沖縄へ行こう!

家族4人で沖縄へ行こう!

八重山旅日記 6日目 与那国→石垣→小浜(更新)

2005年08月30日 23時10分58秒 | Weblog
また荷造り。
もう、お別れなのかな。

迷いに迷って、海底遺跡見学、覚悟を決めて、行くことにする。きっとそんな、揺れないだろう・・。

お迎えのまえに酒造所見学へ。お米のにおいがした。
職場の大先輩、B兄さんとS姉さんに60度の花酒「舞富名」を買う。

もすらのたまご の方が迎えにきてくださる。
また別れを惜しむ間もなくばたばたと出発。おかみさんと一緒に写真撮れなかったな・・・。

船に乗る。ちょっとクルージング気分だ。
と、思ってたらぐわんぐわんと船が揺れだす。なんじゃこれぇ・・・
むっちゃ揺れるじゃないの。
恐ろしくなり、「帰りたい」とつぶやくももう手遅れ。あうーーー

私は高那でも酔わなかった、乗り物に酔っても吐いたことないじゃない、などと自分を励ましつつ、早くこの時が過ぎ去ってくれることを祈る。
はっきりいって遺跡の記憶はあまりない。
あんな揺れるところで下を向くなんて私にはできない。となりのおばさんも
すでにやばそうな感じ。

でもすぐ下に見える遺跡も20㍍ぐらい下なんだとか・・。

結局おそれていたほど酔いもせず、波がおさまると同時に私の動揺も消える。島をぐるっと一周して終わりだ・・。

でも、海底遺跡のところでシュノーケルなんて、
息できるんやろか・・。恐ろしい・・。
やっぱりダイビングかな。いやいやそういう問題じゃない。いざとなったら上陸できるところがほしい。遺跡に上陸できたらいいのに。

まあ、そんなんでクルージングは終わり、与那国をいよいよ出発。
送ってもらって空港ではっと気づくと、短パン&ビーサン

みんなきちんとした格好なのに、はずかしかった、しかも寒い・・。
でも、ひとりでブルーシールアイスを食べた。

空港からの景色がすばらしく、写真を撮ってたら、荷物が何かすくないことに気づく。あ!まいふな!!

待合室におみやげを忘れ、ダッシュで取りに行かせてもらう。

フェリーの影響だろうか、飛行機は満員。みんなお盆が終わって帰るんだろうな、という感じ。

曇っていて、あんまり景色も見えない。かばんの中を整理してたらすぐに石垣に到着。

瀬名波さんがお迎えに来てくれていた、いつもいつも、本当にありがとうございます。
沖縄料理が食べたいと言ったら「あら、また?」と言われたが、
ちょっとこじゃれた感じのお店に連れてってもらった。
待ってました、ゴーヤチャンプルー。豆腐をよけて食べてたら、「豆腐がおいしいのに・・。」と。好き嫌いがないのが自慢だったけど、最近きらいなものが増えている。豆腐、うどん、らっきょ、わさび、からし。

ゴーヤーは、厚く切って苦みがいっぱい残ってて歯ごたえがいいのが最高。
前連れてってもらった、美崎町の居酒屋のゴーヤチャンプルーは最高だった。

波照間で教えてもらったシリシリー(おろし金)を買うために、金城商店にもいったけど、閉まってた。(で、最終日に買おうと思ったのに、忘れてた。)
歳末大セール!!!って、書いてあった。一年中らしい。

瀬名波さんと別れ、桟橋のコインロッカーに荷物を預け、おみやげを買いに行く。
まずは、ワンピース。海に入った後、おふろあがりに大活躍!!
バリに行く聖子ちゃんに買ってきてもらえるように頼んだけど、今回どうしても必要・・730交差点のお土産屋さんにいいのが売ってたので即購入。
青と水色のやつ。帰ってからも大活躍!

今回学んだこと。
荷物を減らそうと、Tシャツとか下着とか洗濯するつもりで少なめに持ってきたけど、絶対ダメ!!むっちゃ困った。
だって後半、雨ばっか!!

なんぼでも着替えられるぐらい、いっぱい持ってこよう。
帰って下着買いまくり。10枚は買った。反動で。

こまごまと買い物を楽しみ、いよいよ小浜へ。
なんでかまた出発時間を勘違いしていて、走る。
滑り込んだけど、「西表島行」って書いてある・・・。
到着して、そこが西表だったら・・・西表に変更しよう。
K先生(沖縄連盟会長)オススメの西表。

でも到着すると、ゴルフバック持ったおっちゃん達がいてリゾートのにおいがしたので、小浜だと確認。よかった。

迎えに来てくれたのは、去年の人と違ってた。
ほんとにえりぃ(子ども時代の)みたいなかわいい人で、にこにこして出迎えてくれたっけ。
お嫁さんだと思ってたけど、ヘルパーさんだったみたい。

宿、到着。なんか、し~~んとしてる。
前来たときはお祭りだったからだと思うけど、今回はどうやら、盆明けだからみたい。

前、行けなかった大岳にとりあえず向かう。宿のおじさんに道をきいていったけど、むっちゃ迷う。

入っちゃ行けないところに入るところだった・・。初めて見たけどすっごい、雰囲気だった。

私がうふだきにもたどり着かない間に、与那国「おもろ」で一緒だったY本さんが
到着し、一緒に向かう。そっこー着いた。
でも階段階段・・。林間を思い出した。

小浜は八重山のてんぶす(おへそ)っていうらしく、八重山のど真ん中にあり、波照間以外の島が見渡せる。

山のある島は、自分が「島」にいることを確認できる。地図で見た形のそのままが自分の目で見れるから。

すごーいいい眺め。いろんな島が見える。石垣はでっかいし、竹富はぺたんとしてる。黒島とパナリは横から見るとそっくりだけど、上からみたら全然違う、らしい。西表は島じゃないみたい。

でも・・。なんか海の色が違うように感じたけど・・。なんでかな。(潮が引いてたからだった。)

夜ご飯を食べてると、祭りの音が聞こえてきた。
なんと小浜でも、伝統芸能を見ることができた。小浜は笛で有名。これは観なきゃ!!
すっごい激しい獅子舞もいたけど、今日は子どもが主役みたい。
どこどこの家の長男のナントカです。といって、三線に合わせて踊る。
子どもの健康を願う行事なのかもしれない。

