沖縄へ行こう!

家族4人で沖縄へ行こう!

この夏は

2005年07月27日 19時40分20秒 | Weblog
この夏休みは、「舞台に立つ」という今年の大きな目標を、よりいい形で
実現させることに使うことにしていた。

小品発表会のキャストも決まり、(恩讐の彼方へ 私はサキという娘役。)昨日は初めての集まりだった。稽古場を貸してくれる予定だった子が急遽キャンセルで、梅田のはずが三宮で待ち合わせになった。

小さい声で読み合わせしてたとき、いつの間にか、去年までは無関係だった演劇の世界に入りかけてる~と思い、ちょっとうれしくなった。

そして今日は歌のレッスン+あまんじゃくとうりこひめの稽古。
はー、むずかしいなあ。鏡で見ると、私ってほんと無表情、そして挙動不審あ。
もっと何も気にせずできたらいいのになあ。

この夏、どこまで伸びれるか。私は私の道をゆく!
壊れることをおそれないで、突き進むしかない!

新たにスタート?

2005年07月22日 23時27分40秒 | Weblog
今日の勤務後、阪急ダイニングステージの和カフェで聖子ちゃんとお茶した。
二人とも体調が悪かったけれど今日も楽しく恋愛トーク。
恋愛トークが一番素になれるときだね。という。

「17歳ってなんかいいよな~~」
と彼と言った頃から、10年か。
最高に幸せな思いもしたし、挫折も味わったけど、
いい恋愛をしてきたと思う。ドラマのような展開が、私の恋愛には、よくあった。いい意味でも、よくない意味でも。
何かまた新たに、スタートという感じ。


それから、また新たに本を読んだ。
島本理生 『ナラタージュ』

「きっと、子どもだったから愛とは違うとかじゃなくて、
子どもだったから、愛してるってことに
気づかなかったんだよ。」

村娘

2005年07月22日 00時18分15秒 | Weblog
今日の演劇学校は鑑賞の授業だった。
「上演されなかった三人姉妹」
今まで観たことないような種類の劇で、
だいぶスリルがあってよかった。
おもしろかった!暗くて、恐ろしくって・・・!

そして、小品について。リーダーのSくんとは初めて話した。
なんて物腰の柔らかい丁寧な人。
そのゆっくりしたテンポというか雰囲気にこらえきれなくなり、
おもわず「丁寧ですね~~~」と言ってしまった。
「いえ・・人見知りするんです・・」とSくん。
謎だ・・キャラをしっていくのが楽しみになりそう。

肝心の台本だが、一度読んで、難しくてさっぱり意味がわからなかったが
注釈をつけてもらいつつ読むと、昔の話で、恩讐なんとかっていう復讐モノ。
それの村娘の役が私、らしい。

意味はわからないし、おもしろいかもわからなかったけど、
時代モノっていうのはおもしろそ~~と思った。

中学時代を演劇部で過ごし、演劇部~~って感じの作品がきらいで(学園モノとかコメディ系が、どうも笑いのツボが違う)
抵抗のあった私としては、おもしろそう!!と思ってる。

他のグループは知らないけど、ここでいいんじゃないかなあと思う。

先日の警告メールや℡など、なんかむやみに警告されても困るなあ。いやになったら、自分から抜けるから。
仲間との関係は、変な先入観じゃなく、自分で一から作っていきたいの!!
今日、ちょっとかまえながら話したりしてしまって、残念だったから。

一学期終了!

2005年07月20日 22時03分09秒 | Weblog
毎日2時に寝て5時に起きるという生活を、何週間か続け、おかしくなりはじめていたこのごろ。
書類に追われまくって、でもほとんど、ぎりぎりでも必死に締め切りには間に合わせた・・・。
怒られまいと必死だ・・。

最近はB氏が信じられないほど優しい。笑顔で応援メッセージを送ってくれるのだった。がんばれよ、と。うれしい。

そうして追われまくっていくうちに、一学期は終了。
ランチはおもちピザ&マンゴーヨーグルト(ドリンク)&ゆずヨーグルト(デザート)

もう10時なのに、明日のこと何もしなくていいの!!!!ばんざ~~~~~い
しばらくは、自分のことに専念できそう。歌をがんばる!あと修論と。

小品グループ

2005年07月20日 21時56分34秒 | Weblog
昨日の深夜、演劇学校の友だちから、電話がかかってきた。
「あのチームは、やめといたほうがいい」と。
そういえば、この前も、別の子に「ちょっと難しそう」と言われたのだった。

難しい、の意味はまだわからないけど。(明日くわしく教えてくれるらしいけど)

やめといたほうがいい理由として、まっさきにつぶれそう、てことだった。
正直、わたしにはよくわからない。
ふたグループしか選択肢がなかったが、もっと頼めばどこのグループでも入れてくれるんじゃないかという意見だった。
それと、「小品は、裏切ることが大事」・・・どういうこと?

私は、正直言って演劇学校の仲間をあまりわかっていない。いまだに顔と名前が一致しない子も
たくさんいる。その中で、このグループはいける、ここはだめ、とはかれるようなものがないので
(プロットを読んでも、ぴんと来たものはなかったし・・)なんで私の選んだグループがそこまで不評なのか、謎だ。ただの悪口の可能性もあるし。

明日台本を見せてもらって考えよう。
明日はよゆ~~~~~で間に合う!遅くまでも残れる!余裕!

波照間島は台風らしい。

2005年07月18日 22時39分20秒 | Weblog
ときどき、トラックバックというのが入ってる。トラックバックってなあに?
と思い、説明を読んでみたけどやっぱりわからない。どこかのサイトにジャンプできるようになってるのかな?だれかが、教えてくれてるってこと・・?
もしそうだとしたら、ありがとうございます。

飛行機の予約が、非常~~に難しい。
波照間→石垣の飛行機が、石垣着 10:45。
石垣→与那国の飛行機が、石垣発 11:15。

30分しかないのに、チェックインとか色々できるんだろうか?あの飛行機は、よく遅れるみたいだし。なかなか飛行機も宿も思うように取れなくて苦戦してる。みのる荘に電話したら、今日は台風で、携帯がつながらず、予約ができないらしい。大きな海にぽつんと浮かぶ小さな島が嵐の中にあるのを想う。

波照間をあきらめ、与那国、小浜の三泊にしようと思ったけどどうしても
波照間の星が見たくて、高那崎からの朝日が見たくて、ニシハマで泳ぎたくて、おじいに会いたくて・・・忘れられず、予定を組み直した。

明日、あと一日だ、がんばろう!!



