ほんわか亭日記

ダンスとエッセイが好きな主婦のおしゃべり横町です♪

「青い鳥」の行方(2) 

2024-03-19 | エッセイ
2024年3月19日(火)

今日は、昨日の続きから・・。
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「青い鳥」の行方(2)

「最近は、本の話より、病気とか夫とかの愚痴とかのおしゃべり会になっているようで、
本の話は、すごく少なかったり、無かったりで。」
私がためらいながら言うと、上野さんが、
「私、最近、もう本が読めなくて。他にも読んでこない人、いるでしょう。
でも、読まないで出席するのも、ちょっと気詰まりだったりするのよね。」
と、言い出し、一気に、読書会を止める頃合いかもという話になっていった。
(もう読書会という実態がなくなりつつあることをしっかり認めなくては
いけない時なんだわ。
今日、みんなに気持ちを打ち明け、相談しよう。) 
 読書会の日は、いつも江川さんを車で迎えに行き、一緒にコミセンへ向かう。
彼女も大病をしてから本を読む気力が無くなって籠りがちになったので、
「本、読まなくていいから、みんなに顔を見せに来てね。」 
と、誘っているのだ。
今日の二月例会の出席者は、他には、岡さんと加山さんで、全部で四人だった。
コロナの波に覆われた時を越えての読書会は、みなで顔を合わせ、
お話の出来ることをしみじみうれしいと感じるなか、岡さんと加山さんが、
まず、お菓子を配りだす。
「美味しいのよ。」
コロナ前の読書会のようだ。みんなの笑顔を見ると、
(ああ、やっぱり大事な居場所なんだなあ。続けていかなくちゃ。)
なんだか、気持ちが切り変わった。
ひとしきりおしゃべりをし、江川さんが先に帰ると、数年前に入会した
熱心な岡さんがノートを取り出した。本の感想がぎっしり書いてあるのが見えると、
私は嬉しくなった。
今回の本は、林真理子さんの『小説8050』。岡さんは、本筋のいじめと
引きこもりで二十代になった息子と父親についての感想を語り、
私は、そこにちょっと出てきた、ネットにいつまでも情報が残るデジタルタトゥー
について、関心があったことを話した。
私たちの読書会なのだから、少しの時間でも、こういう芯の話が欲しかったのだ。
その後、話は、近況のおしゃべりに戻って、加山さんが、老人ホームに入所した
妹さんに、さまざまな押し花を付けた手紙をだしている話を始めた。
「桜の押し花は、特に品が良いのよ。」
「梅とかと違うの?」
「桜は、色も綺麗に押し花に出来るし、花に品格があるのよ。今年も作ってみたいわ。」
私の問いに答えてくれる彼女の声は、穏やかだ。
(桜は、押し花になっても違うんだ。こういうお人柄の伝わる話も好きだなあ。)
私は、じんわりとしながら聞いていた。
                           (文中仮名)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日、第3火曜日は、読書会の日だったんだけれど、残念なことに、このエッセイを
書いた後、いろんな事情で、2名の退会者が出て、ああ、ここまでだなと思い、
上野さんと相談して、会を閉めることにしたんだ。
長い間続いた会だし、お喋りできるお仲間に心が残るけれど、いったん区切りに
しました。
それで、今回、長いエッセイを書いて、思い出にしようと思ったわけです。
まだ、心がちくちくするけれど、近くに住んでいるし、また、
おしゃべりしましょうという言葉を交わしながらね・・・。

           
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「青い鳥」の行方(1)

2024-03-18 | エッセイ
2024年3月18日(月)

 ウィステたちは、青い鳥という読書会を長年、続けて来たけれど、それ関連の
エッセイを初めて書いたので、今日は、そのエッセイを。
ただ、長いので、今日と明日、2回に分けました。
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「青い鳥」の行方(1)