ちょっと外に出ると、すごーーーーーいきれいな星が出てて、感激した

月が出るのが8時くらいだからそれまでなら、天の川だって見れるかも!!
いい子にしておこう。(みれなかった

スイカ、おいしかった。

そのあと、お散歩に出る。
シュガーロードじゃないっぽかったけど、とにかくサトウキビ畑を延々歩いた。
星が出るかなって期待したけど、それはでなかった。でも、
風が気持ちいい。
部屋よりずっとすずしかった。夜のさとうきび畑とか、遠く見える石垣の夜景とか
、きれいでびっくりした。今までだったら夜ご飯食べた後出歩いたりしたことなかったから、こんなの初めて。楽しかった。
(そう、この日はよかった。)














八重山旅日記 5日目 与那国

2005年08月30日 20時10分55秒 | Weblog
去年の冬、波照間で、高那に朝日を見にいこうと誘われたが、ずいぶん苦い思いをした。結局行かなかった。
だから今回は絶対朝日を見ようと思って来た。(リベンジ?)
昨日のメンバーで、朝日を見にいこうってことになり、ご夫婦のレンタカーに乗っけてもらって東崎(あがりざき)に見にいく。

ちょっと寒い・・。そしてちょっと曇ってる。昨日よりましだけどねー。
日の出まであと3分。牛がぞろぞろーーーっと、歩いていく。
空はもう明るいけど。出た?出ない?う~~ん、雲で見えないよ。

なんかいつの間にか明るくなってた。ちょっと残念。

今日は、Dさん親子のレンタカーに乗せてもらい、島を廻る。
私は、チャリでまわるつもりだった。アップダウンがきつくて、無理だよ!!と色んな人に止められたけど、免許がないんだから仕方ない。
そんなとき、神の言葉が。「乗ってく?」「はいっ
まあ、理由はそれだけじゃないけどねん。

与那国の景色は、なんかすごいダイナミックだった。
軍艦岩って、軍艦の形だってその時気づかず、ただダイナミックさに驚くばかり。
サンニヌ台も、なんか古代の舞台のよう・・
なんかあの上で、歌いたくなった。「歌ってくれば?」と言われた。
4人で与那国を回ったのだけど、はじめは色々感想を述べ合ったりしてたけど、
だんだんみんなそれぞれに海を見て黙ってる時間が増えて、
その空気が、私の好きな空気だった。

お昼はゆきさんちのカレー。
すっごい落ち着く店で、寝そうだった。
ずっとおしゃべりしてたい。

スタッフの人が着てたTシャツの背中のまんなかに、ちーさく「よなぐに」と書いてあってそれがかわいくて色ちのTシャツを買う。

そうそう、海にも行ったんだけど、なんだかおなかが・・と思ったらやはり。
仕方ないねー・・。小学校のかげで、ハエと戦いながら、三角座りで、寝る・・。


海に足だけつけてたら、ちくって何かに刺される。噛まれた??
なんか、うんできたし。気がつけばやけどとか青タンだらけ。暗いところになれてないからあちこちでぶつける。

久部良バリに着く頃はもうぐったり。車に入ったり出たりっていうのが・・・
苦手。気持ち悪い・・・・・

島を一周して、民宿に帰る。「朝早くから、ず~~っと帰ってこなかったね~」
そう、今日は充実してた。

ごはん食べてお風呂に入り、行きたかったTシャツ屋さん、one mahina へ。
そろそろ暗くなってくるころだ。

Tシャツがむっちゃかわいかったので3枚も買ってしまいました。
一番気に入ったのはサーモンピンクの。
Tシャツって沖縄でしか買わないので、多少の出費は全然OK!と、自分に言い聞かせたのでした。

外に出るともう暗くなってたけど、風が吹いてすごい、気持ちよかった。
帰ったら思い出しそう。いい感じだった。

帰ったらまたみんなで飲む。私は薬を飲んでたので、あんまり飲まなかった。
今日はおかみさんが色々話してくれて、それがとても興味深かった。
こっちのお盆。
ご先祖が帰ってくる、というのが、生きてる人間にとってすごく身近だと思った。
ご先祖のお友達の分のお菓子、あの世で使う紙のお金。
それからお墓のこと。お葬式のこと。
こっちで結婚式をあげるときのこと。

生きてる人も死んだ人も、ここでは本当に、近い。
おんなじように、愛情を注ぐんだね・・。

そうそう、それからまだ旧盆だったので、昨日はエイサーがおうちにまわってるところを見れた。かっこよかったなー。はじめて本物を見たよ。もともとは本島のらしいけど。

カチャーシーやるのもあこがれだったので、実現できて、うれしかった。

タイムリミットは過ぎてたけど、お話が楽しくて、時間が惜しかった。
もう、今夜で最後やからね。





八重山旅日記 4日目 波照間→与那国

2005年08月30日 19時31分21秒 | Weblog
さすがに眠い!私の睡眠不足は二日が限界です。

でも今日は島をでなきゃ・・・。
別れを惜しむまもなく、どたばたでみのる荘を後にする。おじいは、いない。

空港には早く着いたので、与那国~石垣のチケットもとっておく。
そして、荷物を預け、自分の総体重も量られる。
搭乗券を渡される。パイロットの膝の上・・ではなかった。

びゅうううんとRAC便で飛んで、あっというまに石垣だ。
石垣でお金をおろし、すぐに与那国へ出発、ゆっくりしてる間なんて、ないぞ。

与那国島、初上陸・・。天気は、もちろん雨。
おかみさんが迎えに来てくれた。与那国って・・都会・・ていうか、町。
いろいろ話をしてくれる人だ。助手席に座らせてくれるし。ふつう、後ろが多い。
このおかみさんの声を聞いて、あ、この宿いい感じかも、と思って即決したのだった。アスカにめっちゃ似てるなあ。

民宿おもろ、到着・・・・だれも、いない。疲れは、限界。寝るっ!!!!
熱かも、と思う。体がだるすぎて寝れない。治ったと思った風邪がぶり返してて
セキが止まらない。やばいなあ・・。

五時くらいまで寝た。顔がてかてかやけど、まあいい。出かけてみよう、ということで重い足取りで集落を散歩。
人がいない・・。
カップルとすれ違う。
わたし、一人。思えば一人旅なのにず~~っとだれかと一緒だった。
あーーなんか寂しい・・。ううー。

帰って、ごはんかな~~と思って食卓にゆく。でも、誰もいないじゃないか・・
もういいもういいっ!!
でも・・。ごはんは、おいしい、おいしいよー。
ずっと素泊まりだったので、あったかい手作りの料理のありがたかったこと!!

