1995年頃、失楽園という小説が話題になった。
今まで300万部以上、売れている。
映画にもなった。
しかし、この心中物を、
ヒット大地は心の底から
「バカバカしい」と、思っている。
この17年間ずっと、そう思ってきた。
ヒット大地は、10億円もらっても、
こういう小説は書かないし、
このような作品を、絶対的に嫌悪する!!
なぜか?
ヒット大地は思う!
人は、どんなことがあっても、
生き貫いて欲しい!
とくに失楽園の場合は、
心中する理由が、皆目わからない。
昔は別だ。
江戸時代は別だ。
近松門左衛門の心中物が有名だが、
この時代は、不倫=死刑という制度があった。
寛保2年(1742年)の『公家方御定書』では、
不倫した妻と間男は「死罪」とされた。
男は裸馬に乗せられ、市中を引き回しの上、
斬首した首を刑場で三日間さらす獄門。
女は斬首の刑に処されることになった。
明暦元年(1655年)、幕府が公布した『江戸市中法度』によれば、
不倫は男女同罪。
夫は、密通した間男をその場で殺してもよいと定められていた。
(ただし実際は、寝取られた夫の気持ちもあり、妻の死刑を嫌い、
「金銭」で解決する場合も多かったようだ)
ところが、現在はどうだろう?
不倫の相手方の配偶者に、
50万くらいの慰謝料を払うことになっているが、
そんなもので、心中するバカもいないだろう。
そんなに好き合っているなら、
二人とも、離婚して、人生をやり直せばいいだけの話だ。
また、失楽園は、有島武郎の心中をモチーフにした・・・
と言われているが、
有島武郎の場合は、妻とは死別しているし、
どうも違うような気がする。
(有島には、若い頃から自殺願望もあった)
また失楽園では、
セックスの喜びが、たびたび書かれている。
しかし、もし本当にセックスがそんなに楽しいのなら、
互いに再婚し、何千回も、何万回も、
朝から晩まで、好きなだけ、経験すればいいだけの話だ。
ますます、心中する理由が、わからないではないか!
実はヒット大地も、
不倫を題材にした小説は書いたことがある。
しかし、それは仕事上で結ばれた愛であり、
女性の結婚動機がある種、演技的なものである以上、
「金のある男」と「自分好みの男」が、別々のことも多々あり、
その両方を好きになることは、よくあることだ。
女性が、金のある男を選ぶのは、当然だ。
生まれてくる子供のためにも、
実家の借金のためにも、
さらには自分の虚栄心のためにも、
そう、せざるを得ない場合もある。
一般に女は、同級生に対し、自分が玉の輿に乗ったことを、
自慢したくて仕様がないのだ。
そういうときは、好みの男と、
不倫しても、理解できる。
ケースによっては、女性には、大いに同情する!!
また、金とは関係なく、
たまたま結婚後に、
「運命の男」と出会うこともあろう。
そういうときは、男女とも再婚して、
新しくやり直せばいいだけの話だ。
こちらの場合も、ヒット大地は、心より応援する!!
特に、前者の気持ちは、
あらゆる女性が持っているのであり、
だからマーガレット・ミッチェルの『風とともに去りぬ』は、
大ベストセラーとなった。
しかし主人公スカーレット・オハラは、
最後に孤独になっても、
希望のために、明日に向かって生きようとした。
いかなる場合でも、生きる!!
これが、あるべき小説の姿だ!!
しかしヒット大地は、作家の渡辺淳一は、よくわからないし、
彼を非難するつもりは、全くない。
彼は頭脳明晰なので、
きっと、世間の女の多くは、セックス好きで、バカだから、
心中物を書けば、よく売れるのではないか・・・
と思ったのだろうか。
あるいは、
どうせ人間は、悪どいことをやってるんだから、
どんどん心中でも自殺でも、してもらってかまわない
・・・そう思って、書いたのかもしれない。
でも、心中物を書いて大ヒットした作家のあの世は、
どんなものだろう?
大衆に対して、「自殺を勧めた」という点において、
少なくとも、いい来世ではないような気がする。
となると・・・(渡辺氏のことは、全く別として)
やっぱり一般論として、そういう作家は、「アホな行為」ということになる。
たとえ印税が、10億円単位で入っても、
作家にとって、割の合わないことなのではないだろうか?