沖縄へ行こう!予約編

2005年07月17日 00時44分05秒 | Weblog
ようやく仕事も一段落、さあ、沖縄へ向けて!!
と、先ほどからJALのHPで、いつものように航空券チェック。
それが、うまくいかない・・。
小浜は、宿さえ取れれば大丈夫だろう。
与那国へも、飛行機はとれる。宿も、大丈夫でしょう。(行ったことがないからこの宿でなきゃ!てのがない。飛行機の余裕の空席状況からみてもそんな観光客がつめよせてるわけでもなさそう)
でも波照間が問題。
台風や、悪天候の時で飛行機が飛ばない場合、確実に23日に石垣に帰っておくには
22日の飛行機に乗る必要がある。
でもそーすると、20日には、飛行機で波照間に行くことはできない!!(与那国→石垣で、すでに昼前になるから、一日一便の波照間行きに乗れない)

去年は船で行ったけど、もし海が荒れてたら・・・と考えると恐ろしい。


あと少し!

2005年07月12日 23時46分55秒 | Weblog
ううぅ、苦しい・・。
睡眠不足あけの朝、私は非常~~~~に機嫌が悪い。
今朝も例外ではなかった。

学期末のこの時期、なんでいつもこんな追い込まれるんだろう・・・。とほほ。
計画的にやればいいのに・・ていつも思うのに・・・。

ところで、沖縄ふたり旅日記を載せてから、アクセス数がぐぐんとUP!!
携帯にメールをくれる友人もいて、とってもうれしい
聖子ちゃんが寝てから民宿の畳の上で書いたこの日記。色んな人が読んでくれることになるなんて思ってもみなかったなあ。

よかったら、コメントしてね

沖縄ふたり旅日記 1日目

2005年07月10日 14時12分27秒 | Weblog
沖縄ふたり旅日記 2004年7月28日~8月4日
7/28(水)
 伊丹~那覇
 私ら二人とも、一学期は大変にしんどかった。これが終われば、沖縄に行ける、それだけを励みにふんばっていた。
 そんな沖縄の旅へ出発する日がとうとうやってきたのだ。私は、仕事のいやなことはすぐに忘れてしまうタチなので、沖縄にいって開放されたいという気持ちはもうなかったけど、本当に沖縄へなんて行けるのか?と、飛行機にのっても不安だった。空港では、スタバでサンドイッチを食べた。おいしかった。
節約していこう。
 私がピースボートに乗って沖縄を訪れたのはもう今から6年も前。大学を休んで、友だちの江利子と行った。部活帰り、そのまま南港から那覇港へ。沖縄戦の歴史を知り、愛するもの同士が激しく殺し合ったという悲劇を知り、今でもあちこちのガマで遺骨が眠っていることを、読谷村の村長から聞いた。村長は、若かった。戦争を体験していない彼は、戦争経験者が減っていく今、平和の大事さ、命の尊さを語り継いでいくことの重要さを私たちに教えてくれた。戦争を「知らない」者が、戦争を「語る」のは、易しいことではない。そんな彼は、「沖縄の太陽は本土とは違って危険だから」といって、わたしたちを日蔭で休ませ、自分は炎天下で、本土から来た私たちに沖縄の戦争について、熱心に語ってくれた。その姿が、印象的だった。アメリカ軍基地のこともそう。沖縄の美しさと、戦争や基地問題は、あまりにも対照的なのだ。私は衝撃を受けた。
 それだけではない、船で見つけて気になった男の子と、そのままつきあうことになった。5年も、つきあった。6年たっても、あの旅は忘れられない。
・・そんなわけで、私にとって沖縄は聖域だった。沖縄へ行けば、何かが変わる。そんな期待があったのかもしれない。それに一昨年は行けなかった。直前で、肺炎で入院してしまったから。だから、今度も、何かアクシデントで、行けなくなるのではないか、と心配だったのだ。

 飛行機は無事、那覇に着いた。初めての、ゆいレール。前来たときは、建設中だった。景色は、「こんなに都会だったっけ」と思った。

 今夜の宿は国際通りから近い「コバルト荘」。ふつうのアパートみたいだった。ゴキブリが現れ、聖子ちゃんはいやがっていた。確かにでかいゴキブリ。あんまり時間もないので、国際通りを歩く前に、首里城へ。バスで。あんまり観光スポットって興味ない、って思ってたけど、やはりそうだった。う~ん。復元した、という感じがすごくする。おおっと思ったのは、その周りの城壁。雰囲気あるね。首里城のレストランで、ジューシーセット(そば付き)(550円)を食べる。聖子ちゃんは、タコライス。もらったけど、辛かった。
   首里から再び国際通り。買い物を楽しむ。ブレスレット1400円、Tシャツ3枚、パンツ4枚購入。
 夜は、ちょっと感じのいい飲み屋、ワイン倶楽部へ。サッカーのアジアカップをやっていた。ここで聖子ちゃん、豆腐ように挑戦、そして大失敗。でも優しい店員さんが食べやすいようにとフランスパンをカットして持ってきてくれたりした。その優しさのおかげで、この店はマル。私は、食欲なし。
 その後、11時近くまで、雑誌を頼りに飲み屋を探すが、見あたらない。がっかりして宿に向かう。(途中でダイバーだという二人組にしつこく海へ行こうと誘われる。危なかった。)疲れて、今日はこれにておやすみ・・。 