で、食べてたら、ぽつぽつとお客が帰ってきた。よかった、ひとりじゃなくって。
となりにいるカップルに話しかけてみる。あ、よかった。なんかいい感じの人。

でしゃべってる間にいつのまにか宿泊客全員の宴会(?)になっていた。
楽しかった!!後藤さんに報告。

前に座ってる人が学校の先生みたいな雰囲気だったのでそうですか?って聞いたら
違ってたけど、なりたかったらしい。
すると、ご夫婦の男の人のほうが「ぼく教師です・・。」ていって、結局、その隣に居た人も私も、みんな先生だった。
うわっ、と一瞬思ったけど、イヤなタイプでは全然なくて、むしろ楽しかったな。

十代の女の子もいた。なかなか芯のある、いい子で、苦労したみたいだけど
「両親を愛してます!!」て言ったときは拍手喝采だった。スバラシイ!

ほんとに初対面よね?と思うぐらい、タイムリミットが来るまで、ほんとに楽しく色んな話をして、いい気持ちで、眠れた・・・・。






八重山旅日記 3日目 波照間

2005年08月27日 17時44分25秒 | Weblog
8/18(木)3日目 波照間

むしゃーま ~「虹は神様の祝福だから」~

 いよいよむしゃーま。ほんとは帰るはずだった日。おじいに感謝だ。
 いつのまにかYさんも帰ってきていて、支度をして、昨日の民家へ向かう。Yさんと話しながらさとうきび畑を歩く。私を誘ってくれたことのお礼を言った。そしたら、「私は、昨日の人たちにいろんな体験させてもらってるから。あの人達にありがとうっていうと、じゃあ、その気持ちを他の人に分けてあげなさい。って言われたの。だから誘ったの。」と言ってくれた。それから「いいんじゃない?自分が楽しいと思うことをすれば。だってその方が人にも優しくできるでしょ。」ていうことば。なんていうかなあ・・。私は全然、そこまでの人間としての深みもなにもないんだけど、そういうことさらっと言われると、不思議だけど、私でも、いいかも、という気になる。沖縄にくると、自分のことを認められるようになるのかも。
 さて、K本さん宅につくと、みんな寝てた。いいの?みんな準備して着替えてたよ?
でも起こさないようにYさんと朝食を作る。シリシリー(千切りができるおろし金)で大根サラダを作る。わかめのスープと。それから、売店で買っておいた蒸しケーキ。
 外を棒術のお兄さんたちが通った。かっこいいさー!!
 集合場所に行くと、リハのときとぜんぜん違う雰囲気!華やかな衣装が、ここの人の彫りの深い顔立ちにすごく合う。私もまみどーまに参加させてもらうので、小道具のカマをもらう。K式さんが先頭にたって「イーヤーサッサ」というと私たちが続けて「チーチ」という。三線に合わせて行進し、歌が始まると踊る。踊りながら各集落から中心に向けて行進して、そこですべての集落が集まる。
 練習かと思っていたらいつのまにか始まっていていた。ぎこちなくだけど踊る、楽しい!!ときどき、前のちびっこが「イーヤーサッサ!」と声を張る。私たちは、絶対聞き逃さないで大きな声で「チーチ!」と声を合わせる。
 観光客がたくさん見ていて写真を撮ってる。てっちゃんもその中にいた。ほんとなら私も写真を撮ってる側だったかもしれないけど、ここでこーして踊ってるなんてほんと奇跡だー。そういうと、Yさん、
「八重山の神様が、呼んでくださったんだよ。」
涙も出そうなそのことば!!
ほんとに、奇跡の連続だった。普段からは考えられないほど、ここに来てから不思議な奇跡の連続だった。

公民館のところにすべての集落が行進(仮装行列)を終えて集結した。センジさんが、これから始まる棒術や獅子舞がよく見える場所なども教えてくれた。棒をやるっていうのは、地元の男の子たちにとって憧れだって本で読んだことがあるけど、納得。だって、めちゃめちゃかっこいい。私の住んでるとこで、こんなふうにかっこいい姿をみんなに見せれる舞台なんてありえない。このお兄さんたちを少し小さい子たちはみてて、自分たちも大きくなったら棒やる!って思うだろう。お兄さん達は、そんな期待も含めて、がんばらなきゃと思うだろう。こんなにみんなが輝くことができたら、犯罪とか、すっごい憎しみ合いも、すごく少ないんじゃないのかな。
 それから、子ども。どこの子かわからん2歳ぐらいの子が一緒に踊ってる。ふらふら~~っと、またどこかへいっちゃう。みんながその子に声かけて、手を取って踊って、一体この子はだれの子!!?って思った。親はどの人??と思うほど、み~~んなで子どもを育ててる感じ。うちの学校でも「地域で育てる」とかいうけど、理想はこれなんだなーと思った。いいもの見た。
 途中で雨が降ってきた。恵みの雨って感じもした。でも、カッパの中で眠く、ねむ~~~くなってきて、途中でみのる荘に帰って30分ほど寝た。ふらふら~~と戻るとすでにラストが近く、これが終わればまた仮装行列をして各集落へ戻るという。間に合ってよかった!
 やっぱ自分たちが参加できるのは楽しい。踊りながら集落へ。朝よりもずっとずっと暑くて、汗が流れる!しんどい!でも楽しい!もうすぐラストというとこ。ラストのところでおばちゃんたちがすっごいニコニコして頭を左右に振りながら、手をたたいて迎えてくれた。あの笑顔が、波照間の大好きなところ!!おばちゃんが、元気。明るい!この島のパワー!あの笑顔で、涙が出てしまった。

