今ではどの家庭にも電気メーターがあるが、昭和前期にはよほど裕福な家庭にしかなかった。
各家庭に電気はひかれていたが、当時の電気料金は「一戸一灯契約」という定額料金で、1世帯で1個の電球を使ってもいいですよ という料金体系だったのだ。
これに目をつけたのがパナソニック(松下電器)の松下幸之助。
電球ソケットの横にもう一つソケットの付いた「二股ソケット」を開発して大ヒットする。
このソケットのおかげで一家に一つだけソケット(コンセント)があることになる。
これで充分。電化製品といえば扇風機と電気アイロン、ラジオしかなかった時代である。
そんなある日の朝。
ラジオの午前7時の時報のあと臨時ニュースが1分間放送された。
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」
正午にも、ニュースに続いて時の東條首相による開戦に際して国民に向けた演説「大詔を拝し奉りて」が放送される。
「ただいま、宣戦の御詔勅が煥発(かんぱつ)されました。精鋭なる帝国陸海軍は今や決死の戦いを行いつつあります。東亜全局の平和は、これを念願する帝国のあらゆる努力にも関わらず、ついに決裂のやむなきに至ったのであります・・・」
1941年12月8日の月曜日(アメリカは日曜)、東アジアの平和を守るという名目の「大東亜戦争」がはじまった。
当時の人はどんな気持ちでこのラジオ放送を聞いたのだろうか。
といっても当時のラジオの普及率は50%。
※下の絵は「千人針風景」京都大学図書館でデジタルアーカイブ より
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