小野田さんはなぜ1年で日本を去ったのか
♫ この動画の最初の写真をみて、思い出しました。この小野田元少尉が帰国した時の首相は田中角栄だったのです。(以下2020年5月に追記しました。)
小野田元少尉は、戦争時のままの考えを持った人です。ですから変わってしまった、故郷の人々と、話が合わなくなっていたとしても不思議ではありません。母親も当時の母親としては、当然のような、武士の母親のような、子供の送り方だったのです、批判される筋のものではありません。
私達は、まるで過去から来た人小野田元少尉を理解できずにいたのです。彼は寄付金をすべて靖国へ収め、見事なサムライ魂を持っていた人でした。
しかし、今回は私は田中角栄との関係が天皇とも関係していると思っています。
小野田元少尉は、その前のグアムから帰国した横井正一氏とは違い、故郷に帰るまで東京に約1月も足止めされていました。
元陸軍中野学校出身者の彼がどのような任務についていたのか、そして、なぜ他の兵士とも、ルバング島から戦争が終わったことも、知っていながら自ら投降しようとしなかったのか。
軍の規則に従っていたというのは、特別なものを、何か感じさせますね。それは何かといえば、フィリピンのルバング島に隠していた、天皇の金塊のことではないかと、誰しも思うはずです。
追記=小野田氏の帰還を促すには、彼からの要望で、「上官の命令があれば」と言うことで、日本では報道されなかったようですが、竹田の宮が上官でフィリピンに出向いています。(※小野田さんの上司は皇族でした。)
そのことについて、調べられていたのではないでしょうか?時の政府の首相は田中角栄氏で、日本列島改造論を言っていた首相ですから。金塊が出てくるとなると、どうなるのか?
その金塊は誰のものになるのか。フィリピンで見つかれば、当時のフィリピンの国の物となるはずです。
しかし、隠していたのなら、そのことを国民にもフィリピンにも話をされては困るのです。ですからひと月もかかって、詳細に調べられて、小野田元少尉は故郷への帰省が遅れたのです。
この金塊かどうか(山下財宝、とあるいはゴールデンリリーといい)、コブラ情報ではすでに彼らの手に渡って地球の人々へ平等に分配されると言っています。
高橋五郎氏によると、田中角栄がその天皇の金塊を横取りしようとして、天皇の逆鱗にふれたと、書かれているようです。(私はまだ読んでいません)
天皇は田中角栄氏が日本人であることで、困ったことでしょう。自分の血筋でないものが、首相になったのですから。それで、その後ロッキード事件を三木元首相を介してアメリカに頼み。田中角栄はあの現職の首相で初めてという、ロッキード事件全国放送となっていきました。
田中角栄氏は、その後辞任しています。5億円の賄賂をもらっている自民党のドン中曽根は、御咎めなしです。彼は、田布施Sですからね。
(※追記 後日調べた結果元国会議員石井一氏が書いた「免罪」では、アメリカの公文書館で調べて、5億円が田中に渡っていると、書かれている箇所はなかった、つまり田中氏の「もらっていない」、という言葉は本当だったのです。策略がここにあったと、誰しも思うでしょう。)
ロッキード事件一つとっても、天皇の手紙で日本の首相を失脚させる力があるのです。アメリカがそれをするということは、天皇がアメリカの上に位置するからですね。
(※追記 デービッド・バーガミニが「天皇の陰謀」を書いて、その後ライシャワーの手の物に、2度と書けないようにされた。と証言しています。)
それは支配者を知るものだけが、わかる事だったのでしょう。戦争で、アメリカに負けたというのも、これで嘘だということが、わかりますね。国民にはそのようにして、教育してコントロールしてきたのですが。実はアメリカよりも天皇の位は上だということです。戦争は八百長だったのです。つまり天皇とアメリカが中国から金銀財宝を強奪するのが、目的だったのです。アジアの解放が目的などとは、あの当時は何もありませんでした。最近になって、作られたプロパガンダです。
実にバカバカしいです。このからくりを知れば、世界の天皇とする秘密がわかるでしょう。
悲しいことに世界の人類が崇高な人達と仰ぎ見ていた者たちは、世界を支配する強盗でした。韓国は財宝を強奪されていること、多分忘れていないでしょう。
下記に上げた小野田さんの名言は、なるほどと思うものばかりです。しかし小野田さんの出現により、彼をプロパガンダに利用している人達がいることも、確かです。靖国については、本当にそうだと思います。彼の考えはあの頃の日本人の考えそのままです。小野田さんは昔のままでした。小野田さんも犠牲者のひとりなのです。彼は「戦争だから仕方がない」とビデオで語っていましたね。29年もジャングル生活をしてきて、彼の人生が緩やかでも平和をかみしめたのは、ブラジルへ移住してからではないでしょうか?故郷は彼にとっては心地よいものではなかったのです。しかも詮索されることもあったでしょう。ブラジルへ渡ってからも彼は日本の子供の育成を心がけていたのですから。自分の子供を持つ事がなかった小野田さんは、子供たちの笑顔にきっと救われたのではないでしょうか?(フィリピンの現地でも、戦いが戦後もずっとありましたが、男性を殺しても女性子供には手出しは、しなかったと、証言されています)
