米国の大統領選は、バイデン氏が「勝利宣言」をだしたが、トランプ陣営が矛を収めるか否か予断を許さない。混乱はなお続くだろう。
トランプ政権は異状だった。アメリカファーストの名で、大金持ちを優先し、大金持ちが支配するアメリカを第一義としてきたのだ。格差拡大は言うに及ばず、WASP優越主義を隠さず、黒人・移民などを弾圧し排除してきた。
バイデン氏の勝利は、アメリカ市民の良識を示したが、暗殺や暴動などありえないことではないだろう。まだまだ厳重な警戒が必要だ。
私は10月半ばから米国の大統領選に注目してきたが、米国のような世界を巻き込む超大国はいらないと改めて思うのだ。国土が物理的にデカイから一人勝ちできる軍隊を強化する演習場があちこちにあり、海外(植民地の如く)でも核実験などをやりたい放題やってきたのだ。
地球が(時間的に)狭くなった今だからこそ、「力こそ正義」の究極の独善をこの世から放逐しなければなるまい。「他人の犠牲は顧みず」の政治を今こそ改めなければなるまい。何処の国にあっても、これは共通の課題ではないのか。
悔しいことにアメリカ大統領が誰になったところで、沖縄がやるべき事は変わるまい。より明確に非暴力による平等と友好、多様性の尊重を唱えていく以外にない。持続可能な環境政策はあらゆる問題の基礎に据えるべき事だろう。だからこそ、辺野古・大浦湾への新基地建設を許さない闘いは、益々重要性を増している。
何十万人もの沖縄が味合わされた人々の経験は、75年経ったから消去してよいものではないのだ。戦争に抗う正しい指針をもっともっとひとり一人が噛みしめながら前を向こう。「唯一の地上戦」と言われた沖縄戦を思い起こすからこそ、無数の地上戦を海外で強いてきたこの国のあり方を顧みなければなるまい。だからこそ、「島嶼防衛」の名で進められている「琉球諸島防衛」なる対中戦争の第一の戦場になることを拒否しよう。
欲望を煽り、幻想を振りまく政治を終わりにしなければ、人類としての余命は残されていないと、知るべきだ。私たちが戒めなければならないことは、人類の終わりに加担しないことであり、生類の希望を紡ぎ出していくことだろう。如何なる事態が起きようとも、冷静な議論を掘り起こしていこう。
アメリカという沖縄の内外に点在している、否、充満している「国」に、具体的にもの申していくことが問われている。そして米国の属国となっているこの日本という国を変えなければ、ならないのだ。