沖縄へ行こう!

家族4人で沖縄へ行こう!

復活!?

2007年05月29日 22時52分13秒 | Weblog
病休の可能性も出てきて、これはどうしよう・・と思っていたが
今日別の病院へ行って、投薬しながら仕事をすることが可能だと言われ、
そうすることにした。

今の仕事はとても大変だが、休むとなるとそっちがストレスに感じてしまう。

今回、去年のごたごたを引きずってさらにしんどい環境になり、受け止めきれずに
神経が反乱を起こしたらしい。

兵士は寝てるときも戦闘モードらしい。寝込みを襲われてもすぐに対処できるように。

同じような感じで、学校では完全に戦闘・攻撃モードにはいっている私は
寝てるときにも戦闘モードらしい。普通は夜にはその神経は休むことになってるらしいが、ちっとも休んでいない。

寝て起きると余計にぐったりするのはそのせいか??

とにかく明日から、薬の力も借りて、仕事をがんばろうと思う。

今回のことで、Yさんは本当に私を最後まで心配してくれ、
吐くのがいやだといったらそんなのは俺の腕に吐いたっていいからと言ってくれた。
渋谷からタクシー代8000円かけて帰ってきてくれた。

私は負け犬か、という気分にもなったが、Yさんに支えられ、
明日から4かぶりに復活することにする。

自分の気持ちに振り回されないように、いたわりながらやっていかなくちゃと思う。

さーーー明日からが心配だが、何とかなるか!?

救急車

2007年05月27日 13時39分39秒 | Weblog
今日は一日家にいてパソコンに向かっています。

なぜなら、体調を崩したからです。

大変になさけない思いをいたしました。

救急車に、乗ってしまった・・・・・。

ダンナさまのお誕生日でございました。

代官山「マダムトキ」にて機嫌良くフレンチを楽しんでいるところ急にそれはやってきました。

わーーーーーん

という耳鳴り。

音が次第に小さくなっていき、これはヤバイかもと思い、トイレへ。

トイレまでたどりつけず、しゃがみこんでしまった。

なんか、立てないぞ!?

くらくらくらーーー

とし、治らない。

しばらくしてYさんがやってくる。

手がしびれてきて相変わらず立てないので、とりあえず席まで支えて頂く。

治らないのであとデザートだけ!!というところだったのに食べれずに
帰る。渋谷からタクシー。ほんますみません、Yさん。

帰ってねりゃ治るだろう、と思っていたらなんか余計悪くなってきた。

病院いくか?と言われたのに何度も断ったのがマチガイだった。

まだましなうちにいっとけば。

だんだん気分が悪くなり、手足がぶらーん。車まで運んでやるといわれたのに、

だっこでもなんでも、揺らされたり体の向きを変えらるのがすげー苦痛。

こりゃだめだということで、なんと救急車・・・・

すみません、ほんとすみません・・・・・

事故ったとき以来です。救急車なんて。申し訳ありません。

リュックみたいなのにかつがれ、救急車のベッドへ。

すごーく親切な救急隊員さんが見守ってくださる。

すごく、やさしい。

揺れを最小限にもしてくれたし、ベッドの寝心地は最高。(傾斜とかクッションが、気持ち悪くならないようにすごく計算されてると思います。あれは)

で、脳外科について色々診察してもらったりしてるうちに、揺れがいやじゃなくなり、起きあがれるようになった。

ストレスだと言われた。

仕事が、しんどい。

仕事が好きだったころの気持ちと、今はまったく違う。

私の教師生活は、もう大阪で終わっていたのかもしれない。そう思う。

休めばそれも変わるかな。

とにかく、じっくりと何かを考えることがもうできない。

休ませてほしい。

そう思うけど、こんなクソ忙しいときにこんなたいしたことじゃないことで休むなんてあり得なく思う。

どうしよう。

ホントに色んな人に迷惑をかけ、心配をかけ、申し訳なさ過ぎ。

気分を落ち着かせる薬で治ったけど、ほんとにどうするかな。


結婚前々夜

2007年05月27日 12時42分09秒 | Weblog
3月29日 結婚式の前々夜。私はスーツケースの前にしゃがみこんでいた。
明日はこの家を出る日。
そして沖縄へ出発し、もうここには帰ってこない。帰るのは、東京になる。

引っ越しは何とか済ませたけど、部屋の中にはまだ物はたくさんあって、
必要な残りのものはこの大きなスーツケースにつめたつもり。

でも、不安でならない。準備はこれでいいのか??

