文月の末、河内を立ち、西国街道を西へ。
昆陽(伊丹)、大蔵谷(明石)、加古川、正條(たつの)を過ぎ、片山(備前市)から道を北へとって和気の宿にたどりついた。
金剛川の堤防から正三角形の和気富士を眺める。この炎天の中、よくぞここまで来たものよと、ようやく旅人の心地がする。
汗拭きし旅人見上ぐ 和気の富士
普段なら岡山に出て倉敷を見物し、備中高松城から津山に向かうのが常ではあるが、それでは興趣がなかろうと、岡山藩の三大河川の一つである吉井川に沿って北上。
夕景になって、招きを受けた赤磐郡周匝(すさい)村の旧友の館に着いた。
周匝は本来「しゅうそう」と読み〈まわりをとりまく〉の意である。
村の周りを山に囲まれているからか、あるいは、吉井川とその支流吉野川の合流点にあることから川に囲まれている意でついた地名であろう。
江戸時代には岡山藩家老池田氏の陣屋町として栄えた所である。
村の西方にある茶臼山の頂に山名氏、赤松氏、浦上氏、宇喜多氏と続いた茶臼山城の模擬天守が建てられているというので見に行く。
どうせコンクリートにペンキを塗りたくった城であろうと思っていたが、二層三階の見た目は木造のなかなか立派な城だった。
中の造りも古城らしく施され、天守に上ればひんやりとした風が心地よい。
旅人の城へ上れば夏の空
尾根づたいに標高300mの位置にある山里へ行く。
その名も是里(これさと)という自然の塊のような里である。
そこに、数年前に個人が三年間の歳月をかけて建てた展望台があった。
それに上ると周匝の村が一望できる。
もう少し時間が早ければ、朝日に輝く雲海を望むことが出来るという。
雲海はまたの機会と山を降りる。
途中、山からの湧き水をひいた水源があった。
猛暑に渇いた喉を冷たい水で潤す。ふと傍らを見ると、街では珍しい金梅草(きんばいそう)の黄色の花が鮮やかに咲いていた。
山清水 すくいて眩(まぶ)し金梅草
次の日は湯郷を過ぎて美作の国に入り、奈義という町に行った。
那岐山の中腹600mに菩提寺という古刹があった。
浄土宗の開祖法然が9歳から13歳まで修行した寺だという。
幼い法然は、麓にある阿弥陀堂のイチョウの枝を折って杖にしてこの寺にたどり着き、「学成れば根付けよ」と境内に杖を挿した。
それが根をのばして成長し、大きなイチョウの樹に成長した。
高さ45m、幹周り12m、樹齢900年を超える全国銘木百選に選ばれた大銀杏である。
大銀杏 見上げておれば鐘の音
大銀杏の根に触れて霊気をもらい、なんともレアな旅を終えた。
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