スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

鎌倉・化粧坂

2010-10-08 | 鎌倉・逗子・葉山


鎌倉駅西口から海蔵寺に至る道の途中に
「十六夜日記」の著者 阿仏尼のお墓と伝わる石塔があります。

道沿いにあるやぐらの中に
「阿仏尼墓」


安嘉門院に仕え、その後和歌・蹴鞠を家業とする藤原為家の
側室となった阿仏尼は、「続古今和歌集」など勅撰集に51首の
和歌を収載された優れた歌人だったということです。

彼女が亡くなった場所についての確証は無いそうです。
が、鎌倉に所縁のある冷泉為相の母として
供養墓がここに建立されたのかもしれませんね。


この辺り 扇ヶ谷は、駅周辺の賑やかさから少し離れて緑も
多く、落ち着いた雰囲気があるので時々歩きたくなります。



流鏑馬で知られる「武田流弓馬道教場」
いかにも鎌倉☆




化粧坂の方へ行ってみることにしましょう。


坂の途中、左側の崖に
「悪兵衛 平景清の墓?」


壇ノ浦の戦いに敗れ捕らえられた平家の武将 平景清が
鎌倉で首を刎ねられてこの地に葬られたと伝わります。
また別の説では、景清が入れられた岩屋(牢)跡だとも。

景清伝説には諸説あり、謡曲では;
屋島の合戦で「シコロ引き」の武勇の誉れ高い荒武者で
壇ノ浦の合戦の後、日向に配流の身となりますが
鎌倉からはるばる訪ねてきた娘の人丸と、奇跡的に
再会、そして永の別れをするのです。


「化粧(けわい)坂」
「気生坂」「木生坂」「形勢坂」などとも書かれたようです。


七口切通しのひとつで、嘗て鎌倉の出入り口として
中世山城の形態を持つ重要な防御地点でした。

1333(元弘3)年 新田義貞の鎌倉攻めの激戦地で、
義貞の大軍を以てしても、突破できなかったとか。
此処が、いかに重要な坂であったかが偲ばれますね。



短い距離ですが岩だらけの急勾配で、濡れて滑り易いので要注意。
この辺りは、紅葉の頃も綺麗です。(人も多いですが・・笑)


坂を登りきって左へ行くと、美男の頼朝公像が待つ「源氏山公園」、
右へ少し行った先で左の道を行けば、「銭洗弁天」へ。

左の道は人が多かったので、今日は右へ。


「葛原岡神社」を過ぎて道なりにどんどん歩き、昼なお薄暗い
木立を抜けて尚も行くと、小川に沿って住宅が静まりかえる山ノ内。

そのまま道を下って、やがて鎌倉街道に出ました。
右手に少し歩くと、JR「北鎌倉」駅です。


「光泉」の名物いなり寿司をお土産に
本日のお散歩は、16,475歩

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鎌倉・海蔵寺

2010-10-07 | 鎌倉・逗子・葉山


萩の花で有名なお寺を訪ねてみました。
花はもうほぼ終わっていましたが、参拝客は大勢☆


扇谷山 海蔵寺





臨済宗建長寺派のお寺。
鎌倉時代は七堂伽藍を誇る大寺でしたが、幕府滅亡時に焼失。
1394(応永元)年 足利氏満公の命で、管領 上杉氏定が再建しました。
開山: 心昭空外(くうげ)禅師


「本堂」

木造 空外禅師坐像(南北朝期)が祀られています。


     


本堂の裏手には、斜面を活かした庭園



「仏殿(薬師堂)」
北鎌倉の浄智寺から移築されたものとか。

ご本尊の薬師如来坐像(啼き薬師)などが祀られています。
薬師如来は胎内に、禅師が土中から掘り起こした古い薬師仏の
仏頭が納められているとか。 60年に1度のご開帳。
子育てにご利益のある仏さまだそうです。


仏殿の裏手奥にある鎌倉期のやぐら(岩窟)の中に
「十六ノ井」
       
直径50cmほどの丸い穴16個。金剛功徳水と呼ばれる
湧水が、溢れることも涸れることもなくたたえられています。
穴は、弘法大師が独鈷で掘られたと伝わっていますが
納骨穴の跡ではないかともいわれます。鎌倉十井の一。

「十六の 井その名所や をほろ月 」 金子一峰


山門の右手にあるのは、
「底脱ノ井」

嘗て無着禅師が参禅された折、水を汲もうとして
卒然と解脱されたと伝わります。鎌倉十井の一。

「千代能が いただく桶の 底ぬけて 水たまらねば 月も宿らず」
                        安達泰盛娘 (上杉家尼との説も)


「桶の底」は「心の底」か?  
「桶に水が溜まらなければ、心にわだかまりも無い」ということか?
現在は普通の溜池で、もちろん底があるようです。


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とれとれ美人

2010-10-06 | 花散歩


今、夜の9時過ぎ。
部屋中に、濃厚な香りが漂っています。

今年2度目の美人が、ちょうど開花したところです。

今回は、4人姉妹

濃厚な香りも × !?  家中に漂っています





花柄の付き方が、ホントに変わっています・・
     


一夜限りの美人薄命・・



絢爛と 咲きほこりたる 月下美人 一夜の命と 聞くがあはれさ
                           中島彦治郎

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古いミシン

2010-10-05 | 雑記


街なかを歩いているとき、あるお店のショーウィンドウに
展示されている 古いミシンに出会いました。


凝った形ですね! 右側に手回しハンドルがついています。
1880(明治13)年製

「シンガーミシン」といえば、言わずと知れた世界で最も古い
そして、
世界で最もよく知られたミシンのブランドですね。
1850年にアイザック・メリット・シンガー氏が、実用ミシンの特許を
得て、「I.M.シンガー社(のちのシンガー社)」を設立しました。

1865年に開発されたニューファミリー型は、ハンドル1回転で
3針縫えるしくみのミシンで、その後もデザインを変えながら
世界中で400万台以上が販売されたそうです。



では、我が国とミシンの関わりはどうだったんでしょう?

1854年(嘉永7) あのペリーさんが2度目に来航した際に
徳川13代 家定公に贈ったのが、日本で最初のミシンとか。
日本で最初にミシンを扱ったのは、天璋院だそうです。

1877(明治10)年に西南の役が勃発。
政府は官軍の軍服を作る為、大量のミシンを輸入しました。
また、1880年頃から貴婦人達の間で夜会服が流行し始め
やがて宮中での洋服着用が認められるようになったのを
きっかけとして、洋服が徐々に普及していきました。

鹿鳴館時代になると、横浜・神戸でミシンが輸入・販売され
外国人から使用法を習得、次第に一般家庭にも広がりました。

当初は輸入品だけでしたが、やがてそれらの修理を通じて
技術を取得した日本人達によって徐々に国産を開始☆
1881(明治14)年 東京で開催された「第二回内国勧業博覧会」に
国産第1号ミシンが出展されたそうです。



そのほかにも、何台かの古いミシンが展示されていました。

これらは、大正時代(1912-1926)のシンガー・ミシン
これは、イギリス製の輸入ミシン


これは?



これは、足踏み式のミシン




これは「国産初期ミシン」とありますが、ハンドルがありませんね。
足踏み式かな? 何年ごろのものか、わかるといいのですが・・



‘猫’などは、古いミシンといえばせいぜい足踏みミシンしか知りませんが、
こうしてみると、ミシンの‘来し方’にも興味が湧きますね!

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里山の秋

2010-10-03 | 散策


いつもの散歩コースも、景色はすっかり秋めいて


これは・・・山ブドウ?
高い所から、こぼれそうに鈴なりです



だいぶ色づいてきました
     


そろそろ季節ですね!








ジュズダマに黄色い花
     


刈り取られた稲が干されています。
あの黒い点々は・・・?

お米を狙って集まって来たスズメたちでした~
ネット越しじゃ、無理かな?

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曼珠沙華

2010-10-02 | 花散歩


秋のお彼岸のころに咲くので「彼岸花」。
でも今年は、あの暑さでセンサーに狂いが生じたか
10月に入っても、まだあちこちで咲いています。





幼いころ、触れると死ぬ「死人花」だと聞かされ
知らずに触ってしまった自分はいつ死ぬんだろう・・と
本気で心配したことがありましたっけ(笑)


ひと気なき 畦に群れ咲く 曼珠沙華 毒気炎の 如く立つべし
                       木村流二郎




はるか昔、稲作文化と共に中国から渡来した花らしいですね。
突然 ニョキニョキと花茎だけが伸びて花を咲かせ
花後に葉が出てくるという変わりもの。



曼珠沙華 咲く野の日暮れは 何かなしに 狐がでると思ふ 大人の今も
                            木下利玄




ミステリアスで、そして どこか懐かしさのある花に
今年も出会うことができました☆


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