最後の最後までやらずにおいた
*ウェルカムボード
*両親への手紙
*BGM
この日で仕上げる。
BGMを選ぶのは途方もない作業だった。
インターネットからウェディングBGMのランキングをだし、
TUTAYAやタワーレコードで試聴させてもらったり。
結局「ゼクシイ」が出しているウェデング特集のCDは
それぞれの場面にふさわしい曲がいろいろ入っていたので
これを10シリーズくらい借りてきて、決めた。

この結婚式に、妥協はひとつもなかった。

ほんの少しでも気になることがあれば、
そこから何も進めなくなる。
BGMもそうだった。

納得するには、膨大な数の資料をできるだけ多く自分の目と耳で確かめていくしかない。

すると見つかる。自分の好きなものが。
そしたら、気持ちがすーーっと晴れていく。

また他のことが気になる。
また探す。

それの繰り返し。

このへんでいいか。とは、どうしても思えなかった。

(でも時々、もう「どうにでもなれ!」と思うことはあった。)

あと半年だったのに、あとひと月だったのに、もう明日出発???信じられん。
こんなに早く、この日が来るとは。

パパもおかあさんも寝れないようだった。

普通の結婚式とはちょっっと違う。
親戚じゅうでの大旅行だ。沖縄に。
みんな、荷造り。



結婚前夜

2007年05月27日 12時41分18秒 | Weblog
3月30日。結婚式の前の日。
一足さきに沖縄に向かう。

8:25関空発 那覇行き。
5時に起き、出発する。
すごい嵐だった。やっぱりか??

パパが駅まで送ってくれた。
「じゃあ、行ってきます」

関空で荷物を整理し、預ける。
飛行機の中で、両親への手紙を、書く。
書いたら、泣けてきた。


ワタベウェデングとの打ち合わせ事項を確認する。
約2時間で、那覇に着く。
ひさしぶりの沖縄。

飛行機を出ると、もわっとした夏の空気。
空港ロビーには、短パンや、ノースリーブ姿もたくさん。おお、沖縄だ。

テンションが上がり、30分以上前にワタベウェディングに着く。
先に打ち合わせをすることになる。

私は、緊張して、気が気ではない。
うまくいかなかったら??
こんな遠くで結婚式?迷惑なと思われたら?
お客さんがしらけてしまったら???
料理がおいしくなかったら?????

心配は尽きない。


とりあえず、お昼を食べる。
ゴーヤチャンプルー定食だ。おいしい。
そこにいた日焼けした子供、
流れてる音楽。
それから、別になんてない沖縄の普通の空気。雰囲気。

それだけで元気が出るちゅうのが、ほんまに不思議。

それを感じながら、手紙の清書をする。
できた。

そして再びワタベへ。今度は司会者さんと打ち合わせ。
結婚するカップルが、どんなふうに 司会者と話を進めていくのか知らないけど
私は、この司会者の方にかなり元気をもらったと思う。
おしゃべり好きな人で、まったっく関係ないTVやら恋愛やら家族の話なんかで
とてももりあがった。

普通の披露宴とも違う。リゾートウェディングによくあるお食事会とも違う。
それがどうやって2時間のパーティになるのか、こればっかりは素人なので予測がつかなかった。だけど、司会者さんは、ちゃんと考えてくれていたみたい。
こちらの不安が伝わったのか、こちらの希望や、紙面には書かれていない私の気持ちなんかをすごくよく引き出してくれたと思う。
打ち合わせが終わる頃には緊張も吹き飛んで、すっかり楽しみになっていたのだった。
つづく

結婚前夜 つづき

2007年05月27日 12時40分48秒 | Weblog
お昼は、沖縄そばを食べにいった。日差しがすでに夏。

この一年の根性の美白対策が、ここで崩れてはならない。

座敷に一人座り、ゴーヤチャンプルー定食を注文。

日焼けした子供を見る。

沖縄の何がこんなに好きなんだろー。
こういう何てことないちょっとした雰囲気が、なんかものすごい好きなんだと思う。そこにいるだけで本当に自分が充電されていくのがわかるので。