沖縄ふたり旅日記 2日目

2005年07月10日 14時09分47秒 | Weblog
7月29日(木)
 那覇→石垣島
 今思えば、唯一、寝坊した日かも。昨日歩きまくったし。
 疲れが残って、おなかも痛くて、重い足取りで、国際通りへ。牧志公設市場の2階で、ゴーヤーチャンプルー定食を食べる。聖子ちゃんは沖縄そば。多い!残すのいやで必死に食べたけど、全部はさすがに無理だった。うしろのおっちゃんが残してたのをみて、自分を納得させて、残す。ごめんなさい。
 おなかいた~~~い。
食べた後、一階の市場で客引きをすり抜けて、出口近くで、ふりかけ2本とシークワーサーのボトルで1000円で購入。交渉成立。いい買い物だった。そのあと、商店街のゆるやかな坂をのぼる。聖子ちゃん、マンゴーか何かのジュースを買ってた。ちょっと飲ませてもらったけど、すごいおいしかった。サータアンダギー50円(安っ)をかじりつつ、進む。地図見て、人に聞いて、そこでも客引きされて(ひめゆりまで1300円でどう?)、を繰り返し、開南っていうバス停到着。ここから、大変だった。わからない!バス路線、ややこしすぎるわ!バスの運転手さんまでもが、5000円で案内してあげようか、などと言い出す。バスで?って聞いたら、「乗用車で」だって。サイドビジネス??
だんだん糸満に入っていく。糸満バスターミナルでも運転手がのっけていこうかと言ってた。路線図をカメラで撮って、必死に考える。摩文仁という文字を見ると、スッと寒くなる。喜屋武岬、糸満の役所経由のバスで、ようやく、ようやくたどり着く。これ、往復??
 ひめゆりでも、腹痛が。ちょっと下し気味。クーラーが苦手だ。3回目のひめゆり、リニューアルされていて、前回よりくわしくわかりやすくなっていた。生き残りのおばあさんの話、どうか、平和な世の中を作ってください、お父さん、お母さんを大事にしてください。という言葉が、ぐっときた。沖縄へ訪れる人々へのメッセージ。心に響かない人もいるだろうけど、でも、誰か少しでも多くの人に、伝えてください、私にはそんな風に聞こえる。秋に、沖縄戦の話を子ども達にするつもりで来たから、また違った感じ方があって、やっぱりきてよかった。
 帰りのバスは、わりとはやかった。爆睡。聖子ちゃんは、住之江警察から電話がかかってきたといっていた。住之江って・・・。
 帰りのバスの運転手さんが初めていい人で、道を聞いたらすごく丁寧に教えてくれて、私たちがわかってないと思ったらしく、降りてきて、手をパンパン、とたたき、あそこにいるガードマンにききなさい、と教えてくれた。
 パレットくもじ前を通り、国際通りに戻ってきた。御菓子御殿の紅いもタルトがすっごいおいしくって、飛行機で食べようと、一個買う。やっとみつけたハブボックスは、客層がおしゃれだった。男の子向きかな。そんなこんなしてるうちに、おそろしい時間になっていた。4:25の飛行機なのに、3:45をまわっている。おみやげをみている場合じゃない。走る!!
 途中で、タクのおっちゃんに、タクなら間に合うだろうと思って4:25の飛行機に間に合うか、聞くと、「あー、無理だね」と、断られる。
 サーッと血の気が引く。そして、再び死にものぐるいで走る。コバルト荘にに置いてた荷物はクソ重たい。なんとか42号線でタクをつかまえ、無茶を言っていそいでもらう。いい人でよかった。「大丈夫ですよ」は神の言葉のようだった。汗をだらだら流しながら、空港に電話し、荷物は私が運ぶからと、聖子ちゃんにチェックインをお願いした。いつもちゃきちゃき次の行動を考えていてくれる頼れる旅仲間。今回は、甘えすぎてたと反省。
 なんと、飛行機が延着していて、間に合った。はあああああ。タクの運転手さん、ありがとう!!
 二日目からこの調子・・・。
 昨日、那覇空港のDFSで、CKの香水を気に入ってた私。香水大嫌いの私が珍しい。聖子ちゃんもいっといでよ、と言ってくれて、飛行機が遅れてるのも何かの縁、これは買えってことね!?と思い、ケチケチ旅行の前半に4500円の香水を、清水の舞台から飛び降りるつもりで買おうとDFSに乗り込んでいった。すると、すご~くきれいな店員さんに、本土に戻る人にしか売れないんです、とソフト拒否される。が~~~~~~!!なんてこと!
 がっくりと肩を落としたまま、石垣行きの飛行機に乗り込む。聖子ちゃんの話によると、小さくてすごい揺れるらしい、ので、セスナ機規模の飛行機を想像していた、が、そんなには小さくもなく、ふつうだった。動揺していたのか、この飛行機に乗ってた間のことはあまり覚えていない。
 到着。なんと荷物のターンテーブルの間にも、おみやげの棚が!!この商売上手!
 瀬名波さんが迎えに来てくれていた。マンゴーを持ってきてくれていて、食べさせてくれた。これがもう、うっっまい!!!!めちゃめちゃおいしかった。最高!瀬名波さんもいかがですか、という間もなく、平らげる。フォークが3本あったことに気づいたのは、タッパを直すときだった。ごめんなさい、食い意地はってて・・。
 ちょっとお茶しようか、といって連れて行ってもらったのが、テラスのあるカフェだった。以前メールで、眺めのいいところに、おしゃれなカフェがどんどんできてる、と聞いてた。本土の人がやってるらしい。地元の人ははやらないですけどね、と。
 テラスは、八重山の海が広がっていた。初めての八重山、石垣島。め~~っちゃ、癒された。すごく気持ちがいい。那覇と、全然違うなあ、と思った。聖子ちゃんはもっと思ってるかも。沖縄本島の、いいところをあんまり見せてあげられなくて、ちょっと残念。でも時間も短かったし、やっぱり那覇はピースボートのような、目的を持ったプログラムが必要。
 ここでは、ぶくぶくアイスティーを飲む。カプチーノみたいな。
 八重山っていうだけで、すごく雰囲気あるところを想像してたけど、市内はすごく都会に感じた。日航ホテルまで送っていただき、部屋に入った。きれい!!こんなきれいなトコ泊まったら、明日からどうなるだろー。で、すぐ車に戻る。市街地でおろしてもらい、おみやげなんかを見て、ご飯食べる頃に電話して、ということだった。ほんとに至れりつくせりで、ありがたい・・。夜ご飯は、やまもとという焼き肉屋さんに行った。実はこの店、すごい有名なグルメ店らしく、ここ目当てに石垣に来る人もいるぐらい。ラッキーだった。
 確かに、絶品だった。こんなおいしいバラ、食べたことない。でも、途中からな~んかやばい雰囲気、これ以上食べたらアレが来るな、と。油モノに弱い私は、夜中に吐き気がして苦しむ、というのに時々なる。ウィーンで、ホイリゲに行ったときや、サラダ専門店でドレッシングをカップ2杯かけたときなど・・。やばい、と思ったけど、残すわけにもいかず、困ったな。そのあと、民謡酒場にいく。沖縄文庫の金城さんに教えてもらった安里勇さんの店だ。石垣に行ったらここに行きなさい、と電話番号まで教わっていた。うん、まあ、なんとなく雰囲気はわかった、という感じ。なにしろ、今夜苦しむかも、という恐怖はあって心ここにあらずだったのだ。それなのに、突き出しでグルクンの唐揚げとか出てくるし・・・、で、うまいし・・・。
 案の定、夜中、苦しんだのだった。あー、しんどかった。


沖縄ふたり旅日記 3日目

2005年07月10日 14時07分44秒 | Weblog
7月30日(金)
 石垣島→竹富島
 なんでこんなにモヤモヤとしているんだろう。何をしても、何を見ても、心がどこか違うところを見てる。毎日の心のモヤモヤを洗い流そうと旅に出たけど、相変わらずよくないことばっかり、考えてる。
旅のあの、感じ。まだ、なし。

