4週と何日かだったとおもう。
妊娠2ヶ月とかいうのは、妊娠に気づかない人も多いわけで、仕事もばりばりやってる人も多くて、
つわりもまだないだろうし、普通にしていて大丈夫だと、間違った認識を持っていた私。
妊娠4ヶ月までの初期は、特に特に、流産に気をつけなきゃいけなかったというのに。
一日じゅうのイベントで、かなり無理していた。
すべてが終わった後に大出血があり、これは大変だとすぐにわかり、
そばにいてくれた友達は救急車を呼んだ方がいい、と言ってくれたけど私はもうパニックになっていて、
その場で呆然とするしかなかった。ねえ、どうしよう?もうだめなのかな??
Yさんの車で病院に運ばれる間、
まだ姿も見えないおなかの子に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
守るのは私しかいなかったのに。
あんなに、Yさんと二人でかわいくかわいく思ってきたのに、この一撃でおしまいなの?
私はどうなってもいいから、どうかどうかこの子を救ってください、車の中で、必死に神様に祈った。
(どうなってもいいからという発言はすぐに撤回することとなってしまいましたが・・)
暗い病院の、暗い診察室で、ぼんやりと見えた、小さいくろいまる。
しがみついててくれた。
こないだは見えなかった赤ちゃんの袋が、そこにあった。
安静にするしかできることはない。入院したからといって、流産が防げるわけではない。
卵がよくなければ、このまま育たないかもしれない。心臓の音が確認できるまではなんとも言えない。
冷たく聞こえるお医者さんのその言葉も受け入れるしかなくて、入院生活が始まった。
私自身はぴんぴんしている、でも、中では大変なことが起こっている、という、今までにはないパターン。
衝撃と、現実が把握できてなくて、私はその日、夜中までずっと起きて、ずっとベッドで座っていた。
何時間かしてようやくトイレと歯磨きをしに行けて・・。
そこから約2週間、その間につわりみたいなのも始まって、完全にウツ状態にもなって、
パニックにもなって、ゼリーしか受け付けなくなって、
子どものことなんか考えられなくて、自分がしんどいばっかりの日々を送った。
ウツ状態がひどくなったときに、産婦人科だし、4人部屋だし、それをお医者さんに告げれなかったことが
これまたしんどかった。
日にちがたって、黒いまるでしかなかったもののなかに、
ちっちゃい何かがあらわれだして、
ちっちゃい何かの一部分が ちちちちち、と動くようになって、
ようやく、私は母と認めてもらった。
この小さい卵も、赤ちゃんだと認めてもらった。
子どもがいる人は、妊娠何ヶ月頃に、周りに告げるもんなんだろう。
私の妊娠がわかったとき、「まだどうなるかわからないから、(周りに)言うのはもう少し先にしたら」と言われた。
どうなるかわからないって、死ぬかもしれないってこと?
そんなことを前提はとてもできなくて、すごくすごく煮え切らん思いがした。でも、
強く思ったのは、まだどうなるかわからない状態だったからこそ、きちんと身の回りの人には伝えて、
体の状態を理解してもらうことをお願いすることは、余計に大事だったということ。伝えてなかったから、堂々と休んだりできなかった。
人の意見より、自分の体の声だ。絶対だ。
でもようやく、心臓が見えて、母子手帳をもらいにいくように言われた。ここでやっと、スタートに立てた。
妊娠の、ごくごく初めの方で、いなくなるかもしれなかった命。安定期と言われるときまであと2週間、ここまできたから、
もう絶対に絶対に会いたい。
妊娠2ヶ月とかいうのは、妊娠に気づかない人も多いわけで、仕事もばりばりやってる人も多くて、
つわりもまだないだろうし、普通にしていて大丈夫だと、間違った認識を持っていた私。
妊娠4ヶ月までの初期は、特に特に、流産に気をつけなきゃいけなかったというのに。
一日じゅうのイベントで、かなり無理していた。
すべてが終わった後に大出血があり、これは大変だとすぐにわかり、
そばにいてくれた友達は救急車を呼んだ方がいい、と言ってくれたけど私はもうパニックになっていて、
その場で呆然とするしかなかった。ねえ、どうしよう?もうだめなのかな??
Yさんの車で病院に運ばれる間、
まだ姿も見えないおなかの子に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
守るのは私しかいなかったのに。
あんなに、Yさんと二人でかわいくかわいく思ってきたのに、この一撃でおしまいなの?
私はどうなってもいいから、どうかどうかこの子を救ってください、車の中で、必死に神様に祈った。
(どうなってもいいからという発言はすぐに撤回することとなってしまいましたが・・)
暗い病院の、暗い診察室で、ぼんやりと見えた、小さいくろいまる。
しがみついててくれた。
こないだは見えなかった赤ちゃんの袋が、そこにあった。
安静にするしかできることはない。入院したからといって、流産が防げるわけではない。
卵がよくなければ、このまま育たないかもしれない。心臓の音が確認できるまではなんとも言えない。
冷たく聞こえるお医者さんのその言葉も受け入れるしかなくて、入院生活が始まった。
私自身はぴんぴんしている、でも、中では大変なことが起こっている、という、今までにはないパターン。
衝撃と、現実が把握できてなくて、私はその日、夜中までずっと起きて、ずっとベッドで座っていた。
何時間かしてようやくトイレと歯磨きをしに行けて・・。
そこから約2週間、その間につわりみたいなのも始まって、完全にウツ状態にもなって、
パニックにもなって、ゼリーしか受け付けなくなって、
子どものことなんか考えられなくて、自分がしんどいばっかりの日々を送った。
ウツ状態がひどくなったときに、産婦人科だし、4人部屋だし、それをお医者さんに告げれなかったことが
これまたしんどかった。
日にちがたって、黒いまるでしかなかったもののなかに、
ちっちゃい何かがあらわれだして、
ちっちゃい何かの一部分が ちちちちち、と動くようになって、
ようやく、私は母と認めてもらった。
この小さい卵も、赤ちゃんだと認めてもらった。
子どもがいる人は、妊娠何ヶ月頃に、周りに告げるもんなんだろう。
私の妊娠がわかったとき、「まだどうなるかわからないから、(周りに)言うのはもう少し先にしたら」と言われた。
どうなるかわからないって、死ぬかもしれないってこと?
そんなことを前提はとてもできなくて、すごくすごく煮え切らん思いがした。でも、
強く思ったのは、まだどうなるかわからない状態だったからこそ、きちんと身の回りの人には伝えて、
体の状態を理解してもらうことをお願いすることは、余計に大事だったということ。伝えてなかったから、堂々と休んだりできなかった。
人の意見より、自分の体の声だ。絶対だ。
でもようやく、心臓が見えて、母子手帳をもらいにいくように言われた。ここでやっと、スタートに立てた。
妊娠の、ごくごく初めの方で、いなくなるかもしれなかった命。安定期と言われるときまであと2週間、ここまできたから、
もう絶対に絶対に会いたい。