昨日は久々に山奥へ。完全無農薬の野菜を作ろうとすると、もはやここまで来なくては出来ない。二時間ほどひたすら草抜きをして、ふと見上げると一面の新緑。朝、着いた時には気づかなかったのだが、陽を受けて真に鮮やかである。
こんな話がある。
一人の牧夫が、一匹の牛を家族のように大切に飼っていた。ところが、ある日そのうし牛がいなくなった。男は必死で牛を探す。ようやく牛を見つけて連れ戻そうとするが、牛は頑として動かない。格闘の末、やっとのことで牛を家に連れ戻すことが出来た。家に帰り、ふと庭をの片隅を見ると、実に見事な花が咲いていた。
実は始めから庭に花は咲いていたのだが、牛(=本来の自分)を見失った男には見えなかったのだ。苦労して牛を連れ戻したからこそ、花のあるがままの姿、本当の美しさに、はじめて目覚めることができたという話である。
禅の悟りの境地について書かれた『十牛図』の中の話だ。花や緑のあるがままの美しさは、苦しい道のりを経てはじめてわかる。
禅の言葉に「柳緑花紅=柳は緑、花は紅」というのがある。何の変哲もない風景だが、あるがままの姿をありのままに見るという禅の境地を表している。「Let It Be」もまた、そういう「あるがまま」の境地なのだと独り納得。
山奥でひたすら草を抜き、鮮やかな新緑の美しさに気づいた我もまた、ようやくその境地に近づいたのかと思うのだが、悟りの境地とは腰が痛いものだ。
見るほどにみなそのままの姿かな 柳は緑 花は紅 (一休さん)
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