明治時代になり、男性は斬髪令(断髪令=明治4年)が出されたので散切り頭になったが、女性には特に決まりはなく日本髪のままでもよかった。
十五歳くらいになると、それまでのお下げから前髪を上げて日本髪を結う。
以後、大人の女性として扱われる。
①ねえ、あの日のこと覚えてる? まだ髪上げをして間もない君が、リンゴ畑の樹の下を歩いて来たよね。その時、僕は初めて君を見て、胸がドキドキして、じっくりと顔も見ることができずに前髪に挿した櫛ばっかし見てたけど、櫛から垂れさがっている造花の花のように可愛く美しいと思ったよ。
②それから何度か遭ったけど、会釈して通り過ぎるだけだった。でも、君と話をしたくって、ある日、「こんにちわ」って言ったら、君も「こんにちわ」って言ってすれ違おうとしたとき、君が着物の袂(たもと)から、まだ青みがかったリンゴを一つ出して、「家の畑に初めて成ったリンゴです」って言って、優しく白い手で僕にリンゴを一つくれたよね。あれが、女の人を恋しいと思った最初だったよ
③それから、出逢うたんびにリンゴの樹の下に座って、話をしていたけど、いつか、ふと顔があって見つめ合って、僕が思わず君の耳元にに口を近づけてもらした吐息が、君の髪の毛にかかったので、思い切って、その頃に本で読んだ「愛してる」という言葉を言うと、しばらくはにかんでいた君が「私も、あい・・・いえ・・・私もです」って言ってくれて、好きだとか恋しいだとか愛しているというのは、大人たちが酒を酌み交わして互いの心を確かめ合うような、ちょっぴり酔っている楽しい気分になったなあ。
④僕が結婚しよう」と言う言葉をためらっているのを感じたのか、「ねえねえ、このリンゴ畑の樹の下に、いつの間にかできた細道は誰が踏み歩いて造った思い出の道か知っている?」って君がやみくもに質問してくれた。それで、僕の決心がついた。
「愛している! 僕と一緒になろう!」
初 恋
まだあげ初めし前髪の / 林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の / 花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて / 林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に / 人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの / その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を / 君が情に酌くみしかな
林檎畑の樹の下に / おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと / 問ひたまふこそこひしけれ
(『若菜集』島崎藤村)
日本に、林檎は平安時代からあったが、和林檎という野生の粒の小さいものだった。
今のような大きな西洋林檎が栽培されたのは明治七年からで、その苗が成長して実をならせるまで五年。
たわわに実るようになるのに十年。種を採取して苗木を育てるまでに二十年。
明治30年頃からようやく各地で栽培され出す。
「初恋」が発表されたのは明治30年だから、林檎畑がまだそんなにたくさんあったわけではない。
キリスト教徒だった島崎藤村がアダムとイブの禁断の果実の話に、明治になってつくられた「愛」「恋愛」という言葉のイメージを付け加えたのだろう。
しかも、初恋だから真っ赤な林檎ではなく「薄紅の秋の実」でなければならない。
藤村自身は自分の初恋を六歳の時だと言っている。
六歳ならまだ実が青すぎるし、③三連「わがここなきためいきの・・・」は刺激が強すぎる。
藤村が20歳になり明治女学校高等科英語科教師になったとき、教え子を愛したことで辞職している。
どうやらそのときのイメージを重ねたのかもしれない。
実際、③三連は初恋のイメージと合わないというのでカットされている。
今の中高生なら「それぐらいあったらエエんとちゃう!」と言うだろうが。
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