幸 初七日
2023年7月20日に虹の橋へ旅立った 幸(ゆき)。
7月23日(日)13時30分より葬儀を行い
荼毘に伏しました。
昨日で初七日。
幸はブリーダー崩壊から我が家の子として迎え入れた子。
人間を嫌い、誰も解ってくれない身体の痛みに
ひとり絶えていた頃の写真。
この頃から現在に至るまでのお話しは
四十九日を迎える際にできればと思っております。
どの子も誕生日は不明なため 推定3歳。
2010年11月16日を誕生日とし
12年と8ヶ月4日 を強く美しく立派に生き抜いてくれました。
崩壊発生からは 10年と3日
それが私の知る 幸でした。
病についての詳細は、別途記してありますが
末期には出血と痙攣の繰り返し。
お薬で一時的には出血は治まりましたが
出血の中に混ざる 肝嚢胞のカケラは
押さえ込めるものではありませんでした。
辛い中、最後の最後まで喉にごはんを通してくれ
何度も起こる痙攣にも耐え
助かる見込みがないのならと院長先生にも相談しましたが
痙攣の後に見せる優しい眼差しを見ると
どうしても決断できませんでした。
(亡くなる当日、これが生前 最後の写真となりました)
どんな道を選ぼうとも後悔はする。
それでも早くに決断し
幸に苦しみを与えなかった方が良かったのではないかと
何もしてあげられなかった自分を情けなく思います。
こんな不自由な身体で
本当に本当に頑張ってくれ
最期の時まで信頼してくれた優しい子でした。
亡くなってからは、ずっとしてあげたかった
爪を切り、毛玉も取って
シャンプ&リンスのトリミングを
2時間くらいかけて行い
時間の許す限り 抱っこしました。
(変形性脊椎症の幸は、これまで抱っこNGでした)
翌日、お花を手配しようと
いつもの 『 楓(メイプル)』 さん に電話をすると
そこには 同じブリーダー崩壊っ子の里親
ナッツくんのママさんが
幸のためのお花の手配に来て下さっており
メイプルさんの計らいで
思いがけずお電話でお話することができました。
亡くなったばかりでダメージ全開の私の話しも
優しく うんうんと聞いて下さって
頂いたお花達も、お気持ち同様
優しい白薔薇のアレンジ。
八木さま 心より感謝申し上げます。
翌日には
同じくメイプルさん経由にて
チャンプママさまより
グレーの毛並みの幸に似合いそうな
薄紫の薔薇のアレンジと
棺にいれてあげてと
最期の時が寂しくならないような
女の子らしい華やかな花束を頂戴しました。
ご自身も まだまだお辛い中
共にいてくださり、素敵なお花まで
心より感謝申し上げます。
そして同日
『 mon petit TRESOR 』 の花音さま より
透けるようなピンク色の花びらが不思議な
愛らしいアレンジを頂戴しました。
花音さんもメイプルさんに手配してくださり
レオ君とビビアンちゃんの時のお花のお話しができたよと
私に伝えてくれました。
猫の輪が繋がっていくのが嬉しかったです。
お花、心より感謝申し上げます。
そして そのお花達のアレンジを作って下さった
メイプルさんの奥様より
プリザーブドフラワーを頂きました。
プリザの担当は 奥様。
グリーンアイの幸にぴったりです。
いつもいつの時も 温かい対応をくださる奥様。
そして・・・
メイプルさんの店主様(ご主人)から
いいの?(゚ロ゚; という豪華な胡蝶蘭を頂きました。
ひとつでもお花が落ちてしまうと
商品にならないとかで、貰ってくれたら嬉しいと・・・
そう言われても頂いていいのか迷うほどのお品です。
お花の部分を取って、棺に入れてくださいと
温かなお心遣いを頂きました。
ご夫妻で良くしてくださり 心より感謝しております。
親からの棺に入れるお花も豪華に作ってくださり
7月23日 葬儀当日
葬儀を無事に終え
(いつもは写真を出しませんので モザイクをいれてあります)
チャンプママさまからのお花と
メイプルさまの胡蝶蘭は勿論のこと
皆様からのお花も入れさせていただいて
お花畑にいるような 幸を送り出してきました。
幸を見送ると、花音さんより空の写真が。
飛行機雲を追いかけて行きそうです。
チャンプママさんからも夏らしい雲と青空。
共に手を合わせているよと連絡くださり
お二方ともありがとうございました。
7月25日には 『 猫に目薬 』 の うてなさま より
可愛いハートに猫のプレート
虹の橋に迷わず行けるような
虹色のカーネーションが とても綺麗な
愛らしいアレンジメントを頂きました。
優しいお言葉が嬉しかったです。
お心遣いに心より感謝申し上げます。
7月26日の 初七日には
『 乎福笑い 』 のhanasakuさま より
ピンクの薔薇がプリザーブドの
ハイブリッドな生花を頂きました。
生花が終わりを迎えても、薔薇をサシェに差し替えて
香りのプリザーブドとして残せるそう。
幸をケージに連れて行く時には一緒にお供えさせていただきます。
温かなお気持ちに心より感謝申しあげます。
最初の痙攣が起こり、それが止まったとき
見えないのに、歩くのも辛いのに
ムクッと立って私の元に来てくれたことを忘れられません。
今頃、虹の橋に向かっている道中かな?