彼のことを、犠牲者と呼ぶのは、彼は好まないかもしれません。でもそれは彼が歴史の真実を知らなかったからなのです。彼のように真実を知ることなく、日本の為にというプロパガンダを信じて、戦い死んでいった多くの日本人が、あまりにも多いことに気が付くべきなのは、この時代を生きている私達の使命だと思います。戦った人を悪くいうのも、間違っています。彼らは騙されたのです。悪いのは、騙した人達です。
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http://www.earth-words.net/human/onoda-hiroo2.html より転載しました
小野田寛郎の名言
「小野田 寛郎(おのだ ひろお)」(1922~)
日本の元陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校。
太平洋戦争が終結しても任務解除の命令が届かなかった為、
フィリピンのルバング島の密林に29年間、情報収集や諜報活動を続けた人物。
中国大陸での軍歴があるにも関わらず、
中国サイトなどでは「この兵士の精神を、全世界が学ぶべきだ」など、
肯定的な評価を得ている。
(出典:ウィキペディア)
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世の中には出来そうにないことでも、
やらなければならないことがあるし、
できることでもやってはいけないことがある。
この判断基準こそが、
その人の価値を決める。
生まれた時は自我ばかり、
生きるためには自制と自律がなければ。
豊かさは自分の心で感じるもの。
不便さは何とでもなる。
最後は自分の五体で何とかなる。
やってしまったことは「しかたがない」。
これからどうするかだ。
くよくよ負け犬になってしまう。
負け犬は遠くから吠えるだけで向かってこない。
計画どおりにいかないことは沢山あるが、
思い通りにはいくものだ。
不満などどうってことはない。
自分の満足度を少し変えればよいのだから。
過去は捨てることはできない。
現在は止めることができない。
しかし、未来は決めることができる。
自分では「どうすることもできない」と思っていることでも、
本当は「どうにかしよう」としていないだけではないか。
コンパスは方向は教えてくれるが、
川や谷の避け方は教えてくれない。
コンパスばかり見ていると川や谷に落ちてしまう。
自分で考えて判断しなければ。
若い意気盛んな時に、
全身を打ち込んでやれたことは幸せだったと思う。
疲れている時、怪我をしている時は、弱気になってしまう。
満腹な時、体調の良い時は、油断をする。
汚名は恐れない。いつか晴れるから。
結果を恐れる。どうしようもないから。
反省はさせられるものではなく、
自分でみずからするもの。
いつも美味しいご飯を食べられ、きれいな着物を着られるのは、
誰のおかげですか。
たとえお金があっても、それを作ってくれる人がいなければ、
手に入らないのですよ。
だから「世間」ではなく、「世間様」というのです。
(小野田寛郎の母の名言)
約束の時間に遅れれば、
その時間の分だけ待たせた人の人生を無駄にさせる。
約束を守れない人は信用されず、
自分の人生を無駄にすることになる。
馬鹿な人は嫌いだ。
馬鹿な人とは頭のわるい人のことではない。
自分勝手で思いやりや常識のない人のことだ。
人は一人では生きられないのだから。
戦いは相手次第。
生き様は自分次第。
礼儀は挨拶ではない。
家庭や社会で筋道をつけること。
自制や自律は筋肉と同じ。
鍛練すれば強くなり放っておくと、
生まれた時の自我に戻ってしまう。
叱りすぎてもだめ、褒めすぎてもだめ。
叱りすぎると叱った人が慢心し、
褒めすぎると誉められた人が増長する。
それでも、子供たちは叱るより誉めてやりたい。
親の顔が見たいと思う時はまだ救われる。
親の顔を見たくなくなったらおしまい。
親を見れば子が分かる。子を見れば親が分かる。
親子は鏡。
日本に帰還した時、
やたらと「権利と義務」という言葉が目についた。
私が少年の頃は「まず義務を果たすこと」を教えられた。
権利は義務を果たせば自ずと与えられるもの。
何事も熱いうちは大丈夫。
冷たくなったらおしまい。
人は熱しやすく冷めやすい。
サバイバルとは、
今まで生きてきた方法では生きれ残れない時に、
なおかつ生き残る方法を考えて実行すること。
努力しても方法を間違えては、
失敗する。
道具は正しく使ってこそ道具。
間違うと凶器になる。
紐を結ぶ時、手際良く確実に締まりやすくすることは当然のこと。
しかし、解きやすいことも大切。
何でもやれば良いと言うものではない。
何をやるにも経過も結果も大切。
結果の先のことはもっと大切。
生きることは夢や希望や目的を持つこと。
それらは教えられたり強制されたりしても、
湧くものではない。
自分で創り出すしかない。甘えてはいけません。
夢や希望を語るのは思っているだけ。
それを目的に変えなければ達成できない。
「したいと思います」から「やります」に変えるべきだ。
強い人ほど優しい。
強い人は余力があり、弱い人を助けたくなる。
誰でも「他人のために働きたい」とは思っている。
それには強くならなければ。
よく「何でそんなに頑張ったのか」と聞かれるが、
頑張ったのではなく、頑張らざるを得なかったのだ。
皆がやっていることを、
自分だけくじけたら笑われるから。