 ああ終わった・・。みんなで拍手をする。ほんとにむしゃーまに出れてよかった。
行列はまだ続きがあって、東集落の、がじゅまるの木の下で、もう一度、棒と太鼓、それからネンブチャーがある。ミルク様もいた。そして、最後。公民館で服を脱いだ後もういちど棒をやって、すべて終了なのだ。さすがに観光客で公民館までついてきたのは私たち3人くらいだった。ずっと雷が鳴って天気も怪しくて、どうか最後まで待って!!と思ったら公民館のところでだーーーーっとふってきた。「でも恵みの雨だよね。あ、虹でないかな」とYさん。すこし小雨になったころ、たぶんあの辺に虹が出るよ、と教えてくれる。「虹は、神様の祝福だからね。むしゃーまのときに出たら最高。」
虹は神様の祝福かあ・・・・・。なんでこんなすてきなことさらっといえちゃうんだろ・・。
すると、ほんとに・・。空にでっかいアーチが・・!!ものすごい大きな半円を描いて、虹が出たのだった。すこし光が弱くて、虹の色も薄かったけど、私も、この島を、神様が祝福してくれてるんだと思った。

Hさんが最後の棒のときに、「仕事頼んでいい?俺の代わりに、ホラ貝ふいて」と言ってくれたけど、それはさすがに遠慮した。無理無理・・そんな重役。でも、ミュージシャンの森くんが吹いてた。観光客をこんなふうに受け入れてくれることも、私にはすごく意外で、ありがたいことだった。

電話がかかってきた。みのる荘からだ。おじいが、オードブルをみんなのために買ってきてくれていて、みんなで食べよう、ってことだった。「行きます。」という。おじいのおかげでこんなすばらしい体験ができて、でも、おじいのいる集落から参加しなかったことが心のなかでずっとひっかかっていた。東集落が一番で西集落は最後だったから、東が終わった後すぐ走っていったんだけど、おじいも、知ってる人もいなかった。
Yさんとも話して、「両方たてなきゃね」ということで、一度、みのるに戻る。そしたらなんと、おじいは石垣にいっちゃって会えなかった。あした帰るのにな・・。おじいに℡して、「おじい、また来るから!!(はい。じゃ来月の予定はどうですか?byおじい)で、あのお面ちょうだい!」という。むしゃーまのためにおじいは石垣からお面を4つかってきてくれたのに、みんな遠慮のかたまりで、だれも使わなかったのがすごい悪いと思って。
で、一番かわいかった大黒天のお面をもらっちゃった。

さて、しばらくしてYさんと「じゃ、なが~い散歩に行ってきます」といって東集落へ出発した。さっき棒のお兄さんにこれから反省会があるから来ない?と誘ってもらったんで。かっこいい!!って言ってた人もいるということで、またミーハーになってはしゃいでいったけどそれ以上にYさんがすっごい応援してくれて「どの子?どの子」と大きな声で言うのでまさか隣にいる人ですとも言えず、「え~~っと・・・。」と知らないふりをしてしまった。「積極的にいかなきゃ~~!」とおっしゃるので「はあ・・」とか言ってると、センジさんも、「自分がかべを作ったら、相手も絶対作るもんだよ」という。はい・・。

で、そんなことを言ってると、ただならぬ雰囲気になってきた。そう、これはむしゃーまの、棒の、反省会だから。すごくきびしい言葉がたくさん飛ぶ。ここにいていいんだろうか・・と思う。
 ネンブチャーのことばがすごくチムに染みることばだ、だからみんなにも覚えておいてほしい、と言ってた。

 また大雨になって、外から、公民館の中に入る。そしたらさっき怒ってた人が「大丈夫、もうその話はしないサ」と言って、そこからはすごーく和やかな飲み会だった。でも、ここに居ていいのかわからない思いがあり、ずっと緊張してたんだけどマイケルって子と話してると楽しくて、だんだんリラックスした。私のことをしきりに「けいこ」という。誰やねん。もう3時ごろだったと思うけど、東京からきた森くんて人がプロのミュージシャンで、森くんのギターでみんなが歌を歌い始めた。最初は私が生まれた頃のフォークソングというやつだったけどだんだん年齢が下がりブルーハーツになりサザンになり、そして最後に、マイケルのお兄さんが島で結婚式を挙げたときにプレゼントしたという、森くんとその彼女の作った曲を歌ってもらうことになった。
 お兄さんは泣いてたけど、お兄さんでなくてもその歌詞にはかなりぐっときた。
愛に包まれたこの島で、だっけ。そのあたりとか。あのCDもだしてくれないかなあ。
 あ、で、私の気にいってた子だけど、たしかに芸能人なみにかっこよかったんだけど携帯をずっといじってていつのまにかいなくなっちゃったので、ま、いっかという感じ。
それより、観測タワーで働いてるって子(同年代だと思うけど、こっちの人、むっちゃ若く見えるからわからん)と知り合って、月や土星の写メもらってうれしかった。沖縄スタイル今月号にも載ってるらしいから、見てみよう。
 もう一軒(てかどっかの家だけど)飲みに行こうと誘ってもらったけど、さすがに明日与那国に行くので4時頃に帰る。でも、こんな時間、さとうきび畑を一人で歩いてかえらなきゃいけない。
「えりさーーーん。さよーならー」とアスリートに見送ってもらい、帰り道へ。15分ぐらいでつくだろう。
「月さえ消えなければ大丈夫でしょう。変な人もいないし」
ということだったが、なんと月が隠れた。くらっ!!!!こわーっ!!!!雨も降ってきて、自分の影に驚いたりして、なんとか帰る。


