水無月より

つれづれなるままにブログというものを書き綴ってみます。

元気をもらう

2011-05-12 17:04:35 | 日記
 今日はお天気の心配をしておりましたが、大丈夫でした。

長女が今日から1泊2日で蔵王にて宿泊研修です。

山の天気はわかりませんが、たぶん無事にハイキングもできたと思います。

夕方になって、そろそろ雨が降り出しました。



 山形新聞5月10日夕刊のコラム記事「気炎」を紹介します。

元気をもらう


 東日本大震災に心を痛めた天皇、皇后両陛下が4月27日、宮城県南三陸町と

仙台市宮城野区の避難所を回られた。宮城野区では、自宅を津波で流された

女性が、その跡地に咲いたスイセンの花を皇后陛下に手渡した。皇后さまから

激励された女性は「元気をもらいました」と感激の表情で語っていた。

 言葉は生きもの。時の流れや社会現象と絡みながら、新しい言い回しが生まれ、

外国語と結びつくなどして変化する。はやり言葉や、はやりの表現にはなじめないと、

いちいち目くじらを立てているときりがないが、最近、気になっていたのが「元気

(勇気)をもらう」「元気をあげたい」という言い方。

 たまたまのぞいたインターネット上でも、この表現についての多くのコメントが

寄せられていた。「元気や勇気は自分で出すもの。あげたりもらったりするものではない」

「メディアで多用されているが、紋切型で空疎な感じ」というものもあった。

ある新聞社のデータが、ここ10年ほど前から使われるようになった-と紹介していた。

 大震災では、ボランティア団体やスポーツ選手などが、被災者が元気になるようにと、

さまざまイベントを企画した。その主催者が、被災者から、逆に勇気をもらった-と感想を

述べていたこともあった。これまで、「お定まり」の言い回しとして、敬遠したい部類の、

元気のやり取り表現だが、大災害を機に定着したようでもある。

 花束を渡し、皇后さまから手を握られた女性が「元気をもらいました」と語った言葉からは、

感激の真(まこと)が伝わってきた。女優田中好子さんが、亡くなる直前、被災者を励ました

メッセージにも心を動かされた。お決まりの表現であろうと、なかろうと、励ます側、励まされる側、

双方の心が通じ合えば目的は達成される。「よせよせ、問答」ということか-。(青山 唯)




 私的には「元気をもらう」という表現は、全く違和感なく使っていました。

アニメ「ドラゴンボール」の元気玉の影響を受けていたからでしょうか。



我が家で一番先に咲くつつじです。


あけびの花はもう終わり方でした。


しゃくなげのつぼみもふくらんできました。






わすれな草、植木鉢に種が落ちて花が咲いています。白花もありました。


オダマキも同様で、いろんなところに種が落ち、咲き誇っています。

コメント
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