、本の話より、病気とか夫とかの愚痴とかのおしゃべり会になっているようで、
本の話は、すごく少なかったり、無かったりで。」
私がためらいながら言うと、上野さんが、
「私、最近、もう本が読めなくて。他にも読んでこない人、いるでしょう。
でも、読まないで出席するのも、ちょっと気詰まりだったりするのよね。」
と、言い出し、一気に、読書会を止める頃合いかもという話になっていった。
(もう読書会という実態がなくなりつつあることをしっかり認めなくては
いけない時なんだわ。
今日、みんなに気持ちを打ち明け、相談しよう。) 
 読書会の日は、いつも江川さんを車で迎えに行き、一緒にコミセンへ向かう。
彼女も大病をしてから本を読む気力が無くなって籠りがちになったので、
「本、読まなくていいから、みんなに顔を見せに来てね。」 
と、誘っているのだ。
今日の二月例会の出席者は、他には、岡さんと加山さんで、全部で四人だった。
コロナの波に覆われた時を越えての読書会は、みなで顔を合わせ、
お話の出来ることをしみじみうれしいと感じるなか、岡さんと加山さんが、
まず、お菓子を配りだす。
「美味しいのよ。」
コロナ前の読書会のようだ。みんなの笑顔を見ると、
(ああ、やっぱり大事な居場所なんだなあ。続けていかなくちゃ。)
なんだか、気持ちが切り変わった。
ひとしきりおしゃべりをし、江川さんが先に帰ると、数年前に入会した
熱心な岡さんがノートを取り出した。本の感想がぎっしり書いてあるのが見えると、
私は嬉しくなった。
今回の本は、林真理子さんの『小説8050』。岡さんは、本筋のいじめと
引きこもりで二十代になった息子と父親についての感想を語り、
私は、そこにちょっと出てきた、ネットにいつまでも情報が残るデジタルタトゥー
について、関心があったことを話した。
私たちの読書会なのだから、少しの時間でも、こういう芯の話が欲しかったのだ。
その後、話は、近況のおしゃべりに戻って、加山さんが、老人ホームに入所した
妹さんに、さまざまな押し花を付けた手紙をだしている話を始めた。
「桜の押し花は、特に品が良いのよ。」
「梅とかと違うの?」
「桜は、色も綺麗に押し花に出来るし、花に品格があるのよ。今年も作ってみたいわ。」
私の問いに答えてくれる彼女の声は、穏やかだ。
(桜は、押し花になっても違うんだ。こういうお人柄の伝わる話も好きだなあ。)
私は、じんわりとしながら聞いていた。
                           (文中仮名)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日、第3火曜日は、読書会の日だったんだけれど、残念なことに、このエッセイを
書いた後、いろんな事情で、2名の退会者が出て、ああ、ここまでだなと思い、
上野さんと相談して、会を閉めることにしたんだ。
長い間続いた会だし、お喋りできるお仲間に心が残るけれど、いったん区切りに
しました。
それで、今回、長いエッセイを書いて、思い出にしようと思ったわけです。
まだ、心がちくちくするけれど、近くに住んでいるし、また、
おしゃべりしましょうという言葉を交わしながらね・・・。

           
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