八重山旅日記 2日目 波照間

2005年08月27日 17時43分04秒 | Weblog

 今日から相部屋。初の相部屋。クーラー嫌いの私が一番気にしてたのは夜中にクーラーをつける人だったらどうしようということ。でも結局、夜はすずしくて、クーラーなんてほとんどかけずにすんだ。
 二日目、ようやくおじいが帰ってきた。今度は、「見た顔だな」みたいなことを言ってた。年に2回くれば顔を覚えてくれるらしい。
 おじいに滞在日数を言うと、「むしゃーまを見ないで帰るって!?そんな!」
 昨日から何人かの人に、むしゃーまを見る前に帰るとは残念だねと言われていた。どんなものかもしらなかったし、その時は特別残りたいとも思わなかったけど、おじいに言われたことで、やっぱ見た方がいいかもしれない、と思った。
 「おじいが飛行機はとってやるさー。パイロットの膝の上でものせてやるさー」ということで、「うん!!残る!!」と、延泊を決定。飛行機の席を取るのは大変みたいだったけど、おじいはとってくれた。おじい!!!そして、キャンセルが出たためにみのる荘の部屋も取れた。そして与那国行きの飛行機も、大阪で「念のために!」と予約しておいた便が都合よく使えることに気づいた。ほんとにラッキーだ。
 おじいはその後も、波照間島をグラスボートで一周する、というのに誘ってくれた。いきなり楽しくなってきたぞ~~~!!
 ヘルパーさん2人、おじい、私の四人でいく。「コーラル ニモ」というグラスボート。漁港から出発するとすぐ、きれいな海の中が見えた。すっごいキレイ。ニシ浜の近くでは亀も見た。エイも見た。びっくり!!海の色が本当にきれいで、水面をじーっとみていたら、だんだんゼリーに見えてきた。おいしそう・・。オーシャンゼリーとか、ありそう・・。そんな揺れないだろうと思ってたんだけど、高那崎が近づくにつれ、だんだん海の色が濃く、波も高くなってきた。ヘルパーさん二人はもうすでに酔ってぐったりしている。私は船酔いはするほうだけど、この日は大丈夫だった。むしろ海を見てると、なんか満たされていく感じ。高那あたりでいきなりおじいが「燃料が、心配になってきました」と言い、グラグラ揺れる船の中で、燃料を補給し始めた。ああ・・。私はハンドルをもっとくように言われたけど立つとさすがに酔いそうだった。
 おじいは、何度も「帰りたいですか?」と聞く割に、ヘルパーさんが「帰りたい・・」といってもにやっと笑うだけで、帰ろうとしなかった。
 思ったよりも島は大きくて、一周する頃には一時間はとうに過ぎていた。まったく酔わなかったことが、私にはすごく大きな自信につながった。私、船に酔わない!!シュノーケルとかやりまくってボートにもよく乗るし、慣れたのかなー。
 帰ると、ケンさんが三線を弾いていたので弾かせてもらった。あこがれの「遊び庭(あしびなー)」の工工四があったので、デジカメで写させてもらい、練習。でも、私はいっこうにうまくならない。ケンさんはなんでもすらすら弾いてしまう。うーん。
 
今日の夜からは素泊まりだと聞いていたので、食料をなんとかしなきゃと思っていた。おじいに聞くと、青空食堂が5時までらしい。すでに閉店5分前。おじいに℡をしてもらい、猛ダッシュで向かう。野菜チャンプルー(絶対野菜は足りなくなると思って)、ごはんにアーサ汁。マンゴージュースを頼む。むっちゃでっかいのがきたけど、次いつ食べられるかわからないので、時間をかけてすべて平らげた。
 となりではカップルが楽しそうに食事。いいなあ。
 
 そして宿に帰ると、また手違いで今度は鍵がない。相部屋の二人とも、もってっちゃったらしい。まあ、しかたないけど、相部屋のうちの一人が、昨日ごはんに誘ってくれた人だったので、電話番号を知ってる。かけてみると、帰ってきてくれると言うことだった。そしてそのまま、私も、彼女の友人宅へ、おじゃまさせてもらうことに・・!!すごい、こんなの初めて。
「山羊汁、食べられますか??」
なんでも食べてみたい私はもちろん「はいっ!!食べます!!」という。食べたことないのに。 
 初めての、沖縄の古くからのおうち。すべてが広く開け放たれていて、おぼんのかざりが、内地とすこし違ってた。仏壇も。
 大きな大きななべには、山羊汁がぐつぐつと煮えていて、さっき野菜チャンプルー食べたとこだけど、山盛りの山羊の内臓と汁が・・。うわ!と思ったけど、これが・・うまいっ!!ほんとにおいしい。癖があるとか、においがきついとかいうけど、これは昨日しめたばかりの新鮮な山羊なので大丈夫ということだった。それから、野草が床に広げられていて、それをざくざく切って、サラダにしてくれた。長命草というらしい。
 なんかこの人・・すごいぞ???
山羊汁の脂がすごいらしいけど、これと、冷たいものをいっしょにとると、脂分が胃の中で固まるので、泡盛は氷を入れちゃいけないらしい。なるほど・・。
 その辺に生えてる雑草も、ちゃんと見分けてサラダにできる。私は山羊汁を残してしまったけど、「沖縄の人は、残さずに、あまった分はもう一度なべに入れて煮込む。」と教えてもらった。トライアスロンもしているらしく、その仲間の人も来ていた。
 その人、センジさんに教えてもらったのだけど、五感の中で一番鍛えなきゃいけないのは触感。手で触って確かめることが大事で、五感をすべて鍛えなければ、第六感は磨かれないと。なるほど・・。
 なんか生き様がすっごいかっこいいのだ。海で生きてるから?自然の恵みという恵みを、あますことなく、って感じ・・。こんな人、大阪にはいないよ・・。すごすぎる。家も自分で建てられるらしいし。
 
 しばらくして、むしゃーまの練習を終えられたあとの島の人達とも宴会だ。底抜けに明るくて楽しいおっちゃん達!でも、こっちの人って、楽しいとこと、真剣な部分の境がすごくはっきりとしていて、そういう話になったときは思わず背筋が伸びてしまう。
 楽しい時間はすぐにすぎて、もう12時を過ぎている。センジさんに送ってもらってみのる荘へ戻る。部屋ではA木さんが電気をつけたままにしておいてくれた。明日はいよいよ、むしゃーま!



