お産の日、Yさんがいてくれてよかったな~。
まず、Yさんが陣痛をつれてきた。
何日も不規則な痛みと、出血が続いていて、Yさん到着後、本格的な陣痛が始まった。
偶然か、必然だったのか、家族全員が揃った日だったので車で送ってもらえ、
病院へ。
きっちり10分おきにやってくる陣痛に1分間だけ耐えて。
大丈夫、まだ大丈夫。
子宮はすでに4センチほど開いていて、
明るくなるころには産まれるかも?ということだった。
この時は、長丁場のお産、と思っていた。
LDR室は、ホテルのよう。Yさんが、荷物などを整理し、身の回りのせわをやってくれた。
病院到着9時、12時頃まで、じょじょに強くなる陣痛を受け入れる。まだ、大丈夫。余裕ある。
日付が変わって、陣痛がだんだん、痛くなってきた。
でもでも。
「鼻からスイカ」は嘘。
鼻からスイカ出す方が絶対痛いって。
下半身にエンジンついて飛んでいきそう?
それもそんなことない。
おなかにつけられた分娩監視装置で、どれくらいの陣痛が来ているか、グラフでわかるようになっている。
助産師さんが、「これ以上は痛くならないから」と教えてくれる。
「赤ちゃんは、ママがしんどいのわかってるから、きつい陣痛のあとには緩いのがくるから。そのときにしっかり呼吸しよう」
足や腰をさすりながらいってくださった。
内診で、「ん?」予想以上に子宮が開いていることがわかって、
先生が来て、
ベッドが分娩台に変わり、
助産師さんが手術着みたいなのにはやきがえ。
私が予習したのは、
陣痛を進めるためにスクワットやバランスボールなどがきく、
赤ちゃんが降りてくるといきみたくなるので、
そのいきみを逃すのが大変。と。
「いきまないの??」といわれ驚く。もうその段階??????
いきんでみますーーー!!!!
さすがにこの頃になると、陣痛はたえまなくやってくる。さすがにしんどい。
でもまだ大丈夫、大丈夫、私、まだいける、まだいける、赤ちゃんかってがんばってる、
そう言い聞かす。
でもときどき、もう、あかんかも・・・・気持ちが折れそうになる。
Yさんが横で手をにぎっててくれる。
助産師さんがいったことをもう一度静かにくりかえしてくれる。
汗を拭いたり飲み物をくれたり。Yさんがおらんかったら、きっとあんなにはがんばれんかった。
しゅるりん。
赤ちゃんがみえた。
おぎゃああーーーーー
「男の子ですーー」
顔の横に持ってきてくれた。
すぐにカンガルーケア。胸の上に置いてくれる。
状況が把握できない私。
後でビデオを見てみても、一番きょとんとしてるのは私。
涙が出るとか、感動とか、そういうのではなく、
胸の上に置かれてるのが、自分の赤ちゃんだということを認識するのに精一杯だった私。
そういう抜け殻状態の私をねぎらってくれたYさん。
二人でがんばった。
いつの間にか先生や助産師さんはいなくなっていて、いつの間にか家族が到着していた。
あの時のこと思い出すと、断片的にしか記憶がないのだけど、
すごく神秘的だったな、と思う。
不思議なことがいっぱい起こったんだな・・と。
出産に対してネガティブなイメージを持ってる人は多いと思う。私もそうだったから。
でも、それはやっぱり情報の一人歩きという印象だった。もっと、もっといいものだった。
私の印象は、出産はとても楽しかった。
お母さん達は、立ち会えなくて何度も豊中市内から大阪市内にかえされて、
新御堂からみた朝焼けを、一生忘れられないと言っていた。とても天気のいい、気持ちのいい日だった。
そういう朝に産まれたギャバン。
みんなに祝福されて、みんなメロメロにしたギャバン。
みんなが笑っていて、とても幸せそうに見えた。
5月15日日曜、午前2時半、3177g、ギャバン、この世に誕生です。
まず、Yさんが陣痛をつれてきた。
何日も不規則な痛みと、出血が続いていて、Yさん到着後、本格的な陣痛が始まった。
偶然か、必然だったのか、家族全員が揃った日だったので車で送ってもらえ、
病院へ。
きっちり10分おきにやってくる陣痛に1分間だけ耐えて。
大丈夫、まだ大丈夫。
子宮はすでに4センチほど開いていて、
明るくなるころには産まれるかも?ということだった。
この時は、長丁場のお産、と思っていた。
LDR室は、ホテルのよう。Yさんが、荷物などを整理し、身の回りのせわをやってくれた。
病院到着9時、12時頃まで、じょじょに強くなる陣痛を受け入れる。まだ、大丈夫。余裕ある。
日付が変わって、陣痛がだんだん、痛くなってきた。
でもでも。
「鼻からスイカ」は嘘。
鼻からスイカ出す方が絶対痛いって。
下半身にエンジンついて飛んでいきそう?