 今日は、読書会「青い鳥」の月一回の例会日なのだが、朝、阿部さんから
メールがきた。
「眩暈がするので、お休みします。」
「青い鳥」は、もう五十歳になる長男が十歳くらいの時のママ友たちに声をかけて
始めたから、かれこれ四十年続けていることになる。
初めの頃は三十代だった私たちは、育児や家事の合間に自分自身の時間が持てる
嬉しさで、先生も頼まず、仲間だけの手探りでスタートしたものだった。その際、
「日本の女性のことを知りたいね。」
と、話しあい、女性の話を中心に読んでいった。
現代語訳の『源氏物語』、古屋信子『女人平家』、永井路子『北条政子』、
さらに、お市の方とその娘たち浅井三姉妹といった過酷な戦国時代を生きた
女性たちの話に夢中で感想を話し合い、読書ノートを回したりした。
時代は下り、円地文子の明治の女性を描いた『女坂』、宮尾登美子『櫂』などの
戦前戦後の女性たちに心を痛め、林真理子さんの描く若い女性にも、
みなで目を見張ったのだった。その後は、直木賞や本屋大賞の受賞作品、その他の
話題作などを読んでいる。
 今年一月、ニューヨークタイムズが選んだ「行くべき旅行先」二千二十四年版で
山口市が第三位に選ばれたことが一月の例会で話題になったのは、
今から約六百年前、戦国の世の迫る室町時代後期に、その地に瑠璃光寺が建立された
由来の小説をみなで読んだことが懐かしかったからだった。
それは、久木綾子さんが二千八年に出された八十九歳での処女作
『見残しの塔 周防国五重塔縁起』で、国宝となった瑠璃光寺に行ったことのある
方たちが、塔が素晴らしかったことを語り、さらに、平家の落ち武者の子孫の
上級大工・番匠と源氏の姫との一夜の恋が、落成したばかりの五重塔へ魂を入れ、
人々の国の統一と平和への願いを守る存在になっていったのでしょうと話しあった
ことも思いだされた。
ただ、「青い鳥」は、初めの十年くらいは、十名ほどいて活気があったけれど、
会員の出入りはあったが、だんだん減り、最近は七名、そのうち例会の出席者は
三、四名くらいなのだ。
今日の阿部さんの欠席は残念だけれど、眩暈なら、しかたない。
お大事にと返信すると、伊藤さんからも、用事で休むとラインが来た。
続いて、上野さんからも電話で、
「なんか体調が悪くて、気力が出なくて、今日、お休みします。」
と、言ってきた。上野さんとは一緒にこの会を立ち上げ、彼女が、長い間この会の
代表をしてくれている。しかし、彼女は、かれこれ九か月近くも体調がはっきりせず、
お休みを続けていた。コロナのことがあった三年で、じっと我慢でストレスが溜まっていたのかもしれない。私も、コロナの流行で読書会もあったり無かったりの間に、
(いつまで続けていてもねえ。潮時かしら。)
という気分に陥っていたのだが、三人続けての欠席の連絡に、その気持ちがはっきり
表に出て来た。一応、私が副代表なので、上野さんに、話を切り出した。
「続けて行く気が無くなってきた。欠席も多いし、もう読書会を止める時期なのかなあ。」
上野さんも、
「予約とか、いろんなこと引き受けてくれているのあなただし、仕方ないかも。」
と、言ってくださると、読書会への不満が一気に出てくる。
                    (文中仮名)  (続く)
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「ぬか喜び」

2024-02-12 | エッセイ
2024年2月12日(月)

