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古今東西のアートのお話をしよう

甲斐庄楠音の全貌


(会場は一切撮影禁止のため、写真は全てネット画像を借用しました)

甲斐庄楠音は明治27年(1894)、楠木正成公に由緒をもつ旗本甲斐荘家の三男として京都に生まれた。母は御所士をつとめた家の出自である。格式高い名家に育ち、皇女和宮の遺品の羽子板や祝い膳自分のもののように使い京都の雅を一身に享受し育った楠音は、生来の病弱もあり、エリート・コースの学業を諦めて、京都市立美術工芸学校に編入、続いて京都市立絵画専門学校で絵画技術を習得する。

大正7年(1918)第1回国画創作協会展に入選した『横櫛』で画壇の中心に躍り出る。『横櫛』は当時の評論家から「素絹と日本絵之具を以つてせる谷崎潤一郎」と絶賛された。


横櫛 大正5年頃(1916)

横櫛 大正7年(1918)

【参考】
『横櫛』1

大正4年(1915)7月頃、楠音21歳のとき、東京の長兄楠香を訪ね、病弱で美しい兄嫁彦子(ひさこ)らと本郷座で四代目沢村源之助が切られお富を演じる河竹黙阿弥作「処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)」を観る。帰宅後、兄嫁彦子とお富のポーズをまねたりして遊んでいたらしい。同年8月、兄嫁彦子が他界する。直後に京都南座で同じ芝居が上演され、楠音は哀しみを新たにしたことだろう。その翌年1916年に、楠音は彦子をモデル(回想)にしながら『横櫛』1を一週間で描き上げる。『横櫛』1は、先輩の村上華岳らに注目される。これが京都国立近代美術館所蔵のものである。

『横櫛』2

大正6年10月頃、親友の画家丸岡比呂史の妹、丸岡トク(『青衣の女』のモデル)と婚約する

大正7年11月、第1回国画創作協会展に新たに制作した『横櫛』2を出品する。『横櫛』2には、トクの容貌(口元、顎に)が反映されているように思う。

【参考】

丸岡トク
『のちに京都大学教授となる植田壽蔵は、『日出新聞』 紙上に国画創作協会展評 を載せ、 《横櫛》 について次のように書いている。「其の顔の色は寺の午後の白壁の如くドンヨリと曇を帯び、頭は大きい髪を結ふて其女の如何なる性状のものかを象徴せしめ、口を見ると下唇が上に反り言ひ尽すべからざる皮肉を見せて居る、 此絵は其口と其眼とを以て立つて居る、眼は過去を意識せしめ口は将来の意志を現はして居る、 伊達巻に示されたる胴の細さは身体の首に比して小さい事を以て此女の精神的なる方面を現はし右の手が妙に出て勝気な緊張的なるを示し左の足を出す処にも勝気を示してゐるので要するに此女は美しいけれども恐ろしい女なる事が能く現はれて居る、 バックに切られ与三郎の画を描いたり女の着物に俳優を描いたりしたのはあまりに此女を現はしすぎて居る、 こゝ迄行ては無用のものである、作者は女のモラリーを画き、 画かんとした女の強き力美くしき恋花の如き恋が表はされている。」 (大正7年12月10日)』と書いている。

大正9年、丸岡トクは楠音との婚約を解消し、20歳年上の新美八郎兵衛の妻となる。

『横櫛』3

植田壽蔵氏の評価の影響か、『横櫛』2の「切られお富」を消して、短冊と取り替えられ、一部を改変し『横櫛』3となる。短冊には「こくがさうさくきょうかい たい一かい しゅつひんさく よこぐし」と書かれている。これが広島県立美術館所蔵のものである。

『横櫛』1と『横櫛』3を比べると、『横櫛』1が圧倒的に優れている。最も優れた美人画の一つではないか。レオナルド・ダ・ビンチの『モナ・リザ』に影響を受けたという、

その妖しい微笑みを見つめていると、よみの国に誘われて、引き込まれそうになる。数ヶ月前に亡くなった兄嫁彦子の面影か…

少し長い右腕と少し大きな右手、細い腰、胸の膨らみは観音菩薩のようであり、黄色の長襦袢の青い襟の天女、焔に龍、隠れた左のたもとの黄色が、院体画風の牡丹の背景に映える。描かれない左手は、皇女和宮の噂と関係ないだろうか…


楠音は、父親の意向で、5歳まで女の子の着物で育てられ、人形遊びやおままごとで遊んでいた。絵画制作では、倒錯的女装癖と芝居好きが合わさって、絵描き仲間と芝居の一場面を女形として演じ、これを写真に撮り、 そして絵画化するといった特異な制作プロセスを取った。
この写真撮影は畜生塚など裸婦を描く場合にも行われている。 自己を理想的な女性像として演じる事にエクスタシーを感じる、自己陶酔型オナニズムが基底にある。性的には男性も女性も愛するバイセクシャルだった。


昭和15年(1940) 46歳
映画「芸道一代男」の仕事で、溝口健二監督と出会い、以後ほとんどの溝口映画の衣裳、時代考証を担当し、映画人として生きる。

『雨月物語』溝口健二監督
原作 上田秋成
キャスト 京マチ子、森雅之

1953年第13回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞
アカデミー賞衣装部門にノミネート

市川右太衛門主演で昭和5年(1930)から30本シリーズ化
『東映では新作ごとに新しい着物を仕立て、主演、早乙女主水之介一人の「天下御免の着流し」に衣装代の8割が使われていた。』楠音が衣裳、衣裳・時代考証で参加。

旗本退屈男の衣裳


2点の『横櫛』はエロスとタナトスを感じる美人画の極北である
★★★★★
『複雑かつ多面的な個性をもった
表現者』甲斐庄楠音を
識る展覧会、お勧めします

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