河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

歴史31 明治――大深の一寸③

2022年12月20日 | 歴史

明治時代の話や。明治という時代がきて日本は大きく変わった。
江戸時代は、土地の持ち主は領主のお殿さんで、その下に広い土地を持つ庄屋はんがいて、それなりの土地を持つ本百姓。それと、庄屋の土地で働く水呑み百姓とに別れていた。
それが明治になって地租改正というのがあって、お殿さんはが無くなった(廃藩置県)。
土地はその土地の持ち主のものになったんや。ええこっちゃないかいと思うやろけど、
広い土地を持つ庄屋はんが大地主になって、それなりの土地を持つ本百姓が自作農家。それと、庄屋の土地で働く水呑み百姓が小作農家と名前が変わっただけや。
それどころか、米で払っていた年貢を税金、お金で払えということになったんや。
米を作って年貢を払うて、残った米でしゃぶしゃぶのオカイさんすすってコーコかじって自給自足してたとこへ、税金を払えや。
現金収入になりそうなものは夏場のワタくらいしかなかったがな・・・。

そんな明治という時代の中頃のこっちゃ。
明治22年(1889)4月1日に町村制が施行されて、それまでの石川郡喜志村が単独で自治体を始めた記念すべき年や。
その時の住所でいうと南河内郡喜志村大字大深(おおけ=現在の喜志町)に喜いやんという人が住んだはった。
喜いやんが百姓仲間としゃべってた。
「喜いやん、明治になってから良うなるんかいなと思てたけど、何んもようならんがな。それどころお金で税金払えときよったがな」
「ほんまやのう」
「この夏場はワタを売って、秋はわずばかりの米を売って現金は入ってくるが、冬場は牛のエサにする麦を作るだけで、現金が入ってけえへんがな」
「そやなあ、冬場に現金になる野菜か・・・?」

さあ、それから喜いやんが冬場に現金になりそうな野菜を考えた。しかし、キャベツや白菜はまだまだ広まってない時や。
そんなある日に息子と話していて孫娘の話になった。その時、ふと思いついたんや。
ええか。こっからや。墓でしてた話は。
喜いやんの孫娘が、尼崎の武庫村(阪急神戸本線・武庫之荘駅あたり)の婿さん所に嫁にいってる
これが「アマのムコのムコにマゴ・ムスメがヨメにいってる」となって、酔うて話してるうちにこんがらがってもうたんや!
さあ、その孫娘から、武庫村では「武庫一寸」という空豆を植えて相当の現金収入を得ているという話を聞いていた。
これやと思うて、孫娘に頼んで、盆の藪入りの時に一握りほどの空豆の種を持って帰ってきてもろたんや。
秋にこの種を植えた。3月頃に花が咲くのやが赤花と白花の株がある。翌年の春に収穫すると白花の株の豆が大きい。
その中から大きい種を選別して秋に植える。これを数年繰り返すうちに一定して大きな空豆ができるようになった。
収入も増えた。これを聞いた大深の百姓が喜いやんから種をもらい収入を増やす。それを聞いた喜志村の百姓が種をもらい収入を増やした。
大深の一寸豆は喜志村の農家を大いにうるおしたんや!

やがて「河内一寸」の名で種を販売しだすと、大阪はもちろん全国から注文が殺到したということや。
戦前、戦後のすぐくらいは南河内は河内一寸の一大産地あったんや。
今は夏のなすびが中心やけどな。
ちなみに、喜志で一番最初にナスのビニールトンネルを始めたのも大深の喜いやんの親戚ということや。
こら、一寸(ちょっと)した豆知識やけどな。
そう言って春やん、こじゅうた(餅箱)を持って帰って行った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史31 明治――大深の一寸②

2022年12月19日 | 歴史

冬休みに入ったばかりのある日のことだった。
野球をしようということになって、前の日から人数集めをして、朝の9時に墓の横にある田んぼに集合ということになっていた。
川面には公園はなく、広い遊び場は田んぼしかなかった。墓の横の田んぼは稲の株を短く刈っていたし、真四角で野球するにはもってこいだった。
友達ニ、三人で墓につづく細い道を歩いていると、焼き場の煙突から黄色い煙がうっすらと上がっている。
「誰か死なはったんやな。見に行こか」ということになった。