建国記念日の振り替え休日。といっても、部屋でゴロゴロ過ごしただけ
なので、今日は、先日書いたエッセイを・・・。

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「ぬか喜び」

 私の住んでいるマンションは、左隣のマンションと向かい側のマンションと、
共通の地下駐車場で繋がっている。そして、私がここへ引っ越ししてきた際に
割り当てられた駐車スペースは、向かい側のマンションの地下駐車場への
出入り口の前だった。私は、この九年、車を使うたびに、うちのマンションの
地下出入り口から私の駐車スペースまでの間、二百メートル以上を往復しつつ、
(遠いなあ。もっと近くのスペースだったら良かったのにー。)
と、心の中でぼやいていた。
 十月中旬、この三棟を管理する不動産会社の営業の方が、年に一度の
定期巡回に来てくれた。
「何か問題は、ありますか?」
「特に不便は無いです。」
(あ、いや、あった。)
「駐車スペースの移動は出来ませんか?」
「ここの管理人さんが管轄しているので、空きがあれば、移動できますよ。」
営業さんの返事に、私は、聞いてみるものだと嬉しくなった。
 その翌日、一階の管理人室で管理人さんに相談すると、
「丁度、うちのマンションの出入り口の真ん前のスペースが、空きます。
十月末日からなので、あと十日ほどです。十一月からですが、十月三十一日に、
引っ越しであちらが車を出したら、そのまま使っていいですよ。」
と、思いがけない答えがかえってきた。
(特等席だわ。なんてよいタイミング。)
 私は、うきうきとその日を待ち、十月末日、午前中には、移動先のスペースに
止めてあった前の契約者の車が夕方には無かったので、早速、そこへ、
私の車を止め、管理事務所へ行って、新しい駐車スペースの利用申込書を提出した。
(これから、車を使うたび、歩かなくて済むわ。)
私は、明日からの車での外出を楽しみにしていた。
ところが、その夜の九時ごろ、不動産会社の係員の方から電話が来た。
「お宅の車が止めてあるスペースの本来の持ち主が戻って来たので、
車をどけてください。」
(は? 意味が分からない。)
お風呂から出てパジャマで寛いでいたのに、急いで着替えて行くと、
高齢のご夫婦とその車と、係員がいた。出先から戻って来たらしいご夫婦は、
ちょっと怖い顔をしていた。
ご主人が、少し顔を前に出して、何か言おうとした。
「すみません。」
私は、遮るように小声で言い、すぐ内心、
(これは、“ごめんなさい”じゃなくて、“もしもし”って意味よ。)
と、自分に言い聞かせる。すると、気持ちが少し落ち着く。
「この場所、今日から使ってよいと、管理人さんの許可をもらって停めたんです」
駐車スペースの私の車を指差しながら、はっきりと言えた。
ご主人が、顔を引き、驚いたように、首をふって、
「いやいや。」
と、言うので、さらに付け加えた。
「私、管理人さんに、使用許可申請書も出したんですが…。」
 自分が無断駐車をしたわけではないと言いたかったのだ。
「何か、行き違いがあったんでしょう。」
係り員が声をかけて間に入り、私が、いったん私の車を元の駐車スペースに
戻すことになった。
「すみません。」
 一言、謝ってしまったのは、相手の方も、夜、疲れて帰って来たら車を
停められないというトラブルに巻き込まれたと分かったからだ。もちろん、
私は、一方の当事者ではある。
(大変でしょう。)
と、お相手への挨拶のつもりだった。
 車を移動して、マンションの出入り口まで戻ってくると、一人残って待っていた
係員さんから声をかけられた。
「大変でしたね。」
 そして、明日、管理人から、連絡を寄越すと説明を受けた。
 翌朝、管理人さんから電話があって、ようやく訳が分かった。
 向こうのご夫婦は、管理会社に、
「引っ越しをするので、十月いっぱいで、駐車場の使用契約も止めます。」
と、連絡し、管理人さんにもその連絡がいっていた。ところが、その後、変更があった。
「事情が変わって、マンションに住み続けるので、駐車場も使い続けます。」
その新たな連絡が、管理人さんには届いておらず、今回の騒動になってしまったという。
 そういうことなら、あちらにもご迷惑をかけてしまったと素直に思えた。
けれど、私も特等席のような駐車場が契約できるとぬか喜びさせられたわけで、
がっかりした。
 それでも、管理人さんが、
「次回、空きが出来たら、すぐに連絡します。」
と言うので、期待して待つことにしたが、それだけではない。
(怒っている知らない男性に、しっかり事情を説明できた。)
実は、私自身は、こういった初めての経験への達成感のような手ごたえも感じていた。
今日も車で外出しようと駐車場への扉を出ると、先日問題になった駐車スペースに
停めてある車に、つい目が行く。
(これが、あちらの車か。こんなによい場所だったのに、残念だなあ。
ここになっていたらなあ。)
 私は、手からするりと逃げて行ったスペースを未練がましく横目で見ては、
私の車の場所への二百メートルを急ぐのだった。
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一日、ゴロゴロしていると、どうしても、頂いたお菓子に目がいく・・。
困ったなあ、体重が上昇傾向なのに・・・。
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「テレビからの声」

2023-12-03 | エッセイ
2023年12月3日(日)

