第76回カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した、是枝裕和監督、坂元裕二脚本の『怪物』
『クィア・パルム (La Queer Palm) は、カンヌ国際映画祭の独立賞のひとつで、LGBTやクィア(自分の性を定めきっていない)をテーマにした映画に与えられる。』
かつて、脚本賞とクィア・パルム賞を同時受賞した作品に『燃ゆる女の肖像』セリーヌ・シアマ監督2019年がある。
孤島に住む貴族の娘と彼女の「見合い」用の肖像画を依頼された女性画家の物語。
『怪物』の描く“クィア”は、二人の少年です。
『怪物』の脚本には、黒澤明監督原作芥川龍之介「薮の中」の『羅生門』の影響がある。
『羅生門』は、森の中で真砂と武弘の夫婦は山賊多襄丸に襲われ、真砂は手籠めにされ、侍は死亡した。検非違使に捕えられ、供述する多襄丸、真砂、武弘の霊が語る事件の成行きは三者三様で遂に真相は薮の中。
さて、『怪物』のあらすじは、
『諏訪湖の町に住む、シングルマザーの早織(安藤サクラ)は、息子の湊(黒川想矢)の不可解な言動から担任教師保利(永山瑛太)に疑念を抱き、小学校へ事情を聞きに行く。だが、校長(田中裕子)や学校の対応に納得できず、彼女は次第にいら立ちを募らせていく…』
『羅生門』のように三者の視点で事件の成行きが描かれる
a.早織からの視点 b.教師保利からの視点 c.湊と依里からの視点の順番に進み、c.を帰結に構成される
さて、『怪物』は脚本賞を受賞しながら、パルム・ドールを逃したのは何故か? 是枝監督の演出に残念な点があったためだろうか…
『羅生門』は、三者三様の語り口に、観客はそれぞれ納得できるよう演出され、最後は「薮の中」と解決を留保し、それが現実世界だと突き放す。
これに対して『怪物』では、a.シングルマザー早織から見える極端な描き方と、b.教師保利の冷静な描き方の差が大きすぎて、違和感が残る。
また、“クィア”となる二人の少年の描き方を、監督は少年期によく見られる友情として撮っているのだが、父親から「あれは、豚の脳が入っている怪物」と虐待されている星川依里と湊の関係は、単なる友情を超えた同性愛の目覚めを明確なテーマとしなければ物語が成立しないのではないか? 同様に、校長(田中裕子)の人物設定が曖昧でよく分らない。
そのためか、観終わった後、画面の明るさとは逆に腑に落ちない違和感がある。
『真実』のラストシーンの爽やかさ、『羅生門』の非情な現実と僅かな希望の温かさ、を感じる事はできなかった。
人間は、「自分が見たいように見る」「自分に都合のよい物語をつくる」という、小川洋子の小説にも繋がる作品。
★★★★☆
見るべき価値のある作品で、
特にキャストの演技と
二人の少年の映像の美しさは
必見です