今日は、朝起きて、バイキング。私の大好きな朝食バイキング。といっても、10分しか時間がなく、“さらった”という感じ。一応食べたで、みたいな。
急いでタクシーに乗る。(なかなか来なかったけど)いい運転手だった。聖子ちゃんと同じ、和歌山出身の人だった。結婚して、こっちにきたらしい。ほお~~。男の人が結婚して、こっちに来て働くって、大変かも、と思った。
 川平まで、すごく、急いでくれた。急がして、しまった。時間に、ゆとりを!!
シーマンズクラブの受付で、なんか「危険なんはわかってるけど、あえて挑戦します」みたいな契約書を書かされて、すっかりビビッてしまった私。怖いんですけど・・というと、感じのいい、かっこいいスタッフの人が、「大丈夫ですよ、めちゃめちゃきれいだから!!終わったら、きっとライセンスとりたくなりますよ、あ、でも本当に怖くなったら言ってください、シュノーケルに切り替えます、ぼくがおトモしますから」と。かっこいい!!
 あーでもこわい。ドキドキ。ダイビングなんて、できるんだろうか。陸での講習を受けて(マスクをつけるとき、どうしてもブタっぱなになるのはなぜ?)浅瀬で練習。なんか恥ずかしかった。つばかけたり、鼻からぶおーって息出したり。あーこんなことさせないでー。しかも目が痛い。
 それも終わって、いよいよ、海へ。ボートに乗った。珊瑚があってすごく遠浅なので、しばらく人が押してた。3分ほどして、少し沖合のクルーザーに移った。私たちのインストラクターは、「しゅん」という人だった。器材を着けてもらって、初めてボンベで呼吸する、え・・なんか苦しい。大丈夫なんかな。そして、空気が抜かれる。ああー・・頭までつかる。いっちゃうのね!?ものすごい、怖かった。水中は、違う世界みたい。何も見えない。そんなとき、イントラの人が先に潜ってくれてて、すっごい大きく見えて、ちょっとだけ安心できた。手をつないで、少し潜ると、バーがあった。そこをつかんで待機。「あらためて、トロピカルな世界へようこそ」とボードに。「しゅんです」ああ、そうなんだ。しばらくここにいて、呼吸慣れしたり、落ち着かせてくれてるんだと思った。で、また腕を組んでもらって次のポイントに。ニモだ。ニモの赤ちゃんがいた。すっごいかわいい。「たらこ唇」。ほんとだ。すごい挑戦的な顔だった。魚は、怖くなかった。でも、耳が痛くて、治らなくて、水深が下がるとどんどん痛くなるのが怖かった。間違って鼻で息したら、きっとパニックになる。上にも上がれないし、どうしたら・・。聖子ちゃんに聞くこともできず、(横むくのも怖い)怖かった。イントラの人にだいぶしがみついてた。珊瑚のところにつかまってるように言われて、横でなんかしてる。しばらくして、おもしろいの見せます。ていって、口から何回か、息をぷわって出して、たばこの煙のリングみたいなのかなと思ってたら、ほんとに、まんまるで、プラチナリングみたいなきれーなわっかがゆっくりゆっくりのぼっていった。なれてきたところで、戻りましょう、ってことで、終了のようだ・・。
 はあ~~~~。ドキドキしたあ。でもよかったかも。また行ってみたい。たぶん。のど元過ぎると、すぐに熱さを忘れるタチなんで。
 シュノーケルをしばらくしていると、さっきのお兄さんが来てくれて、ニモを潜って撮ってきてくれた。帰りのボートでは、「ちゃんとみとけ」と私らのイントラの人に命じられてた。ああ、私と一緒、修行の身なのね・・。何にしても、こうして一人で、沖縄に修行にくるなんてすごい。ダイビングに魅せられて、ちゃんと自分の夢叶えるべく、行動してえらい。そういう人って年齢関係なく尊敬する。
 瀬名波さんが川平まで(遠いのにスミマセン・・)お迎えに来てくれた。そして、川平湾を観光、そのあと、クラブメットカビラを見学。駐車場のおっちゃんが止めようとするのも関係なく、ずんずん進む。入っていいの?ねえ、入っていいの??と内心ドキドキしながらついていく。ほんとにバリバリのリゾートだなー。完全に客になりすましてるので、ビンゴとか誘われる。なんとレストランにも入り、「見るだけ見るだけ」とかゆうてはる。マイペースっぷりがかなりおもしろかった。聖子ちゃんは、ここに泊まりたそうで、パンフレットをとっていた。

 八重山ヤシの山をみた後、カフェでお茶。今度はパッションフルーツジュース。(ああ、この写真もアウトはイタイ。)昨日はろくにねてないし、ダイビングで疲れ果てたのもあり、爆睡。話しかけられて窓ガラスで頭を打って、笑われた。とちゅうで、竜巻みたいなのが空に上っていくのをみる。ちょっとだけ曇っている。メモリがフルになったので、写真屋さんにCDーROMに焼いてもらう。いよいよ、竹富島だ。
 離島桟橋から船に乗り込む。約10分で、到着。
 送迎は、若い女の人だった。歓迎されてる?されてないね・・。民宿到着。縁側で本を読んでる人、メヂカラ強し。
 部屋に案内されて、気づく。水着が、ない。シーマンズクラブに電話すると、やはりあった。もう竹富にいて、取りに行けない、ということでなんと・・。
日航ホテルまで届けてもらうことに。土下座したい気分だった。迷惑かけちゃった・・・・・。
 夕食に降りた。メヂカラツヨシさんが、ここにどうぞ、といってくれた、が、宿の若い子が、「あっちで」と言って、ものすごーく端っこの席に座らされた。いいんだけどさ。次々人がやってきて、勝手に騒いで、やってらっしゃる。私たちがいつ食べていいのかわからなくておろおろしてるのも気づいてるのか気づいてないのか、ほったらかしで、初民宿、かなりガックリきた。ごはんにはいってるこの黄色いの、なんだろ・・。
 で、どうしようっかな。夕日、見に行こうかな、と思っていたら、メヂカラさんが一緒にいきますか?といってくれる。よかった。竹富は、町並みが、すばらしかった。一緒に歩く中で、色々話をした。


西桟橋につくと、きれいとは聞いていたけど、やっぱり驚いた。めっちゃ、きれい。美しい。
 座る場所を探す。子ども達が騒いでる。夕日を眺めるけど、心に、ストレートに入ってこない。きれいだったけど・・・。そうやって夕日に夢中になれない自分がいやだった。何を考えてるんだろう??私は。旅に来て。感動する心を、無くしてしまったのかな。

その夜は、プチゆんたく。マイシークワーサー持参で。メヂカラさんは石黒さんという名前で、パンツを売ってるらしい。そのほか、沖縄出身で、東京芸大で建築をやってるドクター生と、同じく建築に携わる人、竹富の「音」を集めている不思議なおじさん、とかと一緒にお酒を飲む。みんなすごそうだった。なんか竹富にいる人、みんなハンパじゃない。石黒さんは誰の話を聞いても、興味深そうだった。旅する人だ。でも、まだテンションあがらず退席・・。おやすみ・・。

