朝 洗面所に 黒っぽい虫が・・・
えっ、ゴ・ゴ・ゴキブリが出た?!
でもなぜか、動きがちょっと鈍くさいナ
そおっと近づいてよく見ると・・・形がどうも違うような・・
コクワガタ?
一丁前にハサミをふりかざして威嚇してくるけれど、
足の一部が欠損しているよう。 でも、どうしてこんな所に?
網戸の隙間から? 昨日取り込んだ洗濯物にでも付いてきたのかな・・
初めての珍客デス☆
元気がなさそうなので、もう長くは生きられないかも知れません
梨をご馳走してあげるからね
急いで叩き潰さなくて よかった~(笑)
JR東海道線「大船」駅を出ると、目の前に大きな白い観音像。
電車の窓からも、見えてくると「あ、大船に来たな」と思うのです。
連日の猛暑をも忘れそうな、涼しげで色白なお顔☆
昭和初めに地元有志の方の発起で寄付が集められ、「護国観音」として
建立が始まったものの、途中で工事の中断・変更など20有余年の時を経て
1960(昭和35)年に漸く完成したという、像高 25.39mの観音胸像。
「佛海山 大船観音寺」
曹洞宗のお寺。
今日まで戦没者慰霊と世界平和を祈念する観音さまとして、また
地元大船のシンボルとして、広く国内外から親しまれている仏像です。
「処暑」を過ぎたというのに、言い飽きるほど暑い毎日ですね・・・
この暑さ 暫く収まりそうもありませんが、皆さま お変わりありませんか?
ここまで来れば暑さとの我慢比べ、あとひとがんばりです!
さて、‘猫’はというと
町田市民ホールで行われた第37回「全国町田ピアノコンクール」の
本選会に、今回初めて出場した孫の応援に行ってきました。
下は幼稚園児から上は大学院生まで、7部門に分かれて日頃の研鑚を披露し
東京芸術大学をはじめ著名音楽大学などの偉い先生方の審査を受けました。
本選会プログラム
‘猫’の孫がエントリーした部門でも、聞いたところでは最初の36名から
第1次(7/14~15) 第2次(7/31)の予選を経て、今回の本選に残ったのが6名。
そう聞いただけで、‘猫’などはドキドキ緊張してしまうけど・・・
どの出場者も皆堂々と演奏して、さすが!と本当に感心してしまいました。
‘ビビり猫’の孫もしっかり納得の演奏ができたようで、まずまずホッ☆
孫と同じくらい(それ以上?) 疲れました~~
「白山社」の少し先、左側の路傍にこんな立札が・・
え、どこどこ?
どれだろう??
民家の裏山の崖を、目を皿のようにして探してみましたが・・・
ん~、よく分からん・・
「白山道奥磨崖仏」は顔の長さ約4m、中世末期の彫刻と考えられていますが
今はすっかり昔の面影はないようです・・・ザンネン!
古道は、「白山社」からR23(環状4号線)沿いの「鼻欠地蔵」へ抜ける尾根道となり、
更に「朝比奈切通し」を経て鎌倉へとつながっていたのでしょうが、開発によって
現在では大きく変わってしまい、はっきりとは残っていないようです。
今回の「白山道」の旅はここまでとしましたが、先程の「東光禅寺」もあるように
この辺りは、鎌倉時代の功臣 畠山一族に所縁の深い土地柄のようです。
「釜利谷南公園」まで戻って、バス道の続きを歩いてみました。
「六郎橋」
畠山重忠の子 六郎重保に因んで名づけられたのでしょうか。
宮川支流に架かる橋でしたが、川が暗渠化されて橋の名残が残るのみ。
「六郎橋」を過ぎて「白山道隧道」を抜けると、左右の高台にはマンションが聳え立ち
その狭間のバス道路にはそよりとも風が無く、陽差しだけが照りつけます・・・
やがて、道路際に小さな児童公園。
その名も「白山道六郎ヶ谷公園」
この辺りは「六郎ヶ谷」といい、重保自刃の地といわれます。
公園の裏手の山際に・・
「畠山六郎重保公廟所」
広くて立派な廟です。 毎年此処で供養が行われているそうですが
今は、夏草が生い茂るままになっています。
ここからR23に出てガードをくぐれば、京急「金沢八景」駅まであとひといき・・
暑い暑い1日でした~
17,772歩
「手子神社」から宮川に沿って行くと、住宅街の中に車道と並行して
横浜市が水路を整備して造った小川が続いています。
