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ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

首里城焼失1周年に思うこと(20201101)

2020年11月01日 | 文化の目
 おはようございます。今日の名護は快晴です。沖縄タイムスを開いたら、光り物に覆われていた。昨夜の首里城火災・焼失1周年での復興への「ひやみかち沖縄」の花火大会の図だ。今帰仁城跡(今帰仁村)、座喜味城跡(読谷村)、勝連城跡(うるま市)、中城城跡(北中城村)での模様を4名の写真部員が撮っている。何れも見事な作品だ。
 私にとってあの(燃えた)首里城は国策首里城であって、違和感は拭えなかった。沖縄返還(1972年5月15日)20周年に再建されたものだ。それでも27年余りあったから、朱の色も落ち着き、馴染んできていたが。
 首里城は沖縄・琉球を象徴するものだが、所詮王政。権力者の抗争の、権力の誇示のあだ花だ。人頭税などの収奪の歴史も忘れてはならぬ。一方で、大日本帝国や江戸幕府、島津藩などとの抵抗の歴史もあり、また、琉球王国の文化の発達に於いて欠くことのできなかった存在だったのだろう。
 いずれにしても私はひとつの象徴を敬愛するのではなく、様々な具現を敬愛したい。首里城の復興作業は正に具現であり、そこにかかわるひとがいるのは、当然だろう。この日本という国に簒奪されない文化を築きながら、オリジナルな沖縄・琉球をつくっていきたいものだ。
 この意味で、辺野古・大浦湾や浦添の珊瑚礁の海もこの具現のひとつであり、具体的な存在を敬愛し、守り、次世代に残していくことだ。ヤンバルの森や海も、宮古の海や森も、八重山の海や森も、などなども同様だ。同じものはないのであり、代替できない存在だ。
 首里城は消失しても、幾多の自然があり、エイサーなどの文化もあり、人々が織りなすものは、不変なのだ。人が生きることが不可能になれば、全ては終わりになってしまう。あの沖縄戦は、そうした危機に沖縄を貶めたのだ。シマの人口の3分の一が亡くなった、殺されたのだから。私たちはあのときの復興への努力がどれだけだったのかを再考しなければならないし、未完の事業であることも考えなければなるまい。
 この日本という国は、こうした肝心要なことには一切口を塞いでいる。冗談じゃない。私はやまとんちゅうだからこそ、ここにこだわる。過去の過ちを顧みないあり方は、滅びを加速するものだ。


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