並木たより

写真付き日記

確実なる事業

2006-06-25 09:06:51 | 日記・エッセイ・コラム

宗教とは寺院ではない。教会でもない。規則でもない。儀式でもない。また経文でもない。聖書でもない。宗教とは永久的生命である。あるいは、この生命を自己に摂(と)ることである。

この生命とその摂取がなくして宗教はない。宗教がこれであるとすればーーこれでなくてはならないーー伝道の何たるかは明白である。伝道は単に道を説くことではない。

伝道とは教勢拡張ではない。社会改良ではない。国家救済ではない。洗礼ではない。聖餐式ではない。伝道とは、霊的生命を他に供することである。その自覚而下的自我を養うことである。

宗教とは、政治、経済、医術と同じく、明白なる目的をもった明白なる事業である。これは単に歌と弁舌をもってする老若男女の慰安術ではない。これは曖昧模糊(あいまいもこ)を本領とする夢想家のたわごとではない。これは実物をもってする実用に応ずる確実な事業である。(内村鑑三)

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「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」(ミカ書6:8)

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(今日のお弁当)

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猫の手

2006-06-25 01:21:37 | 日記・エッセイ・コラム

午前2時前、ようやく、「草の根ネット麦の会 会報14号」の編集作業を終える。このために3晩ほど半徹夜したことになる。昔と較べて、事務能力の著しい低下を自覚する。

封筒の宛名印刷もひと作業。ただし、こちらはプリンターの性能次第。CANONのMP500を新調したので、随分楽になった。10号くらいまでは、相棒との共同作業で、「楽」であった。(「楽」とは、(1)容易で、かつ、(2)楽しかった)。その相棒は、タイへ行ったきり。何を考え、何をしているのやら。

「猫の手も借りたい」という言葉がある。わずかの援助でも、時として、補助の力が極めて大きく感じられることがある。孤軍奮闘の際は、援軍の有難味が特に大きい。

補助といえば、ジャワに行った学生たちは、人の助けになる「働き」をしているだろうか?「はたらく」とは「ハタの者」を「ラクにする」ことなのだが、「ハタの者」に迷惑をかけて、「はためい」になっているのではあるまいか!

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「世には友らしい見せかけの友がある。しかし、兄弟よりもたのもしい友もある」(箴言18:24)

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