「釜利谷小川アメニティ」
歩くには、なかなか 楽しい水辺です
トンボ チョウ ハチ アメンボetc.・・・・
小川の途中に架かる小さな「福松橋」を渡って、左へ入ると
「福松山 自性(じしょう)院 慈眼寺」
真言宗のお寺です。
創建:永正年間(1504~20)
本尊: 聖観世音菩薩
寺伝によると、伊丹三河守が討死した2子の供養のために創建したとか。
当寺の黒厨子に、高さ約30cmの焼け爛れた観音像が納められているとのこと。
この像は元御本尊の観音像で、厨子の裏書によると、宝暦中頃(1751~63)に
盗人が御像を盗み出し、鍛冶屋で溶かして一儲けしようとしたものの どうしても
溶かすことが出来ず、仏罰を恐れて遂に投げ捨ててしまったものを年月を経て
村人が拾い、無事お寺に戻されたので厨子を作って納めたのだということです。
本堂右手の山際に 「宇賀山王社」
1634(寛永11)年 幕府御用の菓子商 大久保主水忠行夫人の
蓮台院月宝尼という方が霊夢を感じて建立したものといわれ、
自性院住職を別当として祀らせたということです。
再びアメニティの流れに沿って、さらに歩いた右手奥に
「竹巌山 禅林寺」
曹洞宗のお寺。
創建: 1493(明応2)年
開山:聚芸禅師(下総・東昌寺)
開基: 足利持氏(鎌倉公方)
本尊: 薬師瑠璃光如来
その後、伊丹三河守永親が再興。 伊丹氏が江戸城内紅葉山東照宮と
関わりがあった縁で下賜された東照大権現御神影が寺宝となっていて、
現在も、毎年4月17日には「家康忌」の法要が営まれているそうです。
此処にも、仏像にまつわる逸話が伝わっています;
その昔、釜利谷・坂本村の山中のお堂に文殊菩薩が祀られていましたが
大雨による山崩れで、お堂は流されてしまいました。 村人たちが土を
掘り起こして菩薩像を探していると、土中から「あら、痛や!」の声・・
恐る恐る土砂を取り除くと、声の主は文殊さまでした。 村人たちは
大変喜んで禅林寺境内の竹岩山に祀り、「荒痛(あらいた)文殊」と呼んで
篤く信仰しました。 御像は行基作といわれ、後に浅草寺に移され供養が
続けられていましたが、東京大空襲で焼失してしまったということです。
南下するにはもっと近い道があるらしいですが、初めての
不案内な地なので、遠回りになっても確実な道を行きましょう。
来た道を、先程のアメニティの起点「坂本」交差点まで戻って
「白山道循環」のバスが走っている道路を南の方へ。
「白山道」バス停前にある「釜利谷南公園」
公園に沿ってバス道から右へ逸れ、「釜利谷ケアプラザ」の前を過ぎると
急に車1台分ほどの道幅に。 いかにも古道という狭い道になりました。
ほどなく右側に長い土塀。
「白山 東光禅寺」
臨済宗のお寺です。
創建:建仁年間(1201~04)
開山:大興禅師(建長寺6世)
開基: 畠山重忠
本尊:薬師如来(重忠念持仏)
畠山重忠が鎌倉薬師ヶ谷に創建した「医王山東光寺」が始まりで、
応仁年間(1467~69)に釜利谷郷に移建したといわれます。
伝えられるところでは、建武中興の立役者大塔宮護良親王は
東光寺書院で写経中に足利直義に害されたともいわれます。
重忠愛用の螺鈿造りの馬具(鞍・鎧・轡)が寺宝として伝わっているそうです。
山門前左手に、小さな五輪塔
web上では「重忠公供養塔」と紹介されていますが、当寺のパンフレットには
全く何も記載がないので・・・真偽のほどはわかりません。
更に先へ進んで行くと、右側の民家の間に、細い石段が・・
崖を穿った‘やぐら’の中に、古社が祀られてありました。
「白山神社」
祭神: 白山比神(しらやまひめかみ)
別名「菊理媛神(くくりひめかみ)」
この「白山社」が、「白山道」の名前の由来といわれているとのことで
ぜひ訪ねてみたいと思って、今回 がんばって歩いてみたワケで・・
我ながら、炎天下を誠にご苦労サンなことです
(続)
鎌倉時代に拓かれた「白山(しらやま)道」は、北条氏が鎌倉と
金沢の「称名寺」を往来するのに使われた 山越えの幹線道路でした。
この古道でどんな出会いがあるかを楽しみに、京急「金沢文庫」駅から出発!
