帰宅後の仕事として、片付けは必須だ。洗濯機を回し、既に干した。ザックも洗った(手洗い)。このザックは1990年7月に買った物だ。初めての使用は、早池峰山(岩手県)登山だった。33年前。あのとき一緒に行った人は、いまどうしているのだろうか。
このザック、数年前に買ったお店に行ったとき、お店の人に感謝された。「それ、自分が設計したものです。丁寧に使っていただき、ありがとうございます(要旨)」。物を媒介としたつながり。大量消費社会では、珍しいことだ。
洗濯したら干さなければならないが、十分に干し、さらに雨対策(防水処理)を講じなければならない。こういうものをうっかり洗うと一気に痛んでいくことがあり、丁寧な取扱が必須なのだ。物は何でもそうなはずだ。近頃は痛んだり、壊れたら取り替えると、消耗品扱いになっている。残念なことだ。カメラでもその傾向があり、ぽっきり壊れたりすると、愕然とする。
カメラを洗うことはないが、手入れは大事。今は3台を順に使っており、普段、除湿箱に入れているので、ここんところ壊れていない。何でも大切に使いたい。
テルモスだが、夏用のテルモスと別に冬用を買っておきたい。夏用は多量が入り、入れるものはさんぴん茶等。冬は500CCぐらいでいいので、暖かいコーヒーを入れたい。容器は中身を分けないと、匂いが付いてしまい、不味くなる。夏には砂糖を混入できない。アリが寄ってくるから。容器一つでも、製品の質と使い方でグンと違ってくる。テルモスなどは安物はだめだ。保温能力が余りにも違う。
物を人を労ることは、結局自分を労ることに繋がっている。人間は「個=類、類=個」でないので、自らが学習し、考えながら生きなければ、どうしようもない。ジェノサイド(大量皆殺し事件)などは、あってはならないことだが、過去形にならないのが現実だ。
戦争をやめろとイスラエルに求めたい。ガザから撤退すべし。パレスチナの占領をやめろ。私は軍事国家の虚無を凝視していきたい。イスラエルも米国も、過去の日本=大日本帝国も、現在進行形でそこに向かっている今の日本国家も。これが人間の性だとは、言わすまい。