河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話171 / さんさんと

2025年03月03日 | よもやま話

昨日3月2日は石川大清掃。
流域の人々が約1万人集まって石川のゴミを拾った。
我々百姓仲間はダムの水門付近に集合。
ゴミ集めは少年野球の子どもたちにお任せして、おっさんたちは雑木の伐採。
一時間足らずの間に、ゴミの集積場は山のようになる。
過去の集計では50トンのゴミが集まるという。
なんとも逞しい人々の力よ!
だが、逆にいえば、50トンものゴミを捨てる人間がいるということだ。
なんとも情けないことよ!

今日は朝から雨。
しばらくまとまった雨が降らなかったので、田畑に水を入れるダムも涸れかけの溜池状態だった。
有難い雨だ。
 ♪雨潸潸と この身に落ちて
 わずかばかりの運の悪さを恨んだりして♪
 (「愛燦燦」詞曲 小椋佳)
「潸潸(さんさん)」は〈涙が流れるようにさめざめと降る様子〉。

雨、さんさんと……、3・3。
三月三日……、今日は雛祭。
女の子の健やかな成長と健康を願う祭。
 ♪春の弥生の この佳き日
 なにより嬉しい雛祭り♪

 

「元始、女性は実に太陽であった。真正(=真実で正しい)の人であった」
女性解放運動の先駆者、平塚らいてうの雑誌『青鞜』発刊の冒頭の言葉だ。
「太陽であった」と過去形にしているのは、明治・大正の今は違うということだ。
この後、次のように続く。
「今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のように蒼白い顔の月である」
自らが燦燦と輝く太陽でなければならないのに……。
 ♪ 愛燦燦と この身に降って
 心密かな嬉し涙を流したりして
燦燦と輝いているのは男性? 他者?
女性は、まだまだ受身?
いやいや、時には太陽のように逞しく、月のように優しく輝けばよい。
女性に限らず男性も。


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