ONLINE ジャーニーより転載しました。
http://www.japanjournals.com/index.php?option=com_content&view=article&id=1908:130-116&catid=37&Itemid=96
《勲章はいらない! 3年で116人が辞退》
2012年 1月 30日(月曜日) 19:35
英国君主、すなわち、現在ではエリザベス女王からの叙勲を辞退した人の数が過去3年間で、100人以上にのぼることがわかった。「デイリー・テレグラフ」紙が、1949年から1999年の間に叙勲を辞退した全員の名前が記録された公式リストを入手し、それを暴露したもの。
内閣事務局の公式統計によると、過去3年間にわたり116人が受勲を辞退したという。
これを受けてこの10年間で叙勲を辞退した人々の名前を発表することを求める政府への圧力が高まっている。
リークされた情報によると、女優のオナー・ブラックマンさん、芸術家のデイヴィッド・ホックニーさん、作家のジョン・ル・カレさんらが辞退者のなかに含まれているという。
~~~~~~~~~~~~
次は日本人の辞退者ですが、
財界人も過去に何人か辞退しているようでした。
鬼蜘蛛おばさんの疑問箱より転載しました。
http://onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-2d58.html
大江健三郎氏が文化勲章を辞退したのは1994年。Wikipediaによると「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」というのが辞退の理由とされている。私の記憶では、表向きにはかなりやんわりと辞退の意思表示をしていたと思うのだが、権力者からの勲章、天皇からの授与にノーを突きつけたということだろう。彼の信念、姿勢は反権力志向の多くの人に影響を与えたのではなかったのか。
しかし、大江氏の後に文化勲章を辞退した人は杉村春子氏だけである。今年は映画監督の山田洋次氏が選ばれた。彼は教育基本法改悪に反対だったのではないか。そういう人が文科省から文化功労者に選ばれて国から年金をもらい、文化勲章までもらって喜んでいる。梅原猛氏も「九条の会」の呼びかけ人であるが、文化功労者であり文化勲章を受章している。故井上ひさし氏も同じく「九条の会」の呼びかけ人であり天皇制にも批判的だったが、文化功労者だった。今年は宮崎駿氏も文化功労者に選ばれている。いったいこの国の文化人はどうなってしまったのだろう。叙勲の季節がくるたびに一人暗澹たる気持ちになる。
こうしたことに何ら違和感を持たず、ただただ文化勲章やその他の叙勲をめでたいといって喜んでいる人は、私には能天気にしか映らない。
ちなみに、文化勲章が授与される「文化の日」は、明治天皇の誕生日である。日本の叙勲制度は政治的な色合いが濃いというほかない。以下参照。
叙勲・褒章制度の歴史的な意味と事情(社会科学者の時評)
辺見庸氏の「永遠の不服従のために」(毎日新聞社)という本がある。私がいちばん初めに手にした辺見氏の本が真っ赤な表紙のこれだった。タイトルに引き込まれて購入した。この本の3章に「堕落」という一節がある。そこに叙勲者についての感想が書かれている。辺見氏にとって、受章者はまさに「堕落」なのである。その部分を以下に引用しておこう。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
試しに、秋の叙勲の受章者リストを見るといい。改憲派の政府・法曹関係者ばかりではない、かつての護憲派の名誉教授様、芥川賞作家まで名前をつらね、あたら晩節を汚し、じゃなかった、輝かしきものとしているのである。これにかつての褒章受章者を加えれば、反権力を標榜していた映画監督や著名俳優、反戦歌を詠んだことのある歌人もいたりして、意外や意外どころのさわぎではない。革新政治家、かつては“社会の木鐸”を気どっていたはずのマスコミ経営者、万人平等を教えていたはずの学者ら、その他諸々の、ひとかどの人物たちが、ま、いっとき色に耽るのもよろしかろう、お金をもうけるのも結構でしょう、名前を売るのもどうぞどうぞではあるのだけれども、強欲人生の最後の仕上げと夢なるものが、勲章・褒章と、おそれ多くもかしこくも、宮中にての親授式だと知ってしまえば、「なーんだ、そうだったの」というほかはない。
受章と反権力は矛盾しないだろうか。受章と護憲は矛盾しないだろうか。私は、ごく単純に矛盾すると思う。しかも、権威への欲が矛盾をなぎ倒し、国家主義を直接に手助けして、今日的反動の土壌をこしらえている。そのことに恥じ入りもしない受章者、彼らを嗤わず軽蔑もしない文化、受章の大祝宴を正気で開くアカデミズム、言祝ぐジャーナリズム―民主主義の安楽死も憲法破壊も必然というべきであろう。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
辺見氏の文章は強烈ではあるが、実にもっともなことである。反権力を標榜する者が矛盾を感じずに受章を喜んでいるのなら、あるいは矛盾を感じながら辞退をしないのなら、どちらも堕落ではないか。
===============
いかがでしたでしょうか?