ウィステは、家にいると、ついテレビを点けてしまうんだ。
それで、今日は、そのことのエッセイを・・。

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「テレビからの声」

 朝、起きるとすぐテレビを点けるのが、習慣となっている。
「おはようございます。」
「ニュースの時間です。」
「今日のお天気は……。」
リビングに、アナウンサーや出演者の若々しい声があふれると、私の一日の始まりだ。
一人暮らし歴もそろそろ二十年を越すが、その前からの習慣なのだった。
退職した夫と、ゆっくり朝ごはんを食べながら、なんとなくテレビのワイドショーを流し、
興味を引かれた話題を夫と話しあったりした。そんな夫婦の会話のとっかかりと
なってくれたテレビからの声は、一人暮らしとなってからは、私と社会を繋げてくれるように
思え、部屋の適度の騒がしさに、かえって心が落ち着くのだ。
 芸能人がくっついたり離れたりというニュースには興味は持てないが、
「物価があがりました。」
「高齢者の運転する車がコンビニに突っ込みました。」
「高齢者が詐欺にあいました。」
そんな、身近に危機感を感じる出来事などは、しっかり聞く。
時には、ウクライナのニュースに、友人たちと、
「プーチンが!」
と、侵略を口々に非難し、あるいは、
「還付金と言われたら、詐欺だからね。」
と、注意をしあったりした。特に、この三年ほどのコロナ関連の報道は、
コロナに罹らないよう情報は大事だと、身構えるように聞き、怖れを振り払うように
おしゃべりを繰り広げた。
テレビは、その会話の大事なソースなのだ。
 友人の中には、
「テレビ?ほとんど点けないわ。普段は、ラジオなんかでクラシックを聞いているわ。」
と言う人もいて、そちらのほうが上品そうだけれど、ラジオを聞きなれていないので、
今一つ、やってみようという気になれない。それどころか、家にいる間は、
朝から晩までテレビを点けている私は、テレビ中毒というのだろうが、直す必要も
感じてはいないのだ。
この九月末に、腸炎で急に六日間、入院した時も、絶食と点滴治療のみで、痛みも無く、
退屈しがちだったので、毎日、テレビカードを使い、ずっとテレビをかけっぱなしにしては、
ワイドショーの事件の話などで時間をつぶせたのだった。六人部屋ということで、
もちろんイヤフォンを付けた。
ただ、大きな音で周りへの気遣いをしなくて済んだとはいえ、何時間もイヤフォンを
耳に入れ続けているのは、うっとうしかった。
 実は、これまでも、私のマンションに娘や孫たちが泊まりに来て、帰ると、リビングのテレビの音が
物凄く小さくなっているのに驚く。すぐ、私が快適に聞こえる元の音量に戻すのだが、
私の耳が遠くなっている証を突き付けられるようだ。
二十年以上前になるが、一軒家に住んでいた頃、隣の家に私の両親が住んでいたのだが、
両親の家に行くと、リビングに響くテレビの大音量に、耳を塞ぎたいほど困ったものだ。
(これでは、父と同じ家には住めない。)
と、つくづく思った。今では、もし、将来子供と暮らすことにでもなったら、こんな大音量では、
私が、子供家族に迷惑をかけてしまう。
それとも、そんな未来があるとしたら、イヤフォンかな。
でも、一日中、イヤフォンをつけてはいられないと、今回の入院でよく分かった。
(やはり、テレビの音を気楽に大きくしての一人暮らしが、私の進む道だろう。)
退院してすぐ、十月初めに、テレビから、
「藤井聡太八冠が、竜王戦第一局の対局に勝ちました。」
と、彼の活躍のニュースが流れ、私は、いそいそとテレビの前に行き、晴れがましい
私の「押し」の姿を熱心に見つめる。
そのテレビの映像と声は、私の心を温かく広げてくれるのだった。
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今日は、日曜日のダンスの自主練会から帰ったら、テレビのビデオで、また、
「キンタロー。・ロペス」たちのダンスの録画を見ては、ワクワクしましたよ。(^^)
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「押し活」

2023-10-14 | エッセイ
2023年10月14日(土)