まだ食欲があまりないのでごはんは少し残してしまったけど、ゴーヤは相変わらずおいしい。でも、ここに住んでしまってはダメなんだろうとも思う。

自分は自分の場所でがんばるから、時々こうして、充電させてください。と思う。
そして、手紙を清書する。


すぐに約束の時間になり、急いで戻る。美白対策引き続き。影を選んで歩く。

今度はメイク。私は面長なので、顔がより長く見えるようにしてはいけないことを知る。そして低い位置でアップにすることも、髪をダウンにすることも、ダメ。

カウンセリングの中で色々と試行錯誤し、3パターンの髪型を考えるも、ウェディングの時の髪型がどうも納得いかない。すごく、「つまらん」感じ。テンションが上がらない。でも、ちょっとぐらい妥協しなきゃいけないのか。会場選びも、指輪選びも、ドレス選びも、小物選びも、厳選に厳選を重ね、自分のもっともテンションの上がる、めっちゃ好きーーー!!と思えるものだけを選んできた。それがここで・・??うーーーん。


まあ仕方ない。次はメイクだ。

メイクは、自分自身メイクするのが好きなので、スタイリストの人にちゃんと「こうしてください」と伝えられる。

前のブログにも書いたが、アイラインにはこだわりあり。

「そうじゃなくてこうしてください」というがなかなか伝わらないので「自分でやってもいいさ」と言われ、自分でアイラインを描くことにする。

ちょっと舞台メイクみたいになってしまったので、本番ではナチュラルを目指すことにする。そうこうしているうちに、新郎到着。

直前になって不足しているものがあったり、ヘアセットの人数を追加したりなど、ばたばたと焦る事項はあったけれどすべて対応してくれ(大変そうだった)何より安心させてくれるのがよかった。

Yさんのレンタカーで、先に到着しているやまんだと合流。

あしびなーのアウトレットモールの駐車場にいたやまんだだが、やたらと何回もおじぎしているので、私がYさんのことをこわいこわいと言い過ぎたかと思った。

ここからはやまんだの車に乗り込み、名護まで行く。
今日、3人とも同じ宿に泊まるので、一緒に夜ご飯を食べることになっている。
今日は、職場の離任式。私は出席できなかったので、その様子をやまんだにおしえてもらったり、普段とかわらないことをしゃべりながら進む。

これがもうすぐできなくなるなんて、このときは全然感じてなかったのにな。

沖縄本島中部に近づくにつれ、つぎつぎにリゾートホテルが姿を現す。

私たちの明日行くブセナテラスは名護市。

その手前の恩納村というところに今日は泊まる。お気に入りの宿、サーフサイドBBだ。受付にはアロマの香り、つるしてあったTシャツがかわいくて、やまんだとおそろいで買う。

部屋は、やまんだの部屋が、前に私が泊まったところだった。ひろびろしていて、ホテルでは味わえない開放感がある。

荷物を置いてすぐに、ごはんを食べに行く。やはり食欲はないけど、やまんだとYさんの会話が何とも言えずおもしろくて楽しい。

車中でも、私はいつものように口を開けて寝ていたそうで、二人は

「100キロで車を走らせて手を外に出した感触は乳の感触と同じ」

ということについて話していたらしい。


Yさんと二人だと、きっと明日のことで不安になったり緊張したりして、この夜を楽しめなかったかもしれない。
でも、この日は、やまんだと、Yさんと私の三人で、沖縄を旅してるみたいに、すっごい楽しかった。

やまんだがいてくれて本当によかったと何度も思った。

独身最後の夜は、みんなどうして過ごすんだろう?家族と過ごすのかな。

私の場合は、家族はすでにブセナを超気に入って、一足先にリゾートしてて、私は仲間と三人でいつもの旅の夜を過ごした。そこらへんがすごく私っぽいな、と思った。でもすごくたのしかった。

結婚式のあさ

2007年05月27日 12時40分31秒 | Weblog
やまんだとYさんと3人での朝ごはん。
やはり朝は緊張する。

ここの朝ごはんが好きだけど、緊張のためか覚えていない。

この日のために、やれるだけのことはやってきた。
あとは天気だけ。

よかった、晴れた。海の色が、きれい。

チェックアウトをし、まだ時間はあるのだけど、落ち着かないのでブセナにきた。
家族に会う。

家族の泊まっている階でエレベーターがあくと、散歩に行く途中の家族に会う。
沖縄嫌いだった母が、「ここ気に入った~」と上機嫌。
家族旅行をしない我が家だったので、無理やりにでもつれてきてよかった。
つづく