墓で走って転ぶと死ぬという言い伝えがあったので、ゆっくり歩いて阿弥陀堂に行き、裏の焼き場をのぞくと春やんと二人のオッチャンがいた。
オンボ(隠亡)という一晩中、火の番をする役目で、年寄りが交代でやっていた。
冷ましている途中だったのだろう。釜の火はほぼ消えていた。
喪主からの接待で弁当や茶菓子、酒も置いてあった。
酔っているのか春やんが怪しいロレツで、
「おあおお、や、野球か。ほっとけさんの供養や。好きなお菓子、持ってえ行き!」
「おおきに」と言ってニ、三個ずつポケットに入れると、
「遠慮せんでかまへえん! ほっとけさんの供養や! そこのお供えの岩おこしも持ってき!」
「おおきに」と言って、一つずつポケットに入れた。
隣にいたオッチャンが春やんに、
「ほんで、春やん。先前(さいぜん)のムコがアマにムスメのマゴのヨメがムコに行った、というのは、な、なんのこっちゃねん?」
「ちゃ、ちゃうがな! マゴのムスメがアマのムコのムコにヨメに行ったんやがな!」
「なるほどアマのムコにマゴのムコのヨメが行きよったんやな!」
「ちゃ、ちゃうがな・・・」
こないに酔うて大丈夫かいなと思ったが、骨上げの前に町総代と年行事が来て引き渡しをするとお役目御免ということだった。

ニ、三日後に我が家の餅つきがあった。いつものように春やんも手伝いにきていた。
御鏡用の餅をつき、小餅をつき、かき餅にするエビ、青のり、ヨモギをついた。
私と兄は河原で切てきたネコヤナギの枝に赤、青、緑の餅をひっつけて餅花を作っていた。
春やんが「その餅花はなんのために作るか知とるか?」とたずねてきた。
「飾りやろ!」と兄。
「キリコ(小粒のおかき)つくるためや!」と私。
「まあ、それもあるけど、木綿を作るワタの豊作を祈るためや!」
「ワタみたいどこの家もを作ってないやん!」
「江戸時代には自分らの着物を作るため。それとちょっとした金儲けに作ってたんや」
春やんが湯呑の酒を飲んだのを見て、焼き場のことを思い出してたずねた。
「こないだ焼き場でムコとかマゴとか言うてたけど、なんのこと?」
「ああ、あれかいな・・・」と言って春やんが話し出した。

③につづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史31 明治――大深の一寸①

2022年12月18日 | 歴史

――歴史を考える時は当時の地形・地理を頭に入れておかんとあかん――
春やんがよく言っていた言葉である。
地形の変化は海や川・湖などの水の影響が大きい。
鎌倉時代までの大阪がそうだ。
上町大地の半島より東側は河内湖(後に河内潟)だった。
それが淀川や大和川が運ぶ堆積物によってゆっくりと縮小していった。
そして、江戸時代の大和川の付け替え工事(1703年)によってまた大きく変化する。

川面の浜の剣先舟の水運が盛んになったのも大和川の付け替え工事のお陰だ。
川面は東を流れる石川によって大きく変化する。
江戸時代の石川は西の河岸段丘沿いに流れていた。

明治の中頃に河南橋の上流に堤防が築かれ、石川は東寄りに流れを変えた。
新田開発が行われ「裏脇」と呼ぶ田畑ができた。
そして、石川に河南橋が架けられて新道(府道美原太子線)が出来たことで、石川西岸の新田が開発される。
現在は西条町となっているが、太子街道を挟んで「上の田」「下の田」と呼んでいた。

明治の末には、もう一本の堤防が東に築かれ、石川はほぼまっすぐな川になる。
そして、現在の中小企業団地にあたる広大な新田が開発された。
♪喜志の川面小在所なれど 浦に小舟がどんとつく♪
川面の浜の剣先舟はなくなったが、小在所の川面が少し大きな小在所になった。

裏脇の田んぼの中にぽつんと川面の墓があった。
河南橋の西詰を南に高さ2mほどの堤防を進み、100mほど行った所に細い道があって、西に曲がって50mほど行った所に墓はあった。
入口に六地蔵さんがあり、墓が並んだ奥に阿弥陀さんの石仏がまつられていて、その裏に焼き場があった。
その後ろに大きな楠の木があって、その横に余った遺骨が捨てられていた。
「夕方に、あこに行くな! 火の玉が出る!」と親たちは言っていた。


②につづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俄――浜の人情兄弟

2022年12月17日 | 祭と河内にわか

 【登場人物】母・兄=直三・弟=兼松

 下手(右)から商人姿の兼松が登場。
兼松 久々に川面の浜に帰ってきたがな・・・、やっぱり故郷はええなあ。とはいえ、大阪に出て商売人になるんやと言うて、家飛び出してから十年。直三の兄貴も、オカンも怒ってるやろなあ・・・。
 上手(左)からオカンが登場。もうろくして気が付かない。
  せがれ直三の船大工の腕も上がり、剣先船の注文がようさんくるようになった。ああ、けっこなこっちゃ、けっこなこっちゃ。
 言いながら兼松の前を行き過ぎる(左へ)。
兼松 も、も、もし。
 母は振り向いて兼松を見るが気が付かない。
  はあー?
兼松 もしもし。
  ♪カメよ♪・・・あんた、カメさん!
兼松 ちゃうがな。わしや。
  ワシかいな。
兼松 ちゃうがな。オレオレ、オレや。
  (びっくりして)ワシやのうて詐欺(サギ)やがな! 
   (しゃがみこんで手を合わせ)なまんだぶ、なまんだぶ・・・。
兼松 ちゃうがな。オカン、わてやがな。
 言いながら膝まづき、オカンの顔をじっと見る。
  オカン・・・?
 言いながら、顔を兼松の顔に近づけてじっと見て、正面を向き、ニッコリ笑い。
  なーんや、直三かいな。
兼松 直三は兄貴の名前やがな。俺や、弟の兼松や!
  か、兼松・・・。
 と、もう一度顔を近づけ(5秒)、正面を向き、ニッコリ笑い。
  ああ、兼松や、兼松やがな。
 二人は歓喜で手を取り合う。久しぶり。達者あったか。どないしてたんや。などと言い合っている。

 そこへ上手から職人姿の兄の直三が登場。喜び合う二人を見て、怒りの表情でじっと立つ。
 母が直三に気付き、兼松やがなと無言で指で示すが、直三はますます怒りの表情。
直三 なにをさらしてけっかんねん!
兼松 あ、兄貴。
直三 兄貴? おまえみたいなやつに兄貴と呼ばれたないわい。十年前に、商売人になると、勝手に家を出くさりやがって、後に残ったわしらがどんなに苦労したか、知っとんのか?
兼松 商いのメドもどうにかたったんで、恥を忍んで帰って来た。兄貴、すまなんだ。
三 どうせ口から出まかせやろ。
兼松 出まかせやない。十年必死で働いて、旦那はんから暖簾分けの許しをもろうた。
直三 暖簾分けとは大きくでたやないかい。
兼松 これでわしも一家の主・・・と言いたいんやが、その資金に五十両ほど足らん・・・。なんとかしてもらえんやろか?
直三 ハアー。五十両。金を借りに来たんか? 
  (拝むように)直三、なんとか、なんとかならんか?
直三 あかん、あかん。こんなやくざな弟に貸す金はないわい。オカンもそう思わんか?
  (泣きながら) やくざな・・・子ほど可愛い。
直三 ハア、やくざな子ほど可愛い? そしたら、ずっと傍にいて親孝行してきたわしは可愛ないのか? アホらし、ほな、わしも親孝行はやめや。ああ、アホらし! とっとと帰れ、帰れ。
 そう言いながら上手に引っ込む。
  兼松・・・すまんな、すまんな、許してや・・・。
兼松 ああ、かまへん、かまへん。今晩は、昔なじみの家にでも泊めてもらうわ。
  そうか、すまんなあ。
 そう言いながら上手に引っ込む。
兼松 十年もほったらかしにしてたんや・・・。そら怒るわなあ。
 下手に引っ込もうとすると、上手から直三が登場。
直三 兼松! 今から帰るんかい。腹へるやろ。にぎりめしや。金はだんどりできんけど、これくらいは恵んだるわ。
 風呂敷包みを渡す。
兼松 兄貴!
直三 兄貴とぬかすな。むしずがはしる。とっとと帰れ。
 そう言って上手に引っ込む。
兼松 はー、やっぱしなあ・・・。さあ、せっかく故郷の川面の浜に帰って来たんや。幼なじみの留吉の家にでも泊めてもらうとするか。
 チョーンと拍子木が入り、下手に引っ込む。