それもそんなことない。
おなかにつけられた分娩監視装置で、どれくらいの陣痛が来ているか、グラフでわかるようになっている。
助産師さんが、「これ以上は痛くならないから」と教えてくれる。
「赤ちゃんは、ママがしんどいのわかってるから、きつい陣痛のあとには緩いのがくるから。そのときにしっかり呼吸しよう」
足や腰をさすりながらいってくださった。
内診で、「ん?」予想以上に子宮が開いていることがわかって、
先生が来て、
ベッドが分娩台に変わり、
助産師さんが手術着みたいなのにはやきがえ。
私が予習したのは、
陣痛を進めるためにスクワットやバランスボールなどがきく、
赤ちゃんが降りてくるといきみたくなるので、
そのいきみを逃すのが大変。と。
「いきまないの??」といわれ驚く。もうその段階??????
いきんでみますーーー!!!!
さすがにこの頃になると、陣痛はたえまなくやってくる。さすがにしんどい。
でもまだ大丈夫、大丈夫、私、まだいける、まだいける、赤ちゃんかってがんばってる、
そう言い聞かす。
でもときどき、もう、あかんかも・・・・気持ちが折れそうになる。
Yさんが横で手をにぎっててくれる。
助産師さんがいったことをもう一度静かにくりかえしてくれる。
汗を拭いたり飲み物をくれたり。Yさんがおらんかったら、きっとあんなにはがんばれんかった。
しゅるりん。
赤ちゃんがみえた。
おぎゃああーーーーー
「男の子ですーー」
顔の横に持ってきてくれた。
すぐにカンガルーケア。胸の上に置いてくれる。
状況が把握できない私。
後でビデオを見てみても、一番きょとんとしてるのは私。
涙が出るとか、感動とか、そういうのではなく、
胸の上に置かれてるのが、自分の赤ちゃんだということを認識するのに精一杯だった私。
そういう抜け殻状態の私をねぎらってくれたYさん。
二人でがんばった。
いつの間にか先生や助産師さんはいなくなっていて、いつの間にか家族が到着していた。
あの時のこと思い出すと、断片的にしか記憶がないのだけど、
すごく神秘的だったな、と思う。
不思議なことがいっぱい起こったんだな・・と。
出産に対してネガティブなイメージを持ってる人は多いと思う。私もそうだったから。
でも、それはやっぱり情報の一人歩きという印象だった。もっと、もっといいものだった。
私の印象は、出産はとても楽しかった。
お母さん達は、立ち会えなくて何度も豊中市内から大阪市内にかえされて、
新御堂からみた朝焼けを、一生忘れられないと言っていた。とても天気のいい、気持ちのいい日だった。
そういう朝に産まれたギャバン。
みんなに祝福されて、みんなメロメロにしたギャバン。
みんなが笑っていて、とても幸せそうに見えた。
5月15日日曜、午前2時半、3177g、ギャバン、この世に誕生です。