結婚式のあさ つづき

2007年05月27日 12時40分04秒 | Weblog
ブセナテラスは、あちこちがオープンになっていて海からの風がそのまま吹き抜ける。ほんっとうに気持ちいい。

私は、11時の待ち合わせ時間まで待ちきれず、先に万国津梁館の地下へ。メイクさんと出会い、控え室を見せてもらう。

Yさんは、今日泊まる部屋に荷物を置いている。
その間、私はおかあさんとロビーで話をしていたが緊張のあまり
「あかんわこの子。なにゆうてもきいてへん」と言われた。

メイクが始まる。


昨日、リハメイクでどうしても気になっていたウェディングのヘアスタイル。
思いきって言ってみる。
「昨日のと、かえてください。こういうふうに。」

沖縄の女性はとても奥ゆかしいと思う。
初対面では、喜怒哀楽をあまり表に表さないような気がする。

そのメイクさんが
「えっ・・・」
と、少々固まる。

でも、やっていただく。
なんとか、希望通りにアップにしてもらった。
「どうなることかと思ったわ・・急に言うから・・」
本当にありがとうございます・・。

アルバム用に、メイクシーンも撮影してもらうことになっている。
私は、写真写りが悪い。
なので、できる限り数を撮ってもらうことにしたのだ。

数打ちゃー当たる。

Yさんのセットも終わり、ビーチ撮影へ。

二人とも妙なテンションになり、
ビーチ撮影の場所に向かうまで車の中でべらっべらしゃべりまくる。
何がそんなにおもしろかったのか・・・。

全日空ホテルのビーチで撮影は行われる。
風がすごい。

12㎝ヒールにロングドレスで砂浜を歩き回る。
会話をするように言われ、しりとりをする。

ごりら、らっぱ、パンツ、つくし、しかばね・・

一日中、しりとりをしていた。

ちなみにYさんは、私には、写真を撮るな、俺の写真にはモザイクをかけろ等、
撮られるのをいやがっていた割には、すなおにカメラマンさんの要求に応えていた。

さすがにこの格好で歩き回ると疲れる。
ぐったりして、ブセナに戻る。


結婚式を、しました。

2007年05月27日 12時39分44秒 | Weblog
控え室に戻り、メイク直しをする。
もう緊張は取れていたけど、まさかこのまま本番に突入するとは思わなかった。

リハーサルに向かう。
今度は、ベールをかける。

これが、不思議。

ベールをかけたとたん、さっきまでの楽しい雰囲気とはうってかわり、「花嫁」モードに。口数も減り、急にドキドキしてきた。
「ベールかけると、雰囲気かわるね」とYさん。
ほんとそう。

神父さんは外人さんだった。聖歌隊の方に色々と説明してもらう。
またここでアクシデント。

パパが来ない。
おいおい・・・・。

一回のリハで、果たして覚えられるのか!?と思うほど動作が色々。
本番では指示を出してくれると言うけど。

私は、ここで、休憩ができるもんだと、思っていた。

「さあ、会場へ。本番です」

え!!!!!!!!!!

会場に向かって歩く。
観光客のファミリーが盛大に拍手をしてくれた。

うわああ。めっちゃ緊張。
体がどんどん熱くなる!!

会場、扉の前。

パパと腕を組んで待つ。

Yさん、一足先に中へ。

トランペットが鳴る。

中へ。

一礼。

みんながいた。

一歩一歩。

ゆっくりゆっくり・・・。

パパと歩く。

こんな早く本番なんて。

ゆっくり話もしてないな。


Yさんに近づく。

パパが私の手を取って、Yさんの手に渡す。

父親は、どんな気持ちなんだろう??


Yさんと腕を組み、神父さんの元へ。

万国津梁館。

ここへは、夏に来た。
本当にここで式を挙げるとは。

体が、熱い。

指輪の交換でYさんと向かい合うと、すごい汗にびっくり。
そうか、暑いのか。

自分が緊張してるのか、暑いからかもわからなかった。なんでこんな熱くてふらふらするのかと思ってたら。

倒れたら、シャレにならんなーーー。
ほんまに海みえるやんーー。
よかった、ほんま。

そんなことを、考えていた。

思ったよりずっとずっと早く、この時はやってきた。

ふり返り、退場。

みんないつの間に花を持ってたの??