 チョーンと拍子木が入り、下手から兼松が登場。
兼松 ああ、よう寝たわい。やっぱし幼なじみというのはええなあ。昔のまんまや。
 上手からオカンが慌てて登場。
  おお間におうたがな。どうせ朝一番の剣先船に乗せてもろて帰るやろうと思うて、慌ててやってきた。
兼松 オカン。
  腹へるやろ。船の上で食べてんか。弁当や。
松 弁当で思い出した。昨日、兄貴が握り飯やというて・・・。
 言いながらタモトから風呂敷包みを出し、ゆすぶると中から五十両と紙切れが落ちる。
   な、なんや、小判や。それも五十両。手紙が付いてる。「縁があったらまた逢おか。それまで達者に。浜の兄」。
   (泣き泣き)兄貴!
 上手から直三が風呂敷包みを持って登場。
直三 朝の早うに留吉が、兼松から預かった大阪土産やいうて持ってきてくれた風呂敷包み。中をあけたら三百両。添えられた手紙に「葛城屋幸兵衛こと浜の弟より」とある。
兼松 兄貴、だましてすまなんだ。暖簾分けも五十両もウソや。十年も家をほったらかしにしていたわしを、ほんまに許してくれるか試したんや。実は、葛城屋の親旦那はんに見染められ、一人娘の婿になり、今は二代目葛城屋幸兵衛。
直三 兼松!
兼松 兄貴!
 二人が手を取り合う。
 オカンが弁当を兼松に手渡す。
  この弁当が二人の気持ちや。
 兼松が弁当の蓋を開ける。
兼松 なんやこの弁当。白いまんまに梅干しが二つ。これが二人の気持ちとは、ハテ?
直三 ハーテ?
兼松 ハテ、分かった。ままよ十年漬け込んで。
直三 酸いも甘いもしみ込んだ、真っ赤に輝く、
二人 立派なホシになったわい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俄――川面の渡し最後の日

2022年12月16日 | 祭と河内にわか

 下手から佐助が登場。祭衣装。法被を前であわ せにして紐で縛っている。 
佐助 (くたびれた様子) ああ……今日も一日が終わった。明治になって世の中が変わったけど、わしの暮らしは相変わらずの貧乏やがな。神も仏もあるかいな。さあ、さあ、帰って屁ーこいて寝よ。
  舞台の下手で寝る。  上手から神様が登場。  白のシーツを頭からかぶり、腰で帯を結んでいる。
神様 おい、佐助。おい、佐助。
佐助 (眠そうに目をこすり、ハッと気づいて) なな、なんやお前!
神様 神さんや。
佐助 神さん? 間男してるとこを丹那に見つかって逃げ出した男にしか見えん。
神様 あほ言うな。おまえが神も仏も無いと言うさかいに、出てきたったんや。
佐助 ほんまかいな。
神様 ほんまや。佐助、毎日精出して、正直に働いとるさかいに、ええ目、見さしたろ。
佐助 ええ目に……ほんまかいな。
神様 よう疑うやっちゃな。ええか、二上山から朝日が昇る頃に、石川の渡し場の東の浜へ行け。そこに、地蔵さんが祀ったる。そこへお参りせえ。(かわいく) ほなまたね。(上手に引っ込む)
佐助 もし……ああ、行ってもたがな。嘘か誠か、明日いっぺん試したろ。
    下手に引っ込む。上手から、あくびをしながら幸平が登場。佐助と同じような格好。
幸平 ああ……毎日、毎日、この石川の川面の渡し場から、二上山から昇る朝日を見て、今日一日の始まりや。それも、もうじきあの橋ができたら、渡し場の舟頭も終わりや……。


 

 下手から佐助が登場。
佐助 ええ目にあわしたるさかいに、東の浜の地蔵さんにお参りせえて、ほんまかいな?
幸平 おっ、喜志の佐助やないかい。
佐助 なんや、正直もんの幸平やないかい。渡し舟の舟頭やってんのかいな?
幸平 そやがな。祭ぐらいでしか会わんもんなあ。なんや今日は?
佐助 東の浜まで渡してくれるか。
幸平 用事か?
佐助 ああ……太子のおばはんの具合が悪うてなあ。
幸平 見舞いかいな。まだ早いさかいに、ほかの客はおらんやろ。ほな、舟出すで!
   竿を突いて船を出す。太鼓が、ドドンドンドンドン……(波音)。しばらくして、
幸平 さあ、着いた。気いつけて行きや。
佐助 おおきに。(下手に引っ込む)
幸平 おっ、こっちの浜には、お客はん来てるがな。さっ、乗った乗った。ささ、出しますぞー。
 太鼓が、ドドンドンドンドン……(波音)。こぎながら、上手に引っ込む。