沖縄ふたり旅日記 4日目

2005年07月10日 14時02分55秒 | Weblog
7月31日(土)
 竹富島→波照間島
 今日は、これまでの旅と、大きく大きく違う一日となった。

朝、暑さと人の声で起きる。すっぴんで朝ご飯をいただき、ボチボチ荷造り。すると、下から「お世話になりましたー!」の声。石黒さんが、ここを出て行くようだった。窓から、「石黒さーん」て、呼ぼうと思った。ほんとにのどまで言葉が出てきてたのに、声が出なかった。そして、行ってしまった。
 その瞬間、この旅で初めて、“さみしさ”を感じたのだった。だって、もう一生会うことはない。
 それが、旅での出会いだ。私は、住所を教え合ったり、写真に残すことで、別れのつらさを紛らわせてきた。でも、旅って、そうなんだ。 
 普段は、全く違う環境にいる。どういう巡り合わせか、同じ時間を過ごす。そして、またもとの環境に戻って、それっきりもう二度と会うことはない。たぶん。
石黒さんは、唯一、居づらそうにしてた私たちに気づいて、色々と気遣ってくれた人だ。で、あの夕日を見に連れて行ってくれた。心の中でありがとうというしかない。
ちゃんと、さよならしたかった。初めての、後悔。

500円レンタサイクルのため、フジカラーののぼりを探して歩くが、何とも、道がややこしい。全部赤瓦。全部石垣。珊瑚の道はどこもそっくり!!!やっとみつけたお店のおばちゃんがすごい優しかった。ホッとした。
 ゴーヤのアイスがおいしい!
珊瑚でできた白い道は、タイヤがとられる。だけど、最高のサイクリングだった。ほんとにすべてがすばらしかった。しかも、それが、人の手によって、守られている。海沿いの道が、私は好き。

コンドイビーチの色は、聖子ちゃんいわく、優しい色の重なり。ハアーっとため息の出るような美しさ。ちょいリゾート。求めて求めて、やっとたどりついた海なのに、なぜだかそれを受け入れられない自分がいて、そんな「感動しない自分」に落胆した。
 ビーチの木陰で寝ころんで、ボーーーーーーーーーーーーーーーー・・・。しばらくして、今度はカイジ浜へ。カイジ浜を見たとき、ハッとした。岩ごろごろ、猫がうろうろ、でも、ああ、私はこういう、人の手があんまり入ってないものが好きなんだ、と思った。
 今度はほんとにゆっくり、リラックスできた。何度か、旅の、あの感じ、幸せなあの感じが来そうになった。・・・もうすぐか?
 ほんとにぐーっとねてしまった。さあ、帰らなくちゃ。
 チャリを借りた店のおばちゃん、ゴーヤアイスをごちそうしてくれた、ただで。店にいたお兄さんも、いい目をしてた。にっこり笑って、
「楽しんでいってくださいね。」
 ハッキリ言って、島に来てた若者たちは、何考えてんだ?と思うような人がいて、私でも腹が立つ。来んな、と思う。島の人からすれば、私たちだって同じ観光客なのに、そういう言葉をかけてくれたことで、心があったかくなる。 
 
初めての民宿に期待しすぎていたのもあるけど、ちょっとがっかりしてたのは事実。なんか輪ができちゃってて入れない。はやりすぎて、あんまり歓迎されてない感じを受けたので。でも・・・。
 出るときには、涙が出た。なんでやろう。悲しかった。
 何かが私の心をとらえたんだろう。それが何かは私にはわからん。
“あやちゃん”が送迎してくれたのは、“軽トラ”「うしろだけど」とかいって、荷台に乗せられた。そんなのが、すごーく楽しかった。また少し、心がパッと開いた。降りて、バイバイして、ビジターセンターに行くまでの道、キャリーをがらがら引きながら、私は泣いてた。自分でもなんで?って思った。

遊学館で・・・。録音された竹富の唄を聴いて、また涙が出た。竹のうた。たくさんの子どもや、まごができて、しあわせだなーーー、という唄が、こころに響いた。その横に、パネルがあった。竹富で生まれて、今、内地にいるような人のことを「旅にいる人」っていうらしい。そして、平安を、祈るのだそう。土壌や、水に恵まれないこの島で、空のことは、誰にも変えられない。だから、祈ったんだ。
 神にまさるものなし 親にまさるものなし
そして・・・。
 幸せをあげたら 幸せが来るらしい
という言葉。これで私は気づいたんだ。自分の傲慢さに。
私は、人に幸せなんてあげてない。
自分が幸せになるためには、どうしたらいいのか。そればっかしだった。恋を求めに島に来てた。この島は、村の人たちが本当に協力して作り上げた島なんだ。それはやがて、内地の人々の心を動かして、この島を、守ろう、この島の人たちを宝物にしよう、そんな目的で、昨日のあのメンバーみたいな人たちが集まってきてるんだ。それを、自分を輪に入れないという理由で、空気の読めない人、みたいな目で見てた。そういう目で見られるべきは、私だった。それに、私は気づいてなかったんだろうか?私は、なんてすさんだ目をしてたんだろう。目は心だ。
 この島には、神様がいる。それを必死に守り抜いた人々のエネルギーがある。島全体の空気から私は、自分の浅はかさをしった。
 同時に、ここに少しの時間でもいさせてもらったことに、深く感謝する気持ちになった。ごめんなさい。そして、ありがとございました・・・。涙が出てしようがない。

聖子ちゃんに対しても、私は全く優しさが持てなかった。ごめんね。この旅で探してた答えが、やっと見つかったように思う。

船に乗って、石垣に帰った。荷物を聖子ちゃんに見てもらい、その間に私は、まずカメラやに行き、満タンになったSDをCDに焼いてもらう。あんまりよくわかってなさそうな、のんきなおじちゃんだったので、やっといてもらって先にニッコーホテルへ。なぜ?そう、水着を取りに・・・。タクシーを待たせて、フロントへ。すごく、待たされる。というか、船の時間がせまっていたので長く感じたのかも。乗りにげじゃないよ~というところを運転手さんに見せつつ、水着を受け取る。ああ、おかえりっ!!
 タクシーの中で聖子ちゃんから電話。なにやら困っている様子。なんと、たましろが予約できていなかったらしい。うん、まあそんなこともあるでしょう、と私は思ってたけど、聖子ちゃんはとても焦って、他の宿を探してくれた。
 ビーサンで、猛ダッシュ(ちょっと気持ちよかった)カメラ屋に戻ると、おっちゃんは他のデータ処理中。この次にやるからちょっと待ってて。いやいや、もう船の時間だから、ということで、波照間から帰ってきたら、CDを取りに来る、ということにした。さあ、急げえ!!
 着いたのはなんと2分前。全く、私らしい。
 そして、もっと私らしいできごとが。
 波照間行きのフェリーは、屋外にもベンチがあり、外が好きなので、暴風を受けながら、海にひたる。・・・ハッと気づくと、いつのまにか帽子がない。全部まとめて掴んでたはずなのに。どこを探してもない。
 ま!と気を取り直す。すんばらしい、海が、広がっているのだ!もう、私は完全に心が開いたので、美しいものを、ちゃんと素直に、美しいと感動する私に戻れていた。ホントに、キレイ!!