フラワーシャワー。
初めて緊張が解け、笑えた。

最後にいとこがいた。大きく腕を上げて、花をまいてくれた。
くるっともう一度ふり返り、一礼。

感謝の気持ちで、いっぱいです。

パーティー

2007年05月27日 12時39分28秒 | Weblog
しばらく写真撮影をする。すっかり緊張は解けた。たぶん写真にもすごくでてそう。

パンフレットでみた色んな場所で、撮ってもらう。
眉間にしわがよってるとYさんにダメだしされる。

これは、私の職業病。

友だち。

いつも一緒にどこかへ行ってた友だちなので、なんかこう、沖縄で現地集合してるのが妙な感じだったので、しゃべれるのがすごいうれしかった。

こんな遠くまで来てくれて、ほんまにありがとう。

人数よりも、本当に大事な友だちと、親戚に囲まれて式を挙げたかった。
それを叶えてくれてありがとう。

ベールを、ブーケとおそろいの花に付け替えて、会場へ。

パーティー会場はカフェテラス。これまた一目惚れをした会場だ。

すっかり緊張は解けて、Yさんとしゃべりながら。
「入場、何の曲?」
「アイルビーゼア」
「ほんとだ」

みんなに拍手をもらう。
司会は仲地さん。この人大好きだーーー!!!

まだ明るい会場内。これが終わる頃には、日も暮れてるはず。

おかあさんの店の社長さんにスピーチをしていただく。

小さいときから、励ましてもらったり、何かというと気にかけてくださった。
ここまで来てくれて、かけてくれた言葉がまたうれしかった。

ほんとに色んな人に育ててもらったんだなと思った。

そして、ケーキ入刀。

なにも聞いていなかったんだけど、テラスの外で!

そうなんだ。

後ろは海。ケーキのナイフを二人でもって、入刀ーーの瞬間

「あ、結婚式やん これーー」と思った。

それぞれあるんだろうなーーなんか心に残る瞬間というのが。

料理は、みんなおいしい、と言ってくれた。

ただちょっと雰囲気がかたいのが気になる。しらけたらどうしよーー。


言うてる間に退場。
え、もう脱ぐんこれ。

苦労して選んだウェディングドレス。
脱ぐ瞬間は未練はなかった。人よりも長いこと着てたと思うから。

今度はカラードレス。
ジョイフル恵利のなかねさんが、一緒に長い時間かけて選んでくれた小物。

この入場のときが一番楽しかったかもしれない。

Yさん提案のドラジェ配り。キャンドルサービスをあきらめてがっかりしてたけど(会場内を暗くできないという理由で)
お客さん一人ひとりと話すことができたのが、すっごいよかった。超おすすめ。
ありがとう、ありがとうって、ちゃんと顔を見て言えたのは、うれしかった。

みんなも、一輪の造花にチョコレートでもきちんと両手でにっこりありがとう、って言ってくれたのも、うれしかった。

つづく



パーティーその2

2007年05月27日 12時39分01秒 | Weblog
そうそう。この「ドラジェくばり」のときのこと。

3才の男の子に配るとき、白い花と赤い花、どっちがいい??ときいてみた。

すると指さした花はなんと・・

「これがいい」

私のブーケ 

さすが大阪の子供。うけた

というわけでドラジェ配りは大成功


そしてしばらくはおしゃべりタイム。

大阪から遠路はるばる来てくれた友だちとしゃべる。

料理をぜんぜん食べれない私。

ついこないだ結婚したばかりの友だちが、「あとから控え室にもってきてもらえる」

と教えてくれたのでお願いしてみた。

ケーキだけなら・・ということだった

やたらみんながおいしいおいしいと言っている。

私にもくれーーーー!!!!