駅そばの「谷津川」に沿って暫く歩き、民家の間を入って行くと
ほどなく右手に石の鳥居。 急な石段が上へと続いています。
「谷津浅間神社」
エッサホイサ と長い石段を上りきると、
リスの声が響く鬱蒼とした叢林の中に、朱塗りの社殿
祭神: 木花咲耶姫尊
大六天神社 木花咲耶姫尊の碑
石段の途中に祭礼提灯が下がっていましたが、普段は無住のようで
木花咲耶姫尊の碑のほか特に説明板もなく・・・
神社をあとにバス通りに出て、右へ3~400m歩くと
右側の少し奥まった所に
「赤井山 正法(しょうぼう)院」
真言宗のお寺。
本尊: 阿弥陀如来
中興開山: 周純法印
今から約1200年前、水不足や疫病に苦しめられていた村人のために
弘法大師が井戸を掘り、その赤い霊水で加持祈祷を行ったのに始まると
伝わり、江戸時代 「赤井の井戸」は「金沢七井」の1つに数えられたとか。
本堂前に「摩尼車」
上の可動部分に般若心経が刻まれてあって、
1回まわすと、お経を1回お唱えしたことになるというもの。
まだ新しいもののようです。
本堂横から石段を上って行った奥ノ院に
「赤井不動尊」
以前 瀧の山に祀られていたのを、1688(元禄元)年 此処に遷したもので
この不動尊に石を供え願をかけて石を持ち帰り、大願成就したときに
石を増やしてお返しするのが習わしだということです。
不動堂の高台から、市街がよく見渡せました☆
緑の大屋根が「正法院」本堂
笹下釜利谷道路を跨ぎ、「宮川」に架かる「宮下橋」の手前左に
「手子神社」
祭神:大山祇神(オオヤマヅミノミコト)
創建: 1473(文明5)年
釜利谷の領主 伊丹左京亮が瀬戸神社の分霊を勧請したのに始まるといわれます。
1679(延宝7)年 伊丹氏子孫に当たる江戸・浅草寺の智楽院忠運師が現在地に再建。
釜利谷地区の総鎮守。
子連れの立派な狛犬さんには、「慶應」の刻銘。
社殿左手に 「竹生島弁天社」
手子神社の東側は「小泉」と言い、かつてはこの辺りまで海が迫り
「竹生島」という岩山があったそうで、晴天でも梢から雫を滴らせている
大松があり 「金沢八景」のうちの「小泉の夜雨」と称えられていました。
その松の根元の岩窟にあった弁財天を、1940(昭和15)年此処に遷座しました。
段々と 「白山古道」の核心部に入ってきたようです☆
では 涼風の吹き抜ける境内の緑蔭で、暫時休憩して水分補給
後半に備えて・・
(続)
夕方になると、風が涼を運んできます。
海に間近い川岸に、サルスベリが並んで咲いていました。
街路樹の緑のポプラの間に、藤色 ピンク 赤・・とても綺麗です☆
7,919歩
今日は朝っぱらから とんでもないお客!?
スゴい雷鳴でしたね~~
あんな大暴れは久しぶり しかも結構長かった・・・
も も電源を落とし お蔭で今日はたっぷり できたナ(笑)
午後になって どうやら天候も収まってきたみたいなので・・
ふと 空を見ると・・・ 慌てて手元のケータイで写メ
虹?
ウーン 邪魔物がいっぱいあって・・
僅かの間のことでした~
小町大路から逸れて、路地へ入って行くと・・
ノウゼンカズラの花が揺れる小路
「 凌霄の 花を数へて 幾日影 」 漱石
「 雲早し 白き芙蓉の 花の上 」 永機
そういえば、妙本寺のノウゼンカズラはまだ咲いているかな?