波照間島に、到着した。たましろそうの代わりに予約できたのが、“みのる荘”。迎えに来てくれたお兄さんが、とっても感じがよかった。
 みのる荘別館は、プレハブだったので初めはびっくりしたけど、中を開けてもっとびっくり。キレイ!快適!シャワーいっぱいでる!シャワーマットがある!その上、おじいが「歓迎会をしよう」と言ってくれた。うれしい!みのる荘は、今までで一番すてきな宿だった。めっちゃかわくておもしろいおじいで、沖縄~~って感じ。人(女)が好きで、ほんとに歓迎されてることがわかる。楽しい歓迎会だった。食堂で、トイレに立ったとき、待ってた女の子があまりにもかわいくて話しかけたら、そのパパさんに一緒に飲もう、と言われ、それがきっかけで、仲間ができた。このときはまだ名前とか不明だったけど。一人は絶対に高校球児だと思った。ヤモリと、ごきぶりがいる。明日、おじいに星をみるのと、シュノーケルにいくのを約束する。楽しみ!
旅がいよいよ、楽しくなってきた!さあねよう。

沖縄ふたり旅日記 5日目

2005年07月10日 13時58分38秒 | Weblog
8/1(日)
 波照間島
昨日の送迎のお兄さんが気になってる私。昨日も歓迎会に、来ないかな、と思ったけど、スタッフなんだった。本館の方、気になった。だから・・。朝なんて1時間前に起きて、化粧!!していったら、いない!!なんで??ガックリ肩を落とす。島を出て行った?いや、5時で終わってるはず。送迎?かも。とか、色々考える。
 朝ごはんを食べた後、二度寝をする。そろそろ旅の疲れ?それと、昨日のお酒?たいへんしんどい。もともと當麻さんに、波照間の星がすごいと聞いてやってきたのだから、やっぱり星はみたい!でも、満月だなんて、計算外。2時半から、1時間おきに星を見に外へ出た。4時半の空がきれいだった。
 日差しがきつくなったころ再び起きて、洗濯をする。今までたまりたまったやつ!シュノーケルの時間まで、ということで、集落内をブラブラ。売店にいくと、あの子がいた。あ、って思ったけど、何人か、男の子も女の子もいて、あー、なんか、そうゆうのか。と思った。でも、座っていた私たちのところに来てくれて、「海、いかないんすか?」と。「行く!シュノーケル!」「それっておじいの?それ、俺も行きますよ」やったぁ・・。彼は一人で、みのる荘の近くに戻っていった。
 おじいの軽トラを、みんなで待つ。あっつい!すごいいい天気。その間に、彼の話を色々聞く。高校卒業して、もう4年、沖縄にいるんだって。九州の人らしいけど、どこか教えてくれなかった。(後で佐賀だとわかった)軽トラで、みんなで、行く!!段差で大きく揺れておお~~とかいったり、荷台の後ろの閉めるトコががたがたではずれそうになってて、手で持ってなくちゃいけなかったり、なんか、楽しかった。
 港に着くと、おじいはボートでやってきた。なんか、後ろに船体が続いてそうな感じの、前よりの、ボートで、おじいらしかった。港の岸壁でも、水はすっごい透き通ってた。
 シュノーケルで、海に入る。あの子が、「やばい・・」と言った。「なに??」」「きれーすぎて」ということで、みんなうれしくなって後に続く。珊瑚の海、すごくきれい。珊瑚もキレイだけど、私は、珊瑚がとぎれて、急に白い砂地のところがすごーーーく気になった。幻想的。あの子もいるし。何度か、素潜りで潜っていった。上がっては、耳抜きができない、とか言ってた。何度も近くにいて、楽しかった。
 ボートを移動させるとき、シュノーケルがないない、とか言って探し回ってたら首にかかってた。年寄り・・。
 一緒に写真も撮った。聖子ちゃん、ナイス!!おじいがなんか叫んでる、邪魔だったのかな、と思ったら「逆光!!ぎゃ、っこう!!」と。やっぱりおじいおもしろい。あの子、おじいの邪魔にならんか、気使ってた。いつもてきぱき、おじいの手伝いしてるし。
 くー、たまらん。
 夏やーーー
 
と、胸にくーっと、感じた。
帰りのトラックは、だから、もっとドキドキ。

帰ると、洗濯物がからっと乾いてて気持ちよかった。自分でやって、初めてわかるんだなー。

そのあと着替えて、日本最南端の岬へ。サトウキビの、畑。かわいい、山羊。どこまでも続いてそうな、草原。雄大すぎる、海。自転車からの景色は、見とれるようなすばらしさ。「逃げ水」も、何回もみた。
 岬は、すごくすごく、やさしい景色だった。もうこの先に行けない、最南端、ではなく、ここから先に広がる世界を、感じさせてくれるような。守られてるという感じが、すごくした。そこの空気と、草と、光に、ほわっと包んでもらってるような、あったかさ。それでいて、大海原。海はやっぱり偉大。
断崖絶壁の波は、岩に当たって、砕ける。やけにスローだった。それがまた恐ろしかった。海には、だれもかなわない。