ということですべてひとくちずつ食べた。スープは飲めなかった。

次は、電報が読まれる。

電報送るからね~~と言われてた方からはもちろん

何にも聞いていなかった生徒のお母さんから来ていたりして、びっくりした。

「行きたいです。でもその日はジュニアオリンピックだから
心だけブセナに行きますからね」

と以前もらった手紙に書いてあったので、ああ、こういうことだったんだ・・と感激だ。


パーティーその3 スピーチ

2007年05月27日 12時38分34秒 | Weblog
そしてお願いしていたえりこのスピーチ。

耐えられるか自信がなかったがやはり涙が

20才のときに初めて沖縄に来たのはこの友だちと。

船で来たというところが私には結構印象深くて

本州を出発して、九州を出てから、まる一日たっても島影もない。

朝起きたら目の前に沖縄本島が広がっていて。

遠さを感じた。でも、同じ日本語をしゃべる人たち。

約5日間だったか一緒にいて、いっぱい話して、話して、

旅の最後にはお互い何も言わなくてもそれぞれの世界にはまりこんでいけるような居心地のよさも持てるようになっていた。

彼女の感性の鋭さ、考えの深さは、大学の4年間、一緒に何かやるたびに何倍もそれを楽しくさせてくれたと思う。

ありがとう。


パーティー その4

2007年05月27日 12時38分17秒 | Weblog
そして、ブーケプルズ。

独身の友だち&女の赤ちゃんに向けて、
ブーケをプレゼントするというもの。

ブーケに何本かのテープがついていて、みんなでひっぱり、誰かに当たるという。

「へ??聞いてないよ」という顔の、友だちたち。

おもしろい・・。

せえの、で当たったのはおなじみ聖子りん。

沖縄でいくつもの島を一緒に廻った旅仲間。

このブーケのパワーが切れないうちに、がんばって押し倒して

そして・・
いつかいつかとドキドキしていた「両親への手紙」。いよいよ来たあ

泣かないように、泣かないようにと願っていた。(泣かなかった。)ここに一部を公開します。


両親への手紙

2007年05月27日 12時38分03秒 | Weblog
とうとう、今日という日を迎えました。面と向かってはなかなかお礼のことばも言えないので、手紙を書きました。

パパへ

小さいころ、甲子園に連れて行ってもらいましたね。バスケットにお菓子をいっぱいつめこんでいって、一緒にタイガースを応援しました。明るくおもしろく、私の友だちからも、パパはとても人気がありました。

また仕事一筋で、これまで私たち家族のためにずっとずっとがんばってくれました。その分、パパの体のことがとても心配です。
お母さん、パパの健康管理を、これからもよろしくおねがいします。

お母さんへ 

お母さんには、小さいころからとても厳しく育てられました。

よく叱られ、涙でピアノの鍵盤がにじんで見えたことを覚えています。

また、高校生のころにはたくさんケンカもしましたね。

迷惑もたくさんかけました。でもお母さんのおかげで、こうして自分の道を自分で選べるまでに成長することができました。

2人でいったオーストラリア旅行が、とても思い出に残っています。

私の家族は、よくしゃべり、よく笑い、食卓はいつもにぎやかでした。

仕事や旅行先から帰ってくると「やっぱり家はええなあ」と何度もおもいました。

私も、そんな家庭が作れたらと思います。

2005年の夏、何か直感のようなものを感じて訪れた沖縄でYさんと出会いました。

心から尊敬し、ともに支え合っていけると思える人に会えたことをうれしく思います。

ご家族の皆様にもとてもやさしくしていただき、これからの生活がとても楽しみです。

パパ、お母さん、私はこれからYさんと共に新しい家族を作っていきます。

どうかこれまでと同じように見守っていてください。


ここまで育ててくれて、本当にありがとうございました。

えり

花束

2007年05月27日 12時37分48秒 | Weblog
そして、花束贈呈。

お母さんには、花束を。パパも何とか受け取ろうとしていたが、パパには一輪挿しだ。お母さんは案の定泣いていたがパパは泣いてない。うーーん。強いねえ。

そして、チェンジ。

Yさんのお父さん、お母さんと。

「今の気持ち、忘れちゃだめよ。今のあなたがいるのは、ご両親のおかげなんだからね。」

ハイ・・・。

そしてYさんのシメのことば。うんうん。練習のかいがあったね。

そして、退場だ。

みんなに拍手をしてもらいながら、お礼の気持ちをいっぱいこめて、

歩く。

いとこのともちゃん。
泣いてる!!