行ってみましょう☆
サンゴジュの見事な生垣を過ぎると・・
「長興山 妙本寺」
境内に快い風が吹きわたり、涼をとる人の姿がちらほら・・
祖師堂前のノウゼンカズラは、もう花を終えていました。
僅かに名残の花が・・・
では、‘猫’もここでひと息入れてから帰ることにしましょう。
12,497歩
ツクツクホウシが鳴き始めました。
チビッ子たち、そろそろ宿題をがんばろう~!
暫くぶりに鎌倉へ行ってみました。
まずは、「鶴岡八幡宮」
さすがにこの暑さ、閑散としているかナと思いきや・・
古都観光には、暑さなんて関係ないようです。
皆さん、お元気ですね~
源平池をわたる風には、かそけき秋の気配・・
「 すきまなく しげれる蓮の 葉の池に ぬきいでて立ち 開く蓮の花 」 岡 麓
JR「衣笠」駅にほど近く、川向こうから少し奥まった山際にあるお寺です。
「南箇山 長峰院 光心寺」
浄土宗のお寺
創建年代などは不明
本堂内の厨子に、夢想国師護持仏十一面観音菩薩像が祀られています。
境内には、戦艦「比叡」戦没者慰霊碑や日清戦争戦病死者の祠堂など。
境内は隅々まできれいに掃き清められれいて、清々しく静謐な趣です。
以前 「浦賀古道」を辿る途中、このお寺を訪ねたことがあります。
その折 ご本堂前の立派なサルスベリの木が強く印象に残っていたので
今頃はきっと綺麗な花が見られるのでは・・?と思って訪ねてみました。
咲いてました~
「 こぼれ陽に さそはれ見るや 百日紅 」 秋桜子
16,901歩
散歩の途中、街路樹の根元に青色の花が咲いていました。
自然に生えたのではなく、近隣の誰方かが植えたもののよう。
青い蝶のような清楚な感じの花で
風に揺れるさまが、いかにも涼しげ☆
帰宅後 花の名を調べてみたら、すぐに見つかりました。
‘猫’は初めて見たけれど、格別珍しい花ではないのかな・・
「 クレロデンドルム・ウガンデンセ 」 何て覚えにくい名!(笑)
クレロデンドルムの仲間なら クマツヅラ科ね。
原産:熱帯アフリカ
英名:blue butterfly bush (でしょう!)
「猿島」は、東京湾に浮かぶ唯一の自然島。
無人の島で鳥はたくさんいますが、はいません。
いざ、「猿島」へ☆
横須賀側の桟橋から、観光船で10分足らず。
縄文時代 既に人が住んでいたと推測され、島の山頂部からは
さまざまな縄文式土器が発見されていると聞いています。
1253(建長5)年 鎌倉に向かうため、房州を発した日蓮さんの乗った舟が嵐に遭い
あやうく遭難しかけたところ、1匹の白猿が現われて舟の舳先に立ち、日蓮さんを
無事に この島に案内したという言い伝えから、「猿島」と呼ばれているそうです。
江戸時代に幕府が全国で初めて台場を設置したのに始まり、明治~昭和と
国防の要塞島として秘密のヴェールに包まれていましたが、戦後 米軍による
接収を経たのち、1957(昭和32)年から一般の渡航が認められるようになり
2001(平成19)年 市制100周年に、国から横須賀市へ無償譲与されました。
現在は海水浴・釣り・BBQ など、市民のレジャーランドとして親しまれています。
8月末まで、浜辺にはビーチパラソルの花が咲きます
それでは、島の探検に出かけましょう!
要塞島の名残の堅固なレンガ塀に囲まれた切通しの露天掘幹道。
島の外から、施設が見えないように造られていたのだそうです。
兵舎や弾薬庫の入口が並んでいます。
みごとなフランス積レンガ造りのトンネル
完成は、1884(明治17)年
全長約90mのトンネルの途中にも、壁を穿って施設が造られてあります。
砲台跡
明治時代 旧陸軍によって造られたもので、海防のためフランス製の
カノン砲が配備されましたが、実戦で使われることはなかったとか。
1941(昭和16)年以降は 鉄筋コンクリート製の砲座が5座設置され、
防空のために高角砲が配備されていたといいます。
島の北側の階段を下ると、南側の砂浜とは違った荒々しい岩場。
こちら側は、釣り人たちに人気のポイントのよう。
「日蓮洞」と呼ばれる洞窟
右手沖には観音崎。 灯台が小さく見えています。
自動車運搬船の巨体が近づいてきました☆
7,919歩