昔、埼玉県に住もうと思った。
小旅行をしたとき、自然がたくさんあって、
とても気に入ったのだ。
しかし今は、
「あそこにだけは住むまい」と思っている(笑)。
8年余り住んで、あまりにも防災無線放送がうるさくて
ウンザリしたのだ。
もちろんすべての埼玉県を知っているわけではない。
防災放送のない天国のようなところもあるかもしれない。
しかしヒット大地の住んだ西の方は、
防災無線に関しては、ある種地獄だった。
いつも防災放送が流れていて、
睡眠も障害されるほどであった。
しかも防災放送の内容が、
ほとんど意味のないものだった。
昼の定番は、「天気予報によれば、雨が降ります」・・・これは100%必ずだった。
しかも、その予報の半分は、はずれた。
また実際に降っても、
小雨程度が、半分くらいだった。
しかも、放送の内容が、
「熊谷気象台によれば・・・・」から始まり、
長々と続くのだった。
これは雨が降る前と、降った後の、二度やっていた。
梅雨時は、2日に一度は長々と、「熊谷気象台によれば・・・・」
が始まった。
光化学スモッグ注意報も多かった。
しかしヒット大地の住んでいた町は、緑豊かな自然がたくさんあった。
どう考えても、光化学スモッグとは無縁だった。
ところが夏になると、毎日のように、
「熊谷気象台は、県の南西部に、
光化学スモッグ注意報を発令した」・・・
と放送していた。
夕方になると、「光化学スモッグ注意報は、今、解除されました」と放送していた。
多い日は、一日5度くらい防災無線が放送された。
ヒット大地は、文筆業をやっていたので、
夜に文章を書き、ときどき昼は寝ることもあったが、
全くの騒音妨害であった。
夜は、「老人が行方不明」が、非常に多かった。
いわゆる、認知症のご老人がよく徘徊し、
そのたびに、「皆で探しましょう」という内容のものだった。
「おかっぱ頭で、身長156センチの女性」とか言っている。
2時間前にいなくなった・・・というものだ。
その町は、人口15万。
かなり大きな町だ。
いったい、そういう放送をして、
闇夜の中、誰が、どこをさがすというのだろう?
99.999%の市民は、無視するだろう。
しかもそういう行方不明は、
家族の責任が大きい。
家族は、ご老人に、携帯電話を持たせて、
GPS機能で、居場所を特定すれば、いいだけの話。
また着衣に、住所・氏名・電話番号を、縫い付けておいてもいい。
お金と手間をケチッて、
市民に迷惑をかけているのだ。
行方不明のご老人は、常連さんだった。
そのご老人の特徴は、市民全員が記憶していた。
防災放送は、見つかるまで、何度も放送された。
見つかったら、
「ご協力ありがとうございました」
とやっていた。
ヒット大地は素直に、
「見つかって良かった」とは、
思えなかった。
ただ防災放送がなくなるので、ご老人の発見を喜んだ。
老人ばかりではない。
笑っちゃうのは、夜の10時半ごろ、
「高校生がいなくなった」
などの放送もあった。
15分後にまた放送がある。
「友人の家に、遊びに行っていたことが判明」
という放送。
ヒット大地は、ふざけるな!と思った。
子供が、友人の家に、遊びに行くなど、よくあることではないか。
ヒット大地は、夜は早く寝ることも多く、
10時半ごろは熟睡していたのだ。
・・・というわけで、埼玉県の他の町はどうかと調べた。
すると、隣町はもっとひどく、
朝の6時半ころから、
音楽つきの放送があるとか。
その他、小さな町では、朝早く、
「今日も一日頑張りましょう」が行われていると聞いた。
また町議会の様子なども、放送しているところもあるらしい。
ひどいところは、真夜中の二時でも、
防災放送で、叩き起こされることもあるとか。
その他、ヒット大地の住んだあたりは、
花火をやたらに打ち上げるところであった。
祭りの日など、1時間おきに、
朝から夜まで、一日200発の話を打ち上げていた。
学校の運動会の日などは、
朝の6時から、何度も何度も花火を上げていた。
冬も、真っ暗闇の6時に、
花火を打ち上げていた。
8年間その町に住んで、何千回という防災無線を聞いた。
しかし「この放送は必要だな」と思ったものは、
正直、ひとつしかなかった。
「土砂崩れで、県道が片側、不通になった」というものだ。
きっと、役所には、「防災無線係」のようなものがあって、
彼らが給与をもらうために、
意味のない放送をしているだろう。
市民に迷惑をかけ、その上、税金を無駄遣いしているのだ。
ヒット大地はすっかり、その町への愛情がなくなった。
正直、埼玉県への愛情も、かなり薄れた。
ただし、人間は愛すべき人が多かったのが、救いだ。
引越しの日、近所の人々は、いろいろとお手伝いをしてくれた。
また、小動物や野鳥との触れ合いは、本当に心が温まった。
ヒット大地は、本当に自然が好きなのだと思う。