自宅にいると一日が経つのが早い。2本書いただけで夕方になってしまった。自分で買い物してきて食事作って、食べて、全部家事をやっているから、当然なのだが。くたびれて夕寝していたら、森から川淵に変わる話しが流れたらしい。政府が介入し、正式な手続きを踏めと言ったようだ。体裁を整えて、やるということだろう。こんなことを菅首相が提起できるとも思えず、誰かバックにいる奴が提言したのではないか。
「男女共同参画だから差別していません」という流れをつくるウルトラCがでてくるのか。やりたいけれど、担える人格がいないのか。ここは注目しなければならぬ。
政権を握っている連中の頭は、どうにも戦後76年間止まっているのではないか。吉田茂や岸信介の売国政治(米国への属国化)から始まり、中曽根の「戦後政治の総決算」、小泉の郵政改革、安倍の解釈改憲と、属国化の元で、近年では「新自由主義」を進めてきた訳だが、固着しているのは天皇への畏敬というご迷信。歴史を弁えず、女性を弁えず、民衆を弁えない政治。そして自然も沖縄も弁えない政治。
コロナ禍の時代、そんな迷信では、一歩も進めない。だから、益々自身の利益に収斂していく。
広島選挙区の不正事件(選挙違反)もそうだろう。山本太郎達はあそこに候補者を立てると言った(2021年2月11日)。ポイントを突いている。もっとも野党共闘が成立するか否かは難しいところだが、徹底的に政権と対抗する意義はある。今の時代、良い意味で策士的な発想が必要だ。そして堂々と対抗の論陣を張らなければ、奴らの欺瞞を暴き出せない。
女性達の新しい動きは、日常の中から出てきただけに強いと思う。やむにやまれぬ思いから出てきたものであり、もっと自由に、もっと多様に、もっともっと大きくなっていけば、欠くことのできない対抗勢力にのし上がっていくだろう。それだけに女性の敵は女性が現れることも避けがたい。
私たち男は、この今を傍観していてはならない。しっかりとたつためには、曖昧にしてきた部分を明確にして、起ち上がりたいものだ。私自身躊躇していたのだが、これは本気で考えなければなるまい。