私も、辞退は素晴らしいとおもう一人です。
日本人の皇室に対する気持ちが、きっと
皇室マジックとなっているのだと、思います。
どうしようと、自由ですが、
傍から見ていると、あれれと思う人がもらって
しまっているのですよね。
なんだか、裏切られたようにも思いますね。
文部科学省からの抱き込み作戦でしょうね。
まあ、引っかかってしまったのですね。
怖いですね、簡単ですね。
この後も政治的な活動ができると
思っているのですか?頓珍漢達は。
サザンの桑田、あなたもですよ。
時代が進めば、これからは辞退者もふえると
思いますけど。
http://www.japanjournals.com/index.php?option=com_content&view=article&id=1908:130-116&catid=37&Itemid=96
《勲章はいらない! 3年で116人が辞退》
2012年 1月 30日(月曜日) 19:35
英国君主、すなわち、現在ではエリザベス女王からの叙勲を辞退した人の数が過去3年間で、100人以上にのぼることがわかった。「デイリー・テレグラフ」紙が、1949年から1999年の間に叙勲を辞退した全員の名前が記録された公式リストを入手し、それを暴露したもの。
内閣事務局の公式統計によると、過去3年間にわたり116人が受勲を辞退したという。
これを受けてこの10年間で叙勲を辞退した人々の名前を発表することを求める政府への圧力が高まっている。
リークされた情報によると、女優のオナー・ブラックマンさん、芸術家のデイヴィッド・ホックニーさん、作家のジョン・ル・カレさんらが辞退者のなかに含まれているという。
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次は日本人の辞退者ですが、
財界人も過去に何人か辞退しているようでした。
鬼蜘蛛おばさんの疑問箱より転載しました。
http://onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-2d58.html
大江健三郎氏が文化勲章を辞退したのは1994年。Wikipediaによると「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」というのが辞退の理由とされている。私の記憶では、表向きにはかなりやんわりと辞退の意思表示をしていたと思うのだが、権力者からの勲章、天皇からの授与にノーを突きつけたということだろう。彼の信念、姿勢は反権力志向の多くの人に影響を与えたのではなかったのか。
しかし、大江氏の後に文化勲章を辞退した人は杉村春子氏だけである。今年は映画監督の山田洋次氏が選ばれた。彼は教育基本法改悪に反対だったのではないか。そういう人が文科省から文化功労者に選ばれて国から年金をもらい、文化勲章までもらって喜んでいる。梅原猛氏も「九条の会」の呼びかけ人であるが、文化功労者であり文化勲章を受章している。故井上ひさし氏も同じく「九条の会」の呼びかけ人であり天皇制にも批判的だったが、文化功労者だった。今年は宮崎駿氏も文化功労者に選ばれている。いったいこの国の文化人はどうなってしまったのだろう。叙勲の季節がくるたびに一人暗澹たる気持ちになる。
こうしたことに何ら違和感を持たず、ただただ文化勲章やその他の叙勲をめでたいといって喜んでいる人は、私には能天気にしか映らない。
ちなみに、文化勲章が授与される「文化の日」は、明治天皇の誕生日である。日本の叙勲制度は政治的な色合いが濃いというほかない。以下参照。
叙勲・褒章制度の歴史的な意味と事情(社会科学者の時評)
辺見庸氏の「永遠の不服従のために」(毎日新聞社)という本がある。私がいちばん初めに手にした辺見氏の本が真っ赤な表紙のこれだった。タイトルに引き込まれて購入した。この本の3章に「堕落」という一節がある。そこに叙勲者についての感想が書かれている。辺見氏にとって、受章者はまさに「堕落」なのである。その部分を以下に引用しておこう。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
試しに、秋の叙勲の受章者リストを見るといい。改憲派の政府・法曹関係者ばかりではない、かつての護憲派の名誉教授様、芥川賞作家まで名前をつらね、あたら晩節を汚し、じゃなかった、輝かしきものとしているのである。これにかつての褒章受章者を加えれば、反権力を標榜していた映画監督や著名俳優、反戦歌を詠んだことのある歌人もいたりして、意外や意外どころのさわぎではない。革新政治家、かつては“社会の木鐸”を気どっていたはずのマスコミ経営者、万人平等を教えていたはずの学者ら、その他諸々の、ひとかどの人物たちが、ま、いっとき色に耽るのもよろしかろう、お金をもうけるのも結構でしょう、名前を売るのもどうぞどうぞではあるのだけれども、強欲人生の最後の仕上げと夢なるものが、勲章・褒章と、おそれ多くもかしこくも、宮中にての親授式だと知ってしまえば、「なーんだ、そうだったの」というほかはない。
受章と反権力は矛盾しないだろうか。受章と護憲は矛盾しないだろうか。私は、ごく単純に矛盾すると思う。しかも、権威への欲が矛盾をなぎ倒し、国家主義を直接に手助けして、今日的反動の土壌をこしらえている。そのことに恥じ入りもしない受章者、彼らを嗤わず軽蔑もしない文化、受章の大祝宴を正気で開くアカデミズム、言祝ぐジャーナリズム―民主主義の安楽死も憲法破壊も必然というべきであろう。
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辺見氏の文章は強烈ではあるが、実にもっともなことである。反権力を標榜する者が矛盾を感じずに受章を喜んでいるのなら、あるいは矛盾を感じながら辞退をしないのなら、どちらも堕落ではないか。
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いかがでしたでしょうか?
私も、辞退は素晴らしいとおもう一人です。
日本人の皇室に対する気持ちが、きっと
皇室マジックとなっているのだと、思います。
どうしようと、自由ですが、
傍から見ていると、あれれと思う人がもらって
しまっているのですよね。
なんだか、裏切られたようにも思いますね。
文部科学省からの抱き込み作戦でしょうね。
まあ、引っかかってしまったのですね。
怖いですね、簡単ですね。
この後も政治的な活動ができると
思っているのですか?頓珍漢達は。
サザンの桑田、あなたもですよ。
時代が進めば、これからは辞退者もふえると
思いますけど。