帰り道は、ちょっとずつ、休みながら。写真を撮りながら。
旅のパートナーも、頼もしい。支え合って、ここまで来た。

その夜だ。夕ごはんの時、あの人が来た。
聖子ちゃんがすかさず、夕日はいつ沈むのか、どこから見れるのか、聞いてた。スバラシイ。で、見に行った。しゃべってた。旅の恋のせつなさについて、だったかな。とんとん、と足音が聞こえて、ドアを開けたのはあの人だった。本当にドキー!聖子ちゃんが食堂に戻って、私は何枚か写真を撮ることにして、残る。いつのまにか他のお客さんもいなくなって、いろんなことをしゃべる。波照間は、人の心をオープンにするのか、会って間もないのにまあ、深い話をした。この島でこの仕事してて、お客さんとつきあったことがあったけど、連絡とってたけど、別れた。俺、遠距離は無理、って言ってた。結婚、する気ある?という話にまでなって、この旅に来て、すごく身軽でいろんなことに触れられる時間、大事にしたいと思うようになっていて、すごく返事が曖昧だったと思う。いつかはなあ、とか。ありえない程色々話した。8時に近づき、バス、でるよ、と。その言葉をちょっとさみしくききながら、うん、行くと言って、下に降りた。バスのエンジン音がしたから。
くーっとせつなくなってバスに乗ったけど、おじいの顔見て、ちょっとだけ、和んだ。さっきの屋上でのことを聖子ちゃんに話した。もう、魂ぬかれたようになってた。あんだけ大好きな星をみても。心は、ここにあらず。月の出は、きれいだったけど。星空観測タワーの屋上に寝ころんで、星を見ながら、好きになってしまったけど、これからどうしたらいいんやろう、聖子ちゃんに聞いたり、自分に聞いたり、してみたけど。答えが出るはずもない。6年前は、奇跡だったのだ。今私が好きなのは、もっと自由な、もっと奔放な旅人。
 もうすぐ8/1も終わる。ラッキーだったのは、今日まで。
 帰ったら、当然だけど、いなくて。
 ぬけがらのようになってた私だったけど、その日は、楽しく飲んだ。小川てっちゃん、沼尾さん、後藤さん、聖子ちゃんと。初めはおじいのキッチンで。部屋で落ち込んでたけど、気を取り直して、行く。飲む。テレビをみんなで夢中になってみてたり。ちょっと頭は痛かったけど、場所を移動して、縁側のような板張りのとこで、飲み直す。沼尾さんが、小浜のパイナップルを持ってきてくれた。なんなんだろう、このメンバーは。誰が集まろうと言ったわけじゃなし、会ったばかりなのに、お互い寝転がって、ぼけーっとしながら、話してる。もうずっと前からの連れ、の感じが、すごーく不思議で、すごーくおもしろかった。名前知ったのもたった今、ていうぐらいなのに。すっごい楽チン。後藤さんはいつもマイクーラーボックスを提げていて、中からマイマグカップ、氷、泡盛、御菓子に惣菜など、何でも出てくる。沼尾さんはパパって感じ。てっちゃんはマジメな高校生。でもエネルギッシュだ。沖縄に来て、私は、惹かれる人にたくさんであった。ほとんどみんな、一人旅。何かに惹かれて、沖縄にやってくるんだろうな。一人旅は、大変だけど、意志がなければできない。自分の足で歩かなければ、きれいなものは見れないのだ。そして、人の人生に、ちゃんと耳を傾けることができる人が多いということにも気づいた。自己中では、ないのだ。誰か、憧れる人を知ってる。それは自分の気持ちだったり、人だったり、色々だと思うけど。
 新館を、ちょっと悲しい思いで見ながら、波照間、最後の夜を過ごす。明日は、出発だ。

沖縄ふたり旅日記 6日目

2005年07月10日 13時49分55秒 | Weblog
8/2(月)
 波照間島→石垣島→小浜島
 いよいよ、この島をでなきゃいけない。一晩で、少しは冷静になったつもり。でも朝ごはんは、胸がいっぱいでのどを通らなかった。彼は忙しそうにしていて、目も合わせてくれない。すごい、悲しー。新館をでるとき、ふり返ると、中にいた彼と一瞬、目があった。もっと、悲しくなった。

 荷造りは、できた。ニシ浜へいこう。何となく、みんなで行くことに。チャリで下る道は、最高。海が、見える。すっごい、きれい!!
 私はシュノーケルを持っていないので、ゴーグルをかけて、泳ぐ。海の中で、泳ぐってこんなんなんや・・・。そういえば、ほとんどやったことなかった。泳ぎって、プールで泳ぐためのものじゃないんだな、と思った。すごく気持ちいい。聖子ちゃんがシュノーケル貸してくれたのに、破壊してしまった。部品が海に落ちちゃった・・・・・。ああ・・・・。申し訳ない気持ちでいっぱい。みんなで、最後集合写真を撮る。集合写真って、先生っぽいって。
「あとで港にみおくりにいくよ」
私たちは一足先に着替え、帰り支度。その前にモンパの木へ。そのときに、浜にブレスレットを落としてきたことに気づく!!また!!!大急ぎで戻った。パパさんが海から出てきて、探してくれた。ありがとう・・・・。帰り道は、すっごい登り。これを、2往復も・・。でも、途中で足を止めたくらい、きれいな海が見えた。モンパの木、すごくいい。波照間を、すごく愛してるひとがやってる気がする。缶バッジと、Tシャツを買う。
 地図を見ながら、みのる荘を目指す。帰りたくない。
 時間はもうすぐだったけど、お昼を買いに、最後、売店へ。チャーハンを買う。ビーサンでは、走りにくい。
 私は、最後に彼に会えると思っていた。
 新館に向かうと、ここのご主人が、バスを運転して、私はそこに乗るように言われた。え?
 あえなかった。あえなかった。食堂で、あれが最後だった。
 胸がつぶれそう。
 最後の手段。手紙を、渡してもらおう。これで最後は、いや。
 港で、おじいと、みんなとで写真を撮った。おじい、「またくる?」「うん」「ほんとに??」といって、握手、そして肩を抱えてとんとん、と。やさしい、手だった。本当に、絶対に来るからね。
 売店で、てっちゃんをつかまえ、おねがいがある・・・と、手紙を渡してもらう約束をした。絶対渡してよ、というと、かばんの中の袋のなかの財布の札入れに、丁寧にいれてた。てっちゃんに頼んで、よかった。
 ドキドキしながら、船に。
 まだ、波照間の旅は、終わってない、と思いながらも、だんだん遠ざかっていくみんなの姿をみると、さすがに悲しかった。手を振ってくれてる。今までの島ではなかったことだ。
 みんなが見えなくなって、悲しさが、どーっと、来た。

 このころかな、私たち二人とも、お互い黙ってても、何の意識もせず、一人の時間をちゃんと持てるようになった。一人で考える時間、浸る時間、絶対必要だと思うから。そして、心にはたぶん共有の思いがあることが、すごい、安心感。

 波照間の旅は、やっぱりこの時、終わっていたのだった。

 石垣島、離島桟橋に二日ぶりに戻ってきた。前と、全然違って見えるのはなんでだろ。心の中に、しっかりと「何か」があった。きょろきょろと、観光客してたときと、違う。心が動けば、旅は断然、おもしろい。そして、大事な仲間ができると。

 なんだか、とても疲れている・・。そして、この旅一番のアクシデントが。
薬局(石垣の都会っぷりに感動。なんでも売ってる!)にいき、A&Wでお茶をして、(もう胃が疲れ切っていたので、プリンを食べて、胃薬を飲む。薬を飲むなんて、島の生活にはすごく不自然に思えたけど。(内盛荘のおばちゃんも え?薬?て感じだったし))少しおみやげを見て、食堂へ。そこで、ぼんやりと写真のインデックスでもみようかなと袋を開けたとき、そこにあったのは全く知らない人の写真。すぐにカメラ屋に電話すると、逆ギレされて、店に来ないとわからんという。はあ?とけんか腰になるが、沖縄でこれはいけない、と思い直し、大人の態度で行ってくると言い、カメラ屋に。おじさんは私がせかしたから、という態度を改めなかったが、データを探す。ない。娘さんが帰ってきた。この人は、ことの重大さを把握していて、必死でデータを探してくれた。私もずっと見てた。だから、本当に、「ない」ことがわかってしまった。そのうちに、怒りも心配も全部しゅん・・となってしまった。おじさんが謝ってくれ、五千円札をそろっとレジから出して渡そうとしたけど・・。
 なんか受け取れなかった。写真命の私だけど、沖縄からもらったものの大きさを考えたら、このおじさんからお金をうけとれないと思った。ごめんね、で充分に、思えてしまった・・・・。でも、ショック・・・・・。そら、そうやろ?

