河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

もじり俄

2022年09月11日 | 祭と河内にわか

 お茶屋で演じられた〈座敷俄〉は、お囃子を入れることができる。
 そこで、しだいに芝居じみたものになり、次の明和(1764~)になると歌舞伎を真似た〈もじり俄〉が登場する。
 その例を一つ。意味不明部分は省き、歌舞伎調なので七五調に近づけて現代語にした。声を出して読んでもらうと自然とリズムが出てくる。

牛の刻詣り 
 三味線の出囃子がはいる。
「あらうらめしの女子(おなご)やなあ」
 女が登場
「枕はほか(他の女)とは交わさじと、言いし亭主も今はあだ浪、浪は越すとも松山の、女子(おなご)につもるこの恨み。とり殺さいでおこうか」
 【浄瑠璃】右に持ちたる灸箸で、左のモグサひとつかみ、女子に灸をすえてやると、神社に伸べ伏す松の木を、憎い女と狙い寄り、幹のくぼみに目をつけて、
「ここぞ女子の咽ぶえなり」
 【浄瑠璃】モグサをいくつも並びかけ、頭に灯す蠟燭で、モグサに火をつけ、くっすくっす。くすぶる煙ともろともに、胸も逆立ち真意の炎(ほむら)。火炎の如く烈々と、天をおかして立ちのぼる、恐ろしかりける次第なり。
 神主を先頭に大勢が出てくる。
神主「皆、こっちじゃ。うさんくさい女がおるわい」
 大勢が女をとり囲む。
「どうぞ許してくりゃしゃんせ。何を隠そう私は、亭主を寝取られし腹立ちで、牛の刻詣りでございます」
神主「なんと言う? 牛の刻詣りというものは釘と金槌じゃ。やいと(お灸)すえる刻詣りとは初耳じゃ。例のないことはかってが違う。神も納得なされまい」
「いえいえ、やいとでなければなりませぬ」
神主「そりゃ、どうして?」
「亭主を寝取った娘というは」
神主「娘というは?」
「糠屋(ぬかや)の娘じゃ!」

 「糠に釘」で、糠屋の娘に釘では呪いが効かない。だから、お灸をすえるのはやいとでなければならない。
 話の筋が首尾一貫していて、最後のオチも効いている。物でオチをつける河内俄のよい見本になる。
 河内俄の味は、半分は芝居、もう半分はオチにある。

〇百姓などいやだと言って家を飛び出した息子が、苦労の末に何年か経って帰り、親父に向かって、
息子「お父ん、永い間、迷惑かけてすまなんだ」
親父「おお、今日のことで、ようやく目が覚めたか」
息子「ああ、改心して、これからはまっとうになったる」
親父「おお、よう言うてくれた」
息子「そやさかい、もうしばらく待っといて」
親父「よっしゃ、わかった。ほな、これを持っていけ。おい、お母ん、今日、畑で採ったのをて持って来い」
 お母んが出て来る。
 「二人で精魂込めて作った大根や」と手渡す。
親父「魂こもったこの大根。これで立派になって来い」
息子「大根で立派になれとは。ハテ?」
 「ハーテ?」
息子「ハテわかった。今は味ない大根やけど、いずれ立派なコウコウ(香香・漬物=孝行)になるわい」

 「大根=孝行」のオチがよく使われるが、もともとは『中乗り新三』という俄で使われていたものだ。
 ヤクザに身を落とした新三が茶店を営む父の所へやって来て、何年か後に必ず戻って来て親父のために働くと約束をする。店を出ようとする新三を呼び止め、父が大根を手渡す。
 大根が出てきても不自然でない場面設定の中で、親不孝者が改心→大根→孝行になる、で筋が通る。
 今年は三年ぶりに秋祭りが開催される。 

コメント
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