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死は犠牲である。同時にまた贖罪である。何人(なんびと)といえどもおのれ一人のために生き、またおのれ一人のために死する者はない。人は死して幾分か世の罪を贖い、その犠牲となりて神の祭壇の上に捧げらるるのである。
これじつに感謝すべきことである。死の苦痛は決して無益の苦痛ではない。これによりておのれの罪が洗わるるのみならず、また世の罪が幾分なりとも除かるるのである。
しかしていうまでもなく、死の贖罪力は死者の品性如何によりて増減するのである。義しき者の死は多くの罪を贖い、悪しき者の死は自己の罪のほか贖うところはなはだわずかである。
人は聖くなれば聖くなるだけ、その死をもってこの世の罪を贖うことができるのである。あるいは家の罪を、あるいは社会の罪を、あるいは国の罪を、人は彼の品位如何によって担いかつ贖うことができるのである。死はじつに人がこの世においてなすをうる最大事業である。 (内村鑑三)
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(今日のお弁当)
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