沖縄たびにっき①8/16

2005年08月24日 21時54分11秒 | Weblog
8/16(火)大阪→石垣→波照間

「飛行機の時間はちゃんと見ときなさいよ。」
「忘れ物したらあかんよ。」

うんうん、わかってる・・。

母のことばを思い出す。
 
1 飛行機の時間を30分、勘違いしていたのだ。
それだけではない。

2 快速に乗るための地元の電車にも滑り込み、関空の駅で初めて、12:50ではなく12:25の便だということに気づく。血の気が引く音が聞こえた。

3 ICOCAカードに残金が足りない!精算しようにも万札しかない!!しかたなく有人改札に行列!!

4 チェックインを済ませたが、持ち込み手荷物の検査にまた長蛇の列。

5 きんこーーん。こんなときに限って、手荷物検査にひっかかる。カッターを没収されたりベルトとくつを脱がされたり。

搭乗ゲートについたのはぎりぎりだった。
 乗ってしまえばこっちのもん、だけど、難関はまだあった。

6 波照間行きの船ぎりぎがこの日の最終便。定刻通りに飛行機が着けば、乗れるぎりぎりの時間。(10分延着した)

 今年は旅仲間のSS子ちゃんもいないひとり旅なので、不安をひとりかみしめる・・。ああ、夏休み、確認する時間はたくさんあったのにね??
 
 石垣空港に到着し、出口には、Sさん(石垣の、中学校の先生)が迎えに来てくださっていた。

「早く!早く!」

 もう迷惑はかけまいと(前回沖縄旅行でも大変お世話になりました)決めていたのに・・。そんなどんくさい私のために船のチケットを買っておいてくださった・・そして離島桟橋まで、車で送ってくださったのだ。到着は、船の出発3分前。
 Sさんとひさしぶりにゆっくり話をする間もなく、波照間へ、出発。

「ニューはてるま」号は、超満員。室内だと酔うのでデッキの席に座る。 

 ふう~~~~~~。
 

 あらためて、「奇跡だ・・」と思う。沖縄仲間のGさんに(前回、みのる荘で会った)メールする。
「今、船のったよ」
「最終便ですか?確実に奇跡じゃ~」うん、そうだよね・・。
 
 船旅は、快適だった。去年同様すごくいい天気で海は凪いでる。ばしゃん、ばしゃんと船がしぶきを上げるたびに、小さな小さな虹ができていた。うわあ~~~。ムービーで撮ったけど、カメラには映らないみたい。目に焼き付けよう。
 海の色が天国みたい!



 

風邪・・

2005年08月15日 01時17分16秒 | Weblog
風邪を引いてしまった。今日はおばあちゃんの家にいくのに
頭ががんがんして熱っぽくてやな感じだった。
でも、堺でおいしいお寿司をごちそうになり、板さんとしゃべってるうちに
治った。でもあいかわらず声はさいてー。

今日はシュノーケルグッズを買いに行った。梅田に新しくできたすごく大きなダイビングショップだ。

おちょぼ口仕様というのは、実はレディースのことだったみたい。
最近旅行のためにかなりケチった生活をしてるので
今日の出費は痛かったし、滞在中の宿泊代とか考えると、頭がくらくらしてきた・・。

石垣からメール。
波照間行きの最終の船の時間を勘違いしてて、あやうく乗り遅れるところだった!!この性格・・。去年の数々のトラブルたちは絶対この性格のせい。

なんとか行けるだろうか?なんか不安・・



シュノーケルグッズは?そして旧盆

2005年08月14日 01時02分58秒 | Weblog
気づくとなんと出発3日前。
9日に体調を崩し、のどが痛くて体がだるかった。
体のだるさはなくなったものの、のどがいつまでも痛くて声もでなくなってきた。
9日にようやく仕事が終わったので、体は正直なもんで気が緩んだのかもしれない。でもこのノド・・・いつ治るんだろ。

それで、今日、シュノーケルグッズを買いに東急ハンズへ行ってみた。
噂の「おちょぼ口シュノーケル」を探すためだ。
これは、レンタル品と違って長時間くわえてても口がつかれないという優れもの、らしい!

でも、スーパーに売ってそうなふつうのしかなかった。
やっぱりスポタカかダイビングショップかな。

沖縄のお友達から、メールをいただき、今年の旧盆が17~19日だということがわかる。
こっちのお盆を一応さけてスケジュールを組んだのに、旧暦をすっかり忘れていた!!

沖縄でも盆の時期は海には入ったらだめなんかなあ。
私は大阪で一度だけ盆に海に入り、なんと足の骨を折って、なかなか治らなくて
たいへんだったことがある。なので、そういうのは絶対なのだ・・。

うむ~。
でも今日ガイドブックに、与那国島のサンセット&スターライトクルージングというのが
書いてあったので、それに申し込もうと思う!!スターライトクルージングなんて、なんてロマンチック!!!

そう、しかも旧盆には波照間で「むしゃーま」という伝統行事があり、
ご飯は自分で作らなくてはいけない。
でもこんな機会もないだろうから、楽しみにして、そしてやってみようと思う。

何の荷造りもしてないけど、大丈夫だろうか。
頭も体も動かん。

ややこしいことはおいといて、沖縄へ行かなくちゃ!

2005年08月10日 15時25分06秒 | Weblog
昨日までお仕事。研修や水泳の引率などがあった。
子どもらと過ごすのは大好きな私。


でもまあ!そういうややこしいことはおいといて、沖縄へ行かなくちゃ!
旅行は、直感がすべて。
朝からネットやガイドブックで宿さがしをしていた。

去年は聖子ちゃんが全部スケジュールを考えてくれたけど
今年は自分でやる・・・。となると、むっちゃ要領わるい。進まん。
事前に調べたり計画を立てるというのは、ものすごい苦手みたいだ。
ガイドブックも読めない。買ったら安心してしまうタイプだ。

というとこで、いつもの直感。民宿「おもろ」の紹介「料理はかなりおいしい」
と「ふしぎな人が集まる」と「テレビが共用で、いつのまにかみんな集まってくる」というところに惹かれ℡してみたら、OKだった。一週間前なのに!!よかった。℡に出た女の人の感じがよかったので、もう他はさがさなくていいや、という気分になった。これで、宿はすべてOK!!

今の天気図には、台風のかけらも、見えないので、ちょうど一週間後、やってきたらどうしよう・・。
波照間には、無事いけるのか!!?

後藤さんの話だと、船はゆれまくって天井に頭がつくほどらしい。
でも、今回もいい仲間がたくさんできたみたいで、よかったね

ああーーーー!!!
旅費払うの忘れてた。


恋は、タイミングが命

2005年08月10日 00時42分51秒 | Weblog
今日は朝から水泳大会だった。聖子ちゃんのところへお泊まりして、
そのままチャリで通勤。

プールはすごい人!
気になることは一つ。
2年前、びみょーな離れ方してる人と、この日は出会ってしまうこと!
別にふつうに話せればそれでいいんだけど、それが究極に難しい。

結局、話すことも目を合わすこともないままだった。
だけど、2年前の楽しかったことはすごく思い出した。
みんな口をそろえ、あの子はやめとけと言ったけど、私にとっては、
楽しい思い出なんだなあ・・。思い出だからだ、と思うけどね。

恋は、タイミングが命。
何かが少しでも違ってるだけで、二度と会えない人になってしまう。



ハチ旅日記 3日目

2005年08月04日 20時29分50秒 | Weblog
7月31日(日) 3日目

朝から雨!
カートンドッグといって、牛乳パックにホットドッグの材料を入れ、
立てて火をつけ、倒れたらちょうどこんがり食べ頃!
昨日のカレーといい、アイスといい、このカートンドッグといい、
なんでこんなにおいしいか!!
ほんっとにおいしいの。

昨日の夜は、みんな疲れちゃって、ころんと熟睡。
夜中、トイレのために起こしても、「ちまき」みたいにぐにゃっとして起きないし。
朝も、起きない起きない。私もさすがに3日目はしんどかった・・・。
これからはつきあいがあっても睡眠時間だけは確保しようと思う。

ぼーっと朝ごはん作りを終えたころはもうどしゃぶり。
大根抜きは中止になり、しおり作りをする。
しそのにおいがする葉っぱを、みんなが持ってきてにおわせてくれた。

そして、空いた時間をうめるため、いきなり室内オリンピックをすることに。
雨プロように風船を買ってたけど、雨は降りそうにないということで
なにも考えてなかった。でも
「考えてくれてんねやろ?」と言われ、まさか考えてないとは言えず、
「は、はい。」と返事、瞬時に考える。
パニックになり、大声で司会をしてるうちに頭ガンガンしてきた。
やばい・・。
頭痛→吐き気になることが多いのだ。バスの中でなったら・・たいへん!!
最後の昼食はほとんど食べれず、バスに乗り込む。

帰りのバスではふらふら、気持ち悪くなるし最悪だった。
帰校式も死にかけ。
それでも、子どもを帰し、林間は無事終わったのだった。

その後の校長室での打ち上げはリタイア。職員室の自分の机で30分ほど熟睡すると、からっと元気になった。

元気になった私にB氏。
「お前は、気合いを入れ続けたからちゃうかー。」と。なるほど。
でも、キャンプファイアーが去年よりグレードアップしてたと言ってもらえて、
うれしかった。

S先生を一番に意識し、緊張しつづけた3日間。
でも「めっちゃがんばってた。それ見れてB氏もうれしかったと思うし
私もうれしかった。かっこよかったで。」
という、ことばをいただき・・・。
胸がいっぱいになったことは言うまでもない。
報われるというのは、ホントにうれしい。

あんまりここの学校で、私はほめられたこともなかったけど、
この林間で初めて、いろんな人に認めてもらえて、
必死だったので意外だったけど、がんばって、よかったなあ、と思った。

「林間さえ終わったら、ひとりで楽になれる」とか思ってたけど
今は、みんながいなくてさみしいくらい。

そういえば、この子たち連れて林間にいくのは夢だった。

ハチ旅日記2日目

2005年08月02日 00時00分28秒 | Weblog
7月30日(土)
昨日の夜は、気持ち悪くなって2時で限界。
5時頃に子供らは起き始め、3時間しか寝れなかった。

二日目は、まずは焼き板作り。
私もやらせてもらった。やまんだの教室に、たしか子どもの名前入りのやつが飾ってたと思いだし、私も描こう!と思って子供らのグループに混じってやった。
「ここでやればいいやん」と言ってくれたので。

37人全員の名前を書いたが、一組の子が、不公平だといいだし、自分も2組だったらよかったのにとか言い始めて集まってきたのでこれはやばいと思い、
裏面に一組の名前も書くことにした。
そこまではよかったけど、乾かすときに、両面かいた子が怒られている。
「そんなことやれって言ってない。迷惑や!!」とH先生。
おまけに冗談ぽくだったが「○○先生(私)のせいだゾ」とか言い出したので
シカトして逃げた。

その後、カレー作り。
火をおこして、はんごうでカレーを作るというもの。
ごくかる~~い説明で、まだ「野菜サラダ」しか作ったことないこの子らに、そんなんできるんか・・?と思ったけど、先生は手出ししちゃいけないここのオキテで、私たち教師グループは別で作ることに。
火おこしはお前がやれ、と言われ、やることに。マッチは7本。
何本めで成功するか!?とビデオを回された。
火をおこすのはいつも男の子がやってくれるので、そんなんやったことがない。
ほんまに不安だったが、言われたとおりやってみると、一発目で成功した。
単純なもので、なんかそこからめっちゃ「林間って楽しい
という気分がもりあがったのだった。

子供らは子供らなりに、苦労しながらやってた。
絶対に甘やかさないという方針で、何を聞かれても「自分で考えて」と返し続けたが、子供らは、初めは困ってたけど、友だちと力を合わせることを知ったようで、
黙々とがんばってやるようになっていった。
いつもみたいにチクッたり、文句いってケンカしたりもしない。
こういうことが苦手な子は最初遊んだりしてたけど、黙ってついていくようになった。みんなにわがままと言われてたあのコも、黙々と、なべを洗い続け、文句も言わずに先頭に立って一番しんどいとこをがんばってやってくれたと思う。
やったら、できるんやなあ・・。
子供らがかわってくのを、手応えとしてしっかり感じて、すごいなあ。と思った。

できたカレーは、めっちゃおいしい。
ほんとにおいしかったのだ。B氏も「これほんまうまい」と言っていた。

で、その後はスイカ。
なんか、スイカの切り方講座というのがあるらしく、どんな人数でもちょうどに等分できるという技術をマスターしてる宿の人。そういえば、ここの宿は、子どもらの成長を、ほんとによく考えてくれてると思う。O先生が絶賛してたのも、わかる。

スイカで急激におなかがふくれたが、その後はアイスクリーム作り。
さとう、生クリーム、バニラエッセンス、牛乳をあき缶にいれてかたくふたをし、
専用の容器に氷としおを入れて混ぜる(ころがす)こと30分。
できあがったアイスのうまいこと!!!!!