今日も、藤井聡太君のニュースをテレビやネットで追いかけて過ごした。
そこで、今日は、ちょっと前に書いたエッセイ、「押し活」を・・。
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「押し活」                                
 ゴールデンウィークの間、中学生になったゆ~ちゃんと小学四年生になったみ~ちゃんを
連れて、娘が泊りに来てくれた。
駅に近い我が家のマンションからは、映画館、プール、日帰り温泉、ボウリング場といった
遊び場に歩いて行けるので、孫たちは楽しみにしてやってくる。
今日は、映画館に行くそうで、昼食の後、その時間まで、居間のテーブルでは、
娘がスマホを使い、私は、パソコン、テレビの前のソファーでは、ゆ~ちゃんもスマホ、
み~ちゃんは、タブレットでゲームと、それぞれのんびり過ごしていた。
 ゆ~ちゃんが娘の側に来て、スマホを見せながら何か言い、娘に、
「それは、まだダメよ。」
と、言われ、プ~っと膨れてソファーに戻った。
なんでも、ゆ~ちゃんの「押し」が、東京でコンサートを開くので、行きたいのだそう。娘に、
「押しって?」
と、聞くと、「押し」というのは、こちらがファンになっているスターのことで、
私には聞きなれない言葉だが、今の子たちには、普通の言葉だそうで、
「押し」のグッズを買ったり、コンサートに行くことを、「押し活」と言うのだそうだ。
(ゆ~ちゃんちゃんに、「押し」がいるの! 誰、誰?)
と、言いたいのを堪えたが、
「コンサートって、何千人も集まって応援するんでしょ。危ないよ。」
と、おばあちゃんとしても、賛成しかねる。娘も、
「まだ中学生に、コンサートは早いよねえ。」
と、言う。私は、
(高校生になって、友達と押しのコンサートに行くのでも、心配だわ。)
とは、スマホをいじっているゆ~ちゃんには聞かせないよう、心の中に留めておいた。
 そういえば、昨日、みんなで近くのイオンの中の電器店に行ったとき、
エスカレーター前の広場で、アイドルらしい男性グループが歌ったり、踊ったりしていた。
エスカレーターに乗ると彼らの後ろ側にまわるので、上からよく見えたが、数十人ほどの
若い女性たちが、周りを囲んでペンライトを振っていて、
(結構、人気があるんだな。)
と、思ったのだった。
「あれくらいなら近いし、安全だしねえ。」
と、娘と話していると、ポテトチップスを取りに、み~ちゃんがテーブルに寄って来た。私が、
「み~ちゃんにも、押しっているの?」
と、聞くと、み~ちゃんは、
「私は、歌が好きなの! 誰が好きとかじゃ、ないの!」
と、きっぱりと言い切った。
(それは、失礼しました。おばあちゃんも、そうだったわ。)

 ビートルズ旋風が押し寄せて来たのは、私が中学生の頃だった。
学校の音楽とは全く違うリズムとパンチ。そして、少しの不良感。歌詞もよくは
分からないまま、二つ違いの弟とラジオやレコードからの歌を、家で体を揺らしながら
歌っていると、父や母が渋い顔をしたが、それもまた、刺激的だった。
だが、一度、友達と映画館に彼らの映画を見に行ったとき、、館内は、「リンゴ―!」
「ポール!」といった歓声に埋まった。
私は、肝心の彼らの歌声がよく聞き取れないことが、残念で残念で、向かっ腹をたてながら
帰ってきた。
今なら、私は、異性を好きになるという思春期の入り口で、スターに憧れるその人たちに、
一歩遅れをとっていたのでしょうと、思えるのだが……。

あれから数十年。み~ちゃんに、
「おばあちゃんにも、押しがいるんだよ。」
と、話しを続けると、み~ちゃんは、びっくりしたようだった。だが、
「将棋の藤井聡太君っていうの。」
と、説明しても、よく分からないようで、興味を持ってくれなかった。
 藤井聡太君がタイトル戦に登場するようになった三年ほど前から、ニュースでも
よく見かけるようになり、若くて、強くて、礼儀正しくて、おまけに可愛い。
テレビに映れば、よく見えるようにと、すぐ画面の前にとんでいき、さらに、ネットでも
追っかけをしている。私は、将棋は分からないが、
今は、ネットの対局画面にパーセンテージで優勢か劣勢かが表示されるので流れは分かり、
応援しやすい。
対局中のおやつの映像を楽しみ、白や水色の若々しい色の羽織が似合うと目を細めたりする。
こういうファンは、“観る将”と言って、新しいファン層なのだそうだ。
私は、私の押しが、天才として、勝ちまくり、未来へ突き進むとき、その風を感じて
清々しくなる。
そこに、京都に住んでいて、年に一度会えるかどうかという孫の雷ちゃんの姿を重ねてしまう。
そんな私の胸の内のあれこれは、この場では口にしないでおこう。 
 私は、こうやって画面越しに押し活を楽しめるが、ゆ~ちゃんは、コンサートに行って
押しのオーラに直接触れたいのだろう。
そこで思いついて、目の前の娘に、
「もう少し大きくなって、押しのコンサートが埼玉である時に、一緒に行ったら?」
と、言ってみると、娘も、
「それくらいなら。」
と、ゆ~ちゃんに声をかけた。ゆ~ちゃんは、案外、喜ばず、スマホを見つめたままだったが、
ふっと雰囲気が丸くなったような気もした。
(ゆ~ちゃんもだんだん難しい時期が始まったようだ。ご苦労様。)
と、娘にエールを送りながら、私は、また、藤井聡太君のニュースをパソコンで
追いかけだした。                               
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、ウィステの「押し」の藤居聡太君が、ついに八冠になりましたよ♪
おめでとう~。(^^)                               
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