 テンションは低いまま、小浜島へ。なんか私の心の中で、旅のピークは過ぎていて、まだこれからどこかへ向かう、ええ・・・・もう、疲れた。という感じ。船の中では当然爆睡。寝ぼけた頭で小浜到着。すると、えりぃに似た、かわいい女の人が“ウェルカムですぅ~”と、これまたえりぃと同じセリフの書いた紙を持って出迎えてくれた。「小浜島へようこそ。」すごく、良さそうな人。この島に一番に来てたら、きっとすごくうれしかったと思う。うふだき荘の人気も納得。到着後、ピンク色のお茶と、サーターアンダギーを振る舞われる。いい宿だなー。豊年祭を見ようと思って、色々計画を練ったけれど、今日の五時までしか写真を撮ったり、あちこちいったりはできないという。祭りでもりあがろう、なんて考えていたのはほんとにバチあたりなことで、島の人が、真摯な態度で作り上げている祭りに旅人の私は、入れないなあと、これまで旅してきた中で、思うようになった。自分たちの大事な神様の行事を邪魔されたら、やっぱりものすごくいやだろう。それは、いけない。だから、あんまり、もうそれ以上、写真撮ってもいいか、行ってもいいか、とか、何度も聞かないで、という気持ちもあった。部屋につくと、バタン。ものすご~~く、疲れた。もう動けない。でも、写真は、もう撮れなくなる・・・・いかなきゃ・・いかなきゃ・・・・。という感じで、とっくに限界を超えている体に鞭うちつつ、チャリンコを借りて、行く!!!
 シュガーロードォ・・・どれぇ・・・、これ?だって、サトウキビ、刈られてるやん・・・。でも、一応パチリ。自転車でのぼりはこげない、口数も少なくふらふらしながら、いく。こはぐら荘も、いったっけ。売店で、牛乳、かったっけ。天気、よかったなあ。
 ごはん、おいしかった。小浜での夜は、外にも行かず、飲みもせず、部屋で月9みて、あいのりみて、日記書いて、寝た。あの子からメールはいるかなと思って、ずっと待ってたけど、入ってこなかった。

沖縄ふたり旅日記 7日目

2005年07月10日 13時47分03秒 | Weblog
8/3(火)
 小浜→石垣(白保) 
朝ごはんを食べて、(どこの宿でも、ぜったいゴーヤーがでる。ゴーヤー大好き。)またチャリに乗っていく。黒糖アイス、おいしい。細崎の方には行っていいらしく、おかみさんが月桃の葉で来るんだお餅をもたせてくれた。昨日は疲れすぎて気づかなかったけど、この島、めちゃくちゃきれい。空も雲も、海も。チャリンコを思わず止めて写真を撮ってしまう。あまりにも気持ち良くて、目をつぶってこいでいたら、植物にぶつかった。下りが気持ちいい分、アップは大変だったけど。聖子ちゃんは、雲がすきみたい。後でできた写真をみたら、私よりもよく雲を見てたことがわかる。いい写真。マンタ公園で、これ、落としてない?とくわしい地図を通りがかりの人にもらう。私たちのじゃないけど、熱心な観光客が、インターネットで調べて、書き込みまでしてる地図だった。もらっといたら?といわれ、いただく。その横の浜で、ぼんやり海を眺めてた。二人とも何もしゃべらず、思い思いにそれぞれの時間を過ごす。ヤシガニの巣作り、かわいかった。お餅、いただきます。
 帰り道、マングローブを見よう、ということになり、砂利道を野生児さながら下り降りると、牛が!!こわい、どうする?それより、今何時?12時半。船、一時じゃなかった???まさか、と思ったけど、完全に時間の感覚が沖縄タイムになっていて、いっそいで、宿に帰る。のぼりが、しんどかった・・。足、ぷるぷる・・。
 まあ、なんとか船には間に合った。一瞬だけの小浜、だけど、今度来るなら、波照間と、小浜だな、と思った。帰りの船のことは、覚えてない。また口開けて寝てたかな。あ、そうそう。私は毎晩寝言を言うらしい。「え、いつもやで。」と言われた。寝相の悪さも変わってないみたいで、なんどか聖子ちゃんとこに侵入して、ぐいぐいと押されていた。それを想像したら、聖子ちゃんには悪いけど、おかしい・・。ごめん・・。私の寝言と寝相は、もう治ったと思ってたのに。
 石垣、到着。瀬名波さんと合流して、新川の豊年祭を見に行く。もう、終わりやなぁ、という感じがしたもんだ。そのあとぜんざいを食べた。小豆の上に、氷がどかっと乗っていて、おいしかった。今夜の宿は、白保のマエザト。なんか徳島とか和歌山の海沿いの民宿の感じがした。海の男!ってかんじのご主人(ヒデちゃん)が飲めないやつは泊めないぞーとかいって、今夜飲むからまっとけよ、といって頭をはたかれた。その日の夕方が私のしんどさのピーク、熱でも出たかと思った。でも、夕食を食べるとモリモリ元気になる。ごはんパワー、すごい!!で、ずうっと待ってたのに、ヒデちゃんはいっこうに来ない。あれえ・・。で、「ねえねえたち、一緒に飲もうよ。と店のヘルパーさんたちが誘ってくれる。関東の人らしいけど、「ヘルパーんなっちゃったよ。」とカラッと笑ってた。こういう人には、私、ひかれる。旅好きそうなおっちゃんたちの与那国行きのゲロ船の話を聞き、今度来たらRACでいこうと心に決める。「よかったね、昨日まではこんなおもしろい人いなかったんだよ。ラッキーだよ。」と色々気遣ってくれたヘルパーさんたち。でも、心からは楽しむことができなくて、それと、結構疲れてて、その日はもう、寝ることにした。リビングのすぐ横に寝ていたので、声が良く聞こえてきた。その会話の中で、「本を書くってことは、自分の生きた軌跡を残すってことだ。」という言葉が聞こえてきて、それが心に残った。この旅で思ったこと、感じたこと、出会った人のこと、私も文章に残したいな、と思った。