兄弟のように一緒に育ったともちゃん。

年に2回、会って一緒に泊まるのが楽しみで。

公園でいつまでも遊んでいて、雨が降ったら滑り台で雨宿り。
親が迎えに来たら一緒にかくれた。

ざしきで食べたアイス。一緒にいったプール。

そして共に乗り越えたしんどかった受験生時代。

先々週、おじいちゃんが死んで、泣きまくる私に手を添えてくれた。

そんなのが、私の胸にもわーーーーーっと。


最後に両家一列に並んで、一礼。

これが一番幸せな一瞬だったかなと思う。

やりたいことを随分がまんしたような気がして、後で後悔するんじゃないかなんて心配もしたけど、ぜんぜん。
最高の結婚式をさせてもらったと思った。

こんな思いさせてもらっていいのかと思うほどに。

最後のプチギフト。これだって大変な思いだった・・・。

これを一つ一つ渡していく。

聖子ちゃんが泣きながら祝福してくれた。

ここまでは、成功することに必死で、あまり他のこと考えられなかったけど、この顔をみると、今日までの約5年くらいの感情がわあああっとよみがえったようだった。

泣いて笑ってがっかりしてとびあがって、そのときいつも一緒にいてくれた聖子ちゃん。その9割は恋愛だったが、今、一つの恋をこーして実らせることができて、それを「よかった」といって一緒に喜んでくれる友だちのありがたさ。

なので、ぜひともそのブーケを!!役立ててよ!!
あなたが結婚するときには、私はハワイでもどこでも、絶対に行く!!

こんな一日になるなんて、思っても見なかった。
結婚式はきっと、感謝するためにある。

ありがとうありがとう。


結婚式 その後

2007年05月27日 12時37分29秒 | Weblog
いや~~~~お疲れさん。

スタッフのみなさんと、家族とひと息つく。

きっと、あとから思い出すのは、このとき感じた海風なんだろうなーと思う。

つきっきりでお世話してくださったワタベウェディングの方。

最後まで、私に不安を与えないように気を配ってくださった。

司会者の仲地さん。
この人、偉大だ。

この人がいなかったら、これは普通のお食事会だったはずだ。
「アットホームな雰囲気で。でも披露宴ちっくにもしてください」という
私の希望を、見事に形にしてくださった。

あとからHPをみると、沖縄のラジオやTVで大活躍の、超売れっ子さんだった。
どおりで・・・。

はあーーー。

ふう。

終わったね。


終わったねーーーーー。

おじや、いとこが、そこらへんに座って
「あーーえりちゃんはもう、今度は羽田へかえんねんなーー」とか言ってた。

さあ、着替えますか。

きっつい下着をはずすと体がめちゃくちゃ軽くなった。

聖子ちゃんが「えりちゃんは、絶対オレンジ!!」

その言葉を信じてよかったワ。

残念なことにメイクさんがもういなかった。そうか・・。そりゃそうだよね。

お礼が言いたかったなあ。


ケーキを食べる。むしゃむしゃと。

さて、お楽しみはまだあるのだ。

Yさんは結婚式を超いやがっていて、楽しみは今日の宿だけと言っていたのでそりゃ待ちに待っていただろう。

ブセナテラスのクラブコテージ!!

Yさんナイス!!

ブセナの普通の建物の方でもかなり南国ムード満点で(何がいいって、風!!風がものすごい気持ちいい)海はきれい、夜の雰囲気もよくていいんだけど、
クラブコテージはそこから少し離れてさらに静かなところにある。

カートで移動する。呼べば24時間体制で迎えに来てくれる。
ブセナ岬のさきっぽにある私たちの部屋は、本当にしずか。

玄関があって、また出入り口があって、中はとても広くリビング・ベッドルーム・シャワールームが外と中に二つ、バスタブ(室内にある)、テラスもとても広い。

うぉぉぉーーいい感じィ
と思っていたら携帯がなる。

カートで本館に戻る。
そして両家のお部屋にあいさつまわり。

まずはYさんの方。

ものすごいかっこいい人がいる。70才を超えているらしいが、
軍人さんだけあって背筋はしゃきーーん!!背は高いしハンサム!!
温かい親戚の皆様。よかった・・。

そして自分ちの親戚の方へ。

こっちでは当然、だらーーーーっとさせてもらう。
楽しくおしゃべり。
いとこは今受験生なので、超いそがしい毎日をぬけて来てくれたので
今日はゆっくりしていって、と思う。
こんなふうにゆっくりしゃべったりするのは子供の頃以来なので、うれしかった。

じゃあね~~~と、部屋をあとにし、私たちは部屋に戻る。

が。。しかし。

なんかとても憂鬱な気分に襲われる。
ま・・マリッジブルーか!?

ステキなお部屋なのに、次から次へと心配事やよけいな不安に支配されて
おかしな気分。

ううううう、しんどい。

そんな感じで、その日は終わり。