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地震の日のこと

2011年03月24日 22時00分24秒 | Weblog
地震の日のこと書きます。

図書館で本を探して、突然うすぐらくなって雨が降ってきて、ダイエーに行った。

買い物をしてた。

やまいもと、ヤマトイモの違いについて店員さんに質問してたら、ぐらぐらと揺れ始めた。

初めは少し。

あ 地震だね、とわかるようになってから、

油断できない揺れにかわっていってからが、長かった。とにかく長かった。

地震は絶対1分以上は続かないと聞いたことがある。でも、ちがった。

ニュージーの地震のことがあったから、建物の中がいいのか外がいいのかわからなかったから、中間地点(店の出入り口)にいた。

そのうち怖くて吐き気もしてきた。地面が揺れるというおそろしさ。

赤白の、工場の煙突が、回るように揺れていた。

阪神大震災を、神戸のすぐ近くで体験したけれど、

そこにとどまる以外、何一つできなかった。

私のおなかを見て、大丈夫ですかと声をかけてくださった子ども連れのお母さん。

そうだ、ギャバンを守らないと。

集まっていたおばちゃん達が、「ひとりじゃなくてよかった」と言ってた。ほんとそう。この強い揺れで、家にいたら完全にパニックだっただろう。

ゆれは止まった。止まったのに、また揺れる。すごく不安定&三半規管もおかしくなってるようだった。

すぐに大阪の父から電話。大阪もゆれたそう。

マグニチュード8だか震度8だか、その8という数字に驚いた。震源は東北の方だとその時知った。

津波が気になったので、とにかく帰ってみようと思った。

橋を渡ればうちなんだけど、

橋の上で、がっくんと揺れる。

渡っていたお兄さん達もガードレールにつかまっている。余震だ。橋の下の工場の人たちは、大勢走っていった。

余震でこの大きさ。しかも震源が東北。大阪まで揺れてる。大変なことになってんじゃないの?

家のすぐそばは都の避難所になっていて、すでに子ども連れがたくさん。

家に帰ると、高いところのものが落ちて散乱していたりテレビ台が移動したりしている。

TVをつけると、みたことない大津波が、東北を襲っていた。ここにも津波警報が出てる。余震はずっとずっと続いて

足元がぐらぐらする。

どうしよう?

避難?

避難だ。

携帯と財布、あと、あったかい格好。しばらく帰れないかもしれない。

それしか思い浮かばない。

公園で、ベンチに座り、買ったばかりの携帯で、TVを見られるように設定する。

東京の電車は止まってる、昼間で、主婦と子どもが多い公園。

津波警報のアナウンスがひっきりなしだ。大阪の友達何人かから、メールが・・・。心配してくれたんだ。

私は、だいじょうぶ。ありがとう!!!

どれくらいそこにいたかな・・なんか、ぐたっと疲れてきた。

なんだかもうそこにいられなくなってきて、ワンセグも見にくくて、家に帰ろう・・と思う。

家に帰ったら公園よりも、揺れはすごく感じる。疲れがぐぐっと来て、寝る・・揺れてまた起きる・・という感じ。

東北の津波が本当に大変なことになってる。

その日は結局2時半頃に、Yさんが歩いたり電車に乗ったりを繰り返してようやく帰ってきてくれて

TVで様子を見ていた。

あれからもう2週間。

毎日余震は続いて、Yさんは職場に行くのにだいぶ早く家をでる、という生活が続く。

今できることは、節電。あちこちのコンセントをぬきまくり、無駄な明かりはつけない。暖房もなるべくつけない。

毛布を使って、もしくは厚着をして、あったかくする。

放射能のことがあり、周りのススメで私は一足先に帰省。

東京駅でもまた揺れて、勘弁して・・の声が周りから聞こえる。新幹線は、いっぱい。1時間先のグリーン車がとれた。

大阪の明るさにまずびっくりした。

街が普通に明るい。スーパーも明るい。

家の中も、あちこち消して回りたくなる感じ・・。

節電て、結構できるんじゃないのかな・・。気をつけさえすれば・・。

そして、今は水道水も危ういということで、

Yさん、ストックしておいた水を料理に使っているよう。今も、毛布にくるまった状態で電話がかかってきた。

私もできることをしよう。できることを。

もう買いだめもしない。無駄な電気も使わない。ものを、大事に使おう。






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