  十日経つ。下手から佐助が登場。
佐助 (ためいき)ああ……、地蔵さん参りも、今日でもう十日目やがな。あの神さん、嘘かましやがったんとちゃうかいな。まあ信じてお参りしよ。
  上手から幸平が登場。
幸平 おはようさん。毎日、ご苦労さんやなあ。言うとくけど、この渡し舟も今日でお別れやで。
佐助 なんでやねん?
幸平 知らんのかいな。今年は明治の22年や。あの橋……なんでも河南橋いうそうやが、明日がその開通式や。そうなったら、渡し場はなくなってわしはお払い箱や。剣先船も、いずれは汽車や車にとってかわるやろなあ……。
佐助 そうか、寂しいなあ……。
 上手から、親父(神さん)が登場。法被のかわりに背広を着ている。
親父 すんまへん。わたいも渡しとくなはれ。
幸平 はいはい、乗っとくなはれ。
親父 (佐助を見て指を指し) あんたは、毎日、東の浜の地蔵さんにお参りしたはるお人でんな。
佐助 なんで知ってるねん? 
親父 いつも見てますがな。何んぞおましたんかいな?
佐助 へい……、実は、十日ほど前に、寝よと思うたら、白い髭はやした神さんが出てきやはって、二上山に朝日が出る頃に、東の浜の地蔵さんにお参りしたら、ええ目にあわしたると……。
親父 (大笑い)アッハッハッハ。あんたもかいな。私も、だいぶ前に、寝よと思たら神さんが出てきて、こない
   したら大金持ちにしたると……。せやけど、あほくさいさかいに、やりまへんでした。
佐助 (驚いて) エエッ。ほんで、その神さんに何んて言われましたんや?

親父 なんでも、川面の南のはずれの、中野村の境にある城の淵とかいう所や。
幸平 あるがな。昔、楠木正成、大楠公が造ったお城喜志城があったとこや!
親父 そこに祠がある。
佐助 あるがな。「シンメイさん」と言うてた。
親父 その裏手に竹藪に囲まれた深い谷がある。
幸平 あるがな。子どもの時にあこでよう遊んだがな。
親父 その谷の底に大きな石がある。
佐助 あるある。あの石にけつまずいてこけたがな。
親父 その石をのけたら、宝ものがあると……。
二人 (顔を見合わせ)
   エエっ! 宝物!
佐助 行くで、幸平!
幸平 わかった、佐助!
親父 おいおい、待ってくれ。わしも行く。

佐助 さあ着いた。
親父 (息を切らして)えっ、えらい速いな。
佐助 にわかや。さあ、石を探すで!
 二人が中央で草をかき分 けて石を探す。幕の間に見つけて、
幸平 (親父に向かって大声で)あった!
佐助 (親父に向かって大声で)あった!
親父 (落ち着いて)あったやろ……。石をのけてみ。
 二人が必死で石をのける。大きな巾着袋を発見。
幸平 (親父に向かって大声で)あった。
佐助 (親父に向かって大声で)あった。
二人 (前を向き) あた、あった、宝物や!
親父 (落ち着いて)どや、あったやろ。中を開けてみ。
  二人が巾着の紐をほどき、中を見て
幸平 こここここ、小判や!
佐助 ききききき、金や!
親父 どや、言うた通りになったやろ。
幸平 ほんまやがな、そういうあんたは?
親父 忘れたんか? (ひげを付ける)神さんや。
佐助 あっ、あの時の間男の神さん!
親父 けったいな覚え方すな。やっとわかったか。わしの言うこと聞いて正直に地蔵さん参り続けた佐助と正直者の幸平にプレゼントや。
 「神」と書かれた紙を幸平の頭に貼り付ける。
幸平 なんや、なんや? 人の頭にけったいな紙を貼り付けてプレゼントとは、はて?
佐助 はて?
幸平 はてわかった。正直の幸平に紙やどたわい。(正直の頭に神宿る)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする