「Let It Be」を「なるがまま」と訳したが、どうも百姓的な訳し方だという思いがある。
野菜作りは「なるがまま」にならない時が、おうおうにしてあるからである。秋に植えたタマネギが抽苔(とうだち=茎を伸ばして花を咲かせる)した。
玉を大きくする前に子孫を残そうとしているのである。こうなりゃ地中の玉の栄養がすべて花にまわされ、玉葱が大きくならねい。これも俺いらが悪いのさ!
風はきままに吹いている 鳥はきままに鳴いている
どうせ男と生まれたからにゃ 胸の炎はきままに燃やそ
意地と度胸の人生だ
ままよなげくな いとしいお前
明日は 明日の風が吹く
※『明日は明日の風が吹く』(石原裕次郎 井上梅次 作詞)
「なるがまま」にならなかったことを「ままよ嘆くな、きままに暮らそう。明日は明日の風が吹く」と少々なげやりな気分になる。
しかし、これは「Let It Be」の精神とはかなり違う。
「なるがまま=きまま=明日は明日の風が吹く」では、どうにもならなくなるときがある。いとしいお前にすれば、たまったものではない。
もちろん、石原裕次郎は、いとしいお前のために、どうにもならないことに立ち向かっていくのであろうが・・・。
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