日本人は、さみしがりだ。
だから、「ふれあい」を求める。
企業ではしばしば、ほとんど意味のない会議や
料亭などでの会合を行う。
「今度ゴルフでも・・・」
ということも多い。
これらは、名目上は、
人間関係を円滑にするため・・・
あるいは、
経済的にも大きな意味を持つこともあろう。
しかし、前じつめれば、
要するに、日本人は寂しがり屋なのだと思う。
なぜなら、15分で済む会議や契約も、
1時間2時間かけるからだ。
寂しがり屋の日本人は、自己主張も苦手だ。
イジメで登校拒否する生徒は、
たいてい自己主張ができない。
自己主張ができないから、安全パイと見られ、
ますますイジメに遭う。
イジメられたら、
職員室へ行って、
全教師が会議中、大声で、
死ぬ気になって
「**君が、僕をいじめるんです!
何とか、してください!」
と叫べばいい。
さすがに教師も黙認はできないだろう。
イジメる側も、
「あいつをイジメると、ヤバイことになる」
と一目おくだろう。
いっぺんに解決だ。
一度の勇気で、すべて解決だ。
それでも解決しなければ、
新聞社に乗りこんで、
大声で叫べばいい。
これは女性のストーカーでも同様だ。
男にストーカーされたら、
「今度デートをしよう」
と言えばいい。
その際、スッピンとジーンズで会い、
できるだけ大きな高級レストランで、
堂々と言いたいことを言えばいいのだ。
思い切り顔をゆがめ、髪振り乱して、
怒鳴ればいいのだ。
すぐに男は退散するだろう。
それが出来ないのは、
恥ずかしいからだが、
恥ずかしいのは、とどのつまり、さみしいからだ。
女性の場合は「変な噂が立ったら、結婚できない」
ともいう。
ははは、何も知らない女性たちよ!
断言しよう!
そういう女性こそが、幸福な結婚ができるのだ!
なぜなら苦しむということは、
「真の自己になりたいから苦しむ」のであって、
そういう正当な自己主張ができれば、
もはや苦しみなどは、すたこらさっさと逃げてしまうからだ。
男たちは、個性的な女性を求めている。
年齢も、離婚歴も、中絶歴も、スッピンも、
どんどん見せればいいではないか。
男が結婚を恐れたり、結婚後、浮気をするのは、
「一生、重い荷物となっている背負う女性(妻)がうとましい」からだ。
逆に、個性的な女は、一人で自分の人生の処理ができるから、
重い荷物にはならず、
そういう女性とは、安心して付き合えるのだ。
話を元に戻そう。
人間に愛情やふれあいを求めるあなたは、
まだ子供だ。
愛情や触れ合いは、
自然と生まれるものであり、
漱石ではないが、
「情に竿させば、流される」だけだ。
お釈迦さんは、恋を否定した。
「執着の見本のようなものだ」と非難した。
そこまではしなくてもいい。
しかし人間に、情を求める限り、
苦労はつきないし、
永遠に人間関係で悩むだろう。
いつも言っていることを今日も言おう。
人間は5分後に起こることもわからない。
そういう愚かな人間と、100億回触れあったからと言って、
しょせん弱い者同士が傷をなめ合っているだけだ。
まともな人間との交流は別として、
魂の成長には、決してつながらないだろう。
ヒット大地は「弱い者同士の傷をなめ合い」を、
何度も経験したから、これを実感している。
確かに、ドイツの哲学者ハイデッカーが言ったように、
人間は、「世界内存在」だ。
つまり人間関係という世界内で、
自分の存在を確認している。
それは仕方のないものであり、
それが生きるということだ。
しかしその世界はまず「いい仕事をするため」
という機能性に基づくべきものであって、
そりゃ、「この人とは馬が合う」から、
雑談をすることや、その他の交流をすることは、ある程度はあろう。
しかしそもそも、人間に愛を求めることは、
所詮、愚かな行為であるということは知っておくべきだ。
男女を問わず、人間愛は自然と生まれるものであって、
さみしいからと言って、
これを求めているかぎりは、
一生悩み多き人生を送るだけだろう。
また人間的にも、全然進歩もないだろう。
そのうち三角関係のもつれで、
酷い目に遭うのが関の山だ。
ヒット大地は、全然さみしくない。
真の愛を毎日、経験しているからだ。
言うまでもなく、
それは神への愛であり、
神からの愛だ。
人間はすべて、80年あまりで死ぬ。
それに対し、神は永遠に続く愛だ。
アンドロメダ星雲でも、感じることができる。
シリウス星でも、実感することができる。
永遠の愛であるから、さみしくないのであり、
心も清明、健康でいられる。
すっかり安心できる。
この気持ち、さみしがりやのあなたにも、
到達してほしいと思う。
いや、未熟なヒット大地以上に、
神を深く信じてほしいものだ。
すると、どんな人生も肯定でき、
この愛が広まれば、
バカな戦争や憎しみも、
この世から消えてしまうだろう。
結論を言おう。
孤独に耐えられる人間との交流こそが、
本当に魂を成長させてくれるのだ。
逆に、寂しがり屋の人間との交流は、
疲れるばかりで、労多くして益なしだ。
きっと、そのうち、裏切られ、
憎しみのうちに、人生の幕を閉じることであろう。