※「老いの小文⑥」からのつづきです。
かげろうが揺らぐ春の日、野辺に出て、ふりさけ見れば足ひきの山の尾の上の雲霞み。色添え、匂う桜の花盛り。折々通う春風にもなんとも言えぬ花の香がする。
なんぞと書き始める予定の備前の旅のはずだったが、花のつぼみはまだ固い。おまけに、三日目から雨模様。しかたなく、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した剣を洗った滝から、男根を祀る金勢大明神をめぐり、道を南へとって日生の海に着いた。
瀬戸内に面した日生の海は、波静かに鏡のごとくして陽に輝き、突如として現れる数十の島々の松樹の碧緑を映す。青垣なす山々を背に、春うらうらの浦風うけて海浜にたたずめば、白砂青松まことに書にも及ばない絶景である。
なんぞと書きたかったのだが、日生の名のごとき日は生ぜず、島々は降る雨にかすんで下手な水墨画を見ているようだ。
早々に日生を外れ備前市に向かう。2号線から道をそれると伊部(いんべ)という古い街並みに入った。今年、ドジャースに移籍した山本由伸選手の生まれ故郷だという。なるほどさようかと、車はスプリットやカットボールの緩急おりおりに街並みを抜け、2号線にもどる。
友人が「美味いうどん屋があるのだ」と、時たま走る新幹線を尻目に吉井川沿いの堤防へ。河川敷ながらなんとも広いゴルフ場で、パルグリーンゴルフクラブというそうだ。なんでも、全米女子プロゴルフ選手権を制した岡山生まれの渋野日向子が練習を積んだゴルフ場だという。いつしか旅は、ご当地出身有名選手のツアーとなって車は走る。堤防をゆったりと左フックした先にうどん屋があった。
地元備前長船の刀工「福岡一文字」から『一文字』と名付けられたセルフのうどん屋だ。麺にこだわり、地元産の小麦を石臼で挽いた自家製小麦粉を使っている。醤油も岡山産の甘めの濃い口。ちょうど大阪の「けつねうどん」を食べているようで、よく口に合う。せっかくなので、岡山の牧場の牛肉の入った肉うどんを頼む。柔らかいながらも、しっかりと肉の味がして美味かった。備前のうどんはあなどれない。
やわらかに春雨見つつ肉うどん
うどん屋を出て備前長船刀剣の里へ。、現存する名刀の70パーセントが備前の刀だという。長船一門の祖である「光忠」から二代「長光」、三代「景光」へと伝承された中で刀剣王国が築かれていった。質・量ともに全国1位の鉄の産地で、古くから渡来人が渡り住み、優れた技術が伝承されたからだろう。良質の土から作る備前焼もしかりである。
してみれば、素戔嗚尊が八岐大蛇を斬った十拳剣(とつかのつるぎ)は長船の地で得たものだろう。だからこそ、お礼をこめて、わざわざ出雲から備前に戻って剣を洗い、備前の神に奉納したのにちがいない。
ようやく雨があがった。刀剣博物館という大きな施設があるのだが、往時が偲ばれる所の方がよかろうと、長船の刀匠たちの菩提寺である西方寺慈眼院に行く。かの西行法師も訪れて歌を詠んでいる。
長船に鍛冶(かぢ)する音の聞こゆるは いかなる人の鍛ふなるらん
門をくぐって境内に立ち、空を仰ぐと、あちこちから刀を打つ(=鍛える)槌音が響いてくる気がする。初代長船光忠の槌音か……、素戔嗚尊の剣を打つ音であろうか……。満開の桜を見ることはできなかったが、はるか古に思いをはせる幸せに巡りあった。
本殿にお詣りし、傍らにあったセルフのおみくじを引く。
「このみくじにあう人は 枯れ木に見えても 春がきて 再び芽をだすように 目上の人の引き立てにより 幸せの芽がでる」、吉とでた。
刀打つ音夢に聞く彼岸かな
※山陽新聞3/24朝刊の天気予報
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