木が切り倒された情景を推理すると、新しくは、ダムが造られたとき、湖水域の樹木伐採。昭和初期の開拓。問題は縄文時代。
切り株から思い浮かぶ情景は、
切られた面には樹脂が残っています。
普通であれば、樹脂は雨に流され、あるいは昆虫に食べられ、切断面に残ることはありません。何故、
ここを製錬所にしようとやって来た人は、まず木を切る。伐られた木は集められ燃料に。
赤土を出すために黒土は掘られ切り株を埋める。
なるほど、ここの切り株は切られた後、すぐに埋められてしまった。
樹脂に守られた切断面は風化することなく当時の様子を今に伝えている。
山の間隔は6ミリくらい。どんな形状の刃だったのだろう。
Wikiによると
≪鋸は細かい刃を切り出し、それぞれを研いで「あさり」をつけるなど、製作には精密な技術と多大な労力が必要とされる。そのため古代・中世の社会では鋸はほとんど普及せず、斧、ちょうな、槍鉋で樹木の伐採から製材までをこなしていた。≫
たとえ造ることができたとしても、どのようにして研ぐのか、大きな疑問だった。もしチェーンソーの刃のような形状をしていれば、
これなら17日に登場した棒状の貨幣だったかもしれない石でも研げる。
そして、「縄文の炭素鋼」で登場した三角の鉄片が刃なら、縄文の技術力、驚くべし。
縄文の炭素鋼 - JA7GOG - 宇宙は生成と衝突破壊の繰り返し (goo.ne.jp)
デップスゲージを備えたこの刃を、10枚ほど、折れにくい鉄の板に叩き込んで並べれば、回転こそしないが縄文のチェーンソーの出来上がり。2種類の鉄を叩いて造る日本刀の原点はここにあったのかもしれない。
この柱を支えていた土は今はもうない。今、見えている切り株は畑の下に埋もれていた縄文時代の物だ。
明日は、火傷をせずに、焼けた岩に水を浴びせることができたのか、の謎。
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