大あくびをしたり
ひにゃたぽっこをしたり
その先にはきっと
幸のことが大好きだった
仲良しの 希喜が待っていてくれるね。
大切な大切な愛娘でした。
(忌み言葉というのがありますが、実際に起こってしまった後なので使います)
6月6日には いちご
7月20日には 幸
短期間に続いてしまった訃報。
それでも大家族の我が家に
お悔やみのお花をくださる皆様に
心を込めて お礼を伝えさせて下さい。
ありがとうございます
愛されて、幸せだったんだなと改めて思いました。
最善の方法だったと思っても、違う方法があったの
ではないかと、見送った後思います。
壮絶な最期で我が子を見送った時、
いただいた言葉があります。
愛する子があなたに勲章をくれたんだよって
どんなに過酷な状態でも、あなたなら、最後まで
見届けてくれると。
少しづつ、少しづつ、ゆっくりと前に進んで行けたらと
思います。
たくさんの愛情に包まれて。
最後に綺麗にしてもらって。
旅立ちにはたくさんのお花に囲まれて。
『幸』の名前に負けない猫生だったよね。
障害も病気も辛かったけど、ひめさんご夫妻にこんなにも大切にされて、幸せになって行く姿を見るのは私も嬉しかった。
障害にも病気にも立ち向かって、最後まで頑張った幸ちゃんを、私は我が子のように誇りに思います。
最後にひめωに御礼に行くなんて…
幸せにしてくれてありがとう、って伝えたかったんだね。
幸ちゃんの旅立ちに、私もお花で一緒に参加させて貰えて嬉しかったよ。
ありがとう。
素直に受け入れられなくて。
仰る通り 少しずつゆっくりと消化していき、この有り難いお言葉に
感謝して納得させていくしかないんでしょうね。
このお言葉を下さった方はまた、本当に優しいお方ですね。
これまでも、これからも 我が子達をどれだけ見送っても
『完璧だった』 『後悔はない』 『仕方がない』と言い切れる事は
きっとないんだろうと思います。
幸、幸せであってくれたなら嬉しい。そうであったと願うばかりです。
温かな応援とコメント、そして素敵な供花から お見送りのお花まで
お心遣いを本当にありがとうございました。
花音さんとはブリーダー崩壊の里親募集の時からのお付き合い。
我が子のようにずっと一緒に見守ってくださり、時にはアドバイスや
良い商品の紹介、そして試しに使ってみて!と送ってくださったり。
いつも感謝しています。
幸、幸せだったかと教えて欲しいけれど…
それでも身体の不調部分を最初の頃に理解してあげられたことだけは
本当に良かったと思っています。
最期の時まで、ごはんを自力で食べようとしてくれました。
最期の時まで自力で立とうとしてくれました。
寝たきりを覚悟していた受け入れ当初を考えると、何て気高く
強い子だったんだろう思います。
希喜も幸も毛玉ちゃんが出来てもなかなか時間をかけて
綺麗にしてあげる事が難しい子達だったので送り出す時には
ふんわりとした毛並みで見送りたかったの。
花音さんのブログ見てて一緒だなーと思っていました。
これからも教えて欲しい事や頼りにしてしまう事も沢山あると思います。
どうぞ宜しくお願いします(>人<;)
見送る側はどうしてもifを考えてしまうけど、その子の事を一生懸命考えて選んだ道に間違いなんてないんだと思います。
とはいえ、寂しさはなくなるものではないですものね。
時間薬とはよく言いますが、ゆっくりと心を癒してくださいね。
7月26日でタッチを迎え入れてから10年になります。
今は首の後ろがただれて保護パッチを貼付して治療と相変わらず少し皮膚が弱いのですが、胃腸は丈夫で元気に我が家のアイドル主役です。
昨年5月に大好きだったガンタくんが腎不全で旅立ち、タッチは落ち込み、その姿にこちらもへこみました。
今は18歳になるマメタと二匹仲良く暮らしています。
幸ちゃん、、、幸せでしたね。
本当によく頑張りました。
見送ることは、どんな時もこれでよかったのか、と思いますが、きっとそうさせるよう猫たちが仕向けていると思います。目で伝えならますよね。
心からご冥福をお祈り致します。
この暑さ、、あのガレージを思い出します。
ひめ様もお体に気を付けてお過ごしください。
肝嚢胞が判ってからは、胃で膨張するカリカリは肝臓も圧迫するためNG。
エネルギーを最大に維持できるa/d缶を1日1缶を目標にやってきました。
(a/dにチューブダイエットを混ぜました)
温かく状態の良いご飯を常に提供しなければ達成(体重維持)できないので
4時間以上、自宅を空けることもできませんでしたが
それに応えてくれるように、最期の時まで 『 食べる事は生きる事 』
を頑張ってくれたお利口で優しい子でした。
崩壊から10年。愛は腺癌。他の子も色々とある子達ばかり。
我が家子となって良かったと思ってもらえるように、日々頑張ります。
素敵な虹色のお花達、今日も綺麗に咲いてくれています。
お心遣いに心より感謝申し上げます。
もう10年なんですよね。気象庁が10年に一度の猛暑を発表し
あの夏の焼津は暑かったと、思い出すばかりです。
タッチくんは喧嘩傷でボロボロの身体でしたよね。
過酷な生活が目に見える様な悲惨な状態でした。
今はせがまなくても争わなくとも、ごはんも愛情も手に入る。安心です。
外傷が酷かったので今も皮膚を気にしなければならないけれど治癒可能。
治らない、骨や内臓疾患、循環器系ではなくて本当に良かったです。
幸、不自由な中 本当に頑張りました。
同じ家族。タッチ君にはこの先も猫生を謳歌して欲しいです。