『[ほくの記憶は80分しかもたない] 博士の背広の袖には、そう書 かれた古びたメモが留められてい た記憶力を失った博士にとっ て、 私は常に “新しい” 家政婦。 博士は “初対面” の私に靴のサイ ズや誕生日を尋ねた。 数字が博士 の言葉だった。 やがて私の10歳の 息子が加わり、ぎこちない日々は 驚きと歓びに満ちたものに変わっ た。 あまりに悲しく暖かい、 奇跡の愛の物語。 第1回本屋大賞受賞。』文庫本背表紙より
63歳で元大学教授の数学博士、アラサーでシングルマザーの家政婦の私と10歳の息子、そして博士と同じ敷地に住む未亡人の義理の姉の四人が登場人物である。
家政婦の私には父親の記憶がない。母親は結婚できない男と恋し、ひとりで私を産み育てた。
父親の不在(死亡あるいは庶出)は、小川洋子の根本的設定(私=女性の場合)である。そして、私の相手はいつもの父親ほど年の離れた老人(あるいは父的妻帯者)である。
本作の私は、高校3年の時にアルバイト先の大学生と関係し、息子を産んだ。母親は娘を許せず、私は家を出て家政婦をしながらひとりで息子を育てる。
博士は、40代の頃自動車事故で脳に障害を受け、新しい記憶は80分しか持続しない。そんな博士のもとに家政婦の私が派遣され、やがて博士に気に入られた阪神ファンの息子も加わり、博士と10歳の息子との友情、私と博士との交感、驚きと歓びに満ちた新しい生活が始まる。
博士、息子、私
友愛数、素数、完全数、フェルマーの最終定理など数学の定義、定理と阪神タイガース、江夏豊が物語の糸を紡いでゆく。
ある日、家政婦事務所から博士宅への派遣中止を宣告される。未亡人が派遣を拒否したらしい、私は、博士の障害の原因になった自動車事故の新聞記事を調べる。運転していた博士の助手席に乗っていたのは未亡人だった…
一気に読んでしまいました。映画は見ていません。小説の中で読める数式がモチーフとして重要で、映画では難しいのではと思いますが、はたして?
物語の背景、“内面の深いところに ある混沌” が、小説の表にしゃしゃり出ることは無く、生を肯定する希望に満ちた作品に仕上がっている。
★★★★★
博士、未亡人、私、息子は
記憶と現在が反目しない不思議な“縁”で結ばれる