昨夜、2020年11月6日に行われた参議院予算委員会での小池晃議員(日本共産党)の管義偉首相への質疑を聴いた。前半の質問は学術会議問題だった。明解な質問に対して、グチャグチャな迷答が続いていた。私は調理中だったので、画面を見れず、聴いている限り、何が何だか分からぬやりとりだった。ボンクラ首相ぶりを思い知らされた。
何故こうなるのかと言えば、日本学術会議法に反する法解釈を行って6名を任命しなかったからだ。「第7条 2 会員は第17条の規定による推薦に基づいて,内閣総理大臣が任命する」のであって、内閣と学術会議で「調整」する余地はないのだ。「第17条 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする」。
そもそも学問は、政治に縛られるものではない。自然科学であれ、社会科学であれ。日本学術会議法の言葉を借りれば、①人文科学を中心とする科学の分野、②生命科学を中心とする科学の分野、③理学及び工学を中心とする科学の分野とされているが、政治家や官僚が科学者をどうやって評価できるのか?
その評価は、研究や業績からではなく政権の都合しかありえない。国に公然と異論を唱える学者を排除する、これしかないだろう。
だからこそ、管首相はもごもごとしか答えられず、「個別の人事案件には答えられない」と逃げるだけだった。要は6名の個別の案件が質されているのに、これをネグれば暗闇が拡がるだけだ。
管政権が進めていることは、学問の自由に対する介入であり、圧力なのだ。しかし現代には戦前のような大日本帝国憲法下の絶対的なイデオロギー(天皇制)がない。思想取り締まりの法規もないのだ。だとすると此所で頑張らないと、奴らは絶対的なイデオロギーを復活させ、思想取り締まりの法規を作る事を進めるだろう。それ以前にありとあらゆる分野で、より完全な忖度させる心・仕組みを、プライバシーの放棄をつくり出してくるだろう。
こうした動きに対抗する為に、私たちは、自律的な思考を磨きながら立ち向かうしかないのだ。あちこちに議論の環をつくり出していこう。ここで諦めたらオシマイだ。