そしてそして、そのあとはウォータースライダー。
手作りといえども、最後のざばーん!!のスリルは同じ。
子どもら、大いに盛り上がる。私もやろうかと思っていたが、怖くなって、カメラ係に徹していたらB氏がお前もすべってこいと言い、
列に並ぶ。
あれだけの高さなのに、なんかびびってしまい、5人連結の一番前で滑り降りた私はぎゃああああ!と叫んでしまい、その姿はカメラにもビデオにも、ばっちり写されてしまったのだった。
子供ら大爆笑

夜はきもだめし!!待ってました!!
「不評の名所巡り」
というのに行った。
なにが不評か??
それは、あまりに恐ろしく、吐いてしまう子がでるかららしい。
私は楽しみ。

案の定、子どもはすっかりびびってしまい、号泣。もういやや、死んだ方がましや、もう帰らして!トイレ行かして!先生がついてきてくれへんのやったらもういかへん。などなど。
かわいかった。悪いけど笑いが止まらなかった。
名所巡りのあとの肝試しはそんな怖くなさそうだったけど、中間地点でB氏と子供らを待つ。鉄のテーブルをたたいておどかす。これまたわらいがとまらんかった。

二日目はそんな感じですごーくハードだったので、子どもら爆睡。
私も爆睡したかったけど、夜の宴会が夜中まで続き、翌日の体調不良につながったのだった。

そうそう、お母さんに会いたい、といって泣いてた子。
かわいい。お母さんにそれを言うのが楽しみ・・・。





ハチ旅日記

2005年08月01日 22時34分06秒 | Weblog
7月29日(金)第一日目

林間学習、いよいよ出発。
絶対失敗しちゃいけない、任せられたキャンプファイアーとバスレク、
絶対成功させなきゃいけない、何日も前から
緊張してしかたなかったこの日。

朝7時集合。ちょっと遅いぞとB氏に言われ、気を引き締める。
前日まで考え続けたバスレクは、乗車すぐ子供らが吐きまくったので
中断。

11時頃、ハチ高原到着。雨がふっていて、高原で食べるはずだった弁当は、部屋で食べることに。
その後、予定変更で、登山を今日することになった。
高丸山と、鉢伏山だ。
高丸山で、しんどくなった子は下山する予定だったけど、無理やり全員鉢伏にも登らせた。登ってみると、きついと聞いてた鉢伏山の方が、岩場があったりどこかにつかまらないと立ってられないようなとこがあったりで、登りがいがあっておもしろかった。
なんで山に登るのか?そこに山があるからだ。と言ったのはだれだったか忘れたけど、まさしくそんな感じ(鉢伏山だけど)。
すっごい気持ちいい風が吹いて、景色もすごくて、(もともとスキー場のハチ。
でも雪景色とはまた違った草原の美しさ!!
今は、私の子どもの頃と違って、遠足で山に登ったりしないから、こんな体験も、
子どもにはめっちゃ貴重だと思う。

下山して、写真撮影のとき、だらだら~としてまったく人の話を聞かず、めちゃくちゃだったので、ガツンと叱った。でも、後で、(疲れてんねんからしゃあないよな・・しまったな)とかちょっと後悔した。

その後のジュース、おいしかった!!

心地よく疲れて、もう寝たいぐらいだったけど、私にとってのメインイベント、キャンプファイアーが待ってる・・。

思えば、キャンプファイアーを仕切るレクレーション係は、結成当時、はっきり言って頼りなかった。しっかりやれそうな子が数人。あとは、声が小さかったりすぐふざけたり・・。ああやばい。私が仕切った方がいいかも・・・。そう思っていた。

私の準備ミスで台本を当日に変更した。
始まる少し前に、ファイアー場に係を集め、最後のチェック。
日が暮れてきた。

いよいよ集合時間になり、みんなが集まってきた。歌の練習をする。
うん、よく覚えてる。

初めの司会は、もう子どもたちに任せ、私は火の精の入場の合図にまわった。
子供らの司会、バッチリだった!!すごくうまい。
火の精たちがおごそかに入場する。ちょうど暗く、涼しくなってきた・・。
子供らのもつトーチの火が、(子どもの)私が作ったひらひらの衣装に燃え移りそうで、マジで怖かったけど、ああ、すごくよかったと思う。その時の全体の空気。
みんな夢中で見てた。

そして、いよいよスタンツの開始。
この子達は初め、自分たちで出し物をすることに、極端に消極的だった。
「間違えたらいややし。」
「笑われるかもしれんし。」
そんなこの子らに、ブチ切れし、「私はあんたらが楽しめるようにがんばるつもりや。あんたらはええ思い出を作りたいとは思わんのか!」とムリやりスタンツをやるようにし向けた。自分らでやらんと、ほんまに楽しい思い出はできひんやろう、と思ったから。教師は価値観のおしつけや、と言われたことがあったけど、こればっかりは、私が正しいと思ったから。

そして、そのスタンツ。
ヒロシと、レギュラーのモノマネから始まり、ゲームに仮装大会、劇、クイズと
子供らは大いに盛り上がったのだった。
ちょっと時間はおしたし、途中シケそうになったときも、ガンバレコールが湧いたりして、しつこいぐらい長くなっても、あえて手助けしなかった。
それが、レク係の子も声を掛け合ったり、協力して(これを一番求めてた!!)
なんとか成功させようとしてたのがすっごい頼もしく思えて、感動して軽く泣きそうだった。
私が歌詞カードを忘れて、2番まででいいから、と言ったのにもかかわらず、
最後の「今日の日はさようなら」を、ちゃんと3番まで歌ってくれたことも
ちょっとじ~~~~ん

終わる頃にはレク係のひとりが「先生、星。」といって
曇ってた空に星を見つけた。
「わたしこんなん見たん初めて。先生は?」
と聞かれ、私が初めてみたすごい星空というのが林間で、
そのとき先生になろうと決めたことを思い出した。