連休を楽しんでいらっしゃいますか~?
後半は天候が・・・ま、それなりに楽しみましょうね!
さて、旧東海道ぶらり旅の続きと参りましょう☆
相も変わらず、あっちやらこっちやら気の向くままに道草しながら
吾妻山を下り、あらためて旧街道の分岐点にある
「約250m先 等覚院(藤棚)」の道標に従って歩いて行くと・・
「梅澤山 等覚院 藤巻寺」
真言宗のお寺で、相模新西国三十三所観音霊場第一番札所。
件の白藤が、満開とまではいきませんがだいぶ咲いていました。
樹齢 約400年 樹高 約240cmで、町の天然記念物となっています。
1263(元和9)年 将軍家光公ご上洛の折には、駕籠を停めてご覧になったとか。
また寛文の頃、仁和寺宮が関東下向の折にもご覧になったとか。
有名な藤のようです。
町指定文化財の梵鐘には、「寛文八年」の刻銘が
あり、町内に現存する最古の鐘だそうです。
何しろ 藤棚の辺りには、体長2cmほどもあろうかという大きな黒い蜂が
何匹もブンブン飛び回っていて、過去に2度も蜂に刺された経験の
ある‘猫’は・・・長居は無用! 退散~~
旧街道がR1に合流する「山西」五叉路に、石塔や道祖神。
供花もあり、お守りなさる方がおいでのようです。
「日本橋から75km」
「山西」の信号から400~500mぐらい歩いた所で
今度は左に旧道が分岐しています。 その分岐点に、
「東海道一里塚の碑」
江戸から18番目の一里塚がありました。
この辺りは大磯宿とこの先の小田原宿との中間にあたり、周辺には旅人目当ての
茶屋や商店が軒を連ね、「梅沢の立場」と呼ばれて大層賑っていたそうです。
この先の「川勾神社入口」信号で、右折の広い道があります。
歩道橋を渡って、その道へ入ってみることにしました。
すぐ右手に、赤い屋根のお堂。
「薬師堂」
お堂正面上部の壁に、鏝絵の「龍」を発見!
左右には・・何の「鳥」かな?
うっすらと赤みが見られます。 彩色が施されていたようですね。
堂前には、石塔がずらり・・
JRの線路を越えた先に、
「川匂山 密厳院」
真言宗のお寺のようです。
人家と畑が混在するのどかな道を、新緑を目の保養に てくてくと
15分も行くと、突き当たりに大きな石の鳥居が見えてきました。
石段を上り、左側に「櫛盤間戸命(くしいわまどのみこと)」、 右側に
「豊盤間戸命(とよいわまどのみこと)」の木像を祀った門を通って・・
「川勾(かわわ)神社」
延喜式内社 相模国二之宮
「二宮」の地名の由来である由緒ある神社です。
祭神:大名貴命(おおなむじのみこと)・大物忌命(おおものいみのみこと)
級津彦命(しなつひこのみこと)・級津姫命(しなつひめのみこと)・
衣通姫命(そとほりひめのみこと)
神社の縁起書によると;
垂仁天皇の頃、磯長国(しながのくに)国宰の阿屋葉造(あやはのみやつこ)が
勅命によって創建したと伝わっているとか。 とにかく古い歴史の神社なのデス!
現社殿は、1951(昭和26)年に完成されたものだということです。
まったく人影のない境内ですが、ひと休みできるようにとのご配慮でしょう。
長椅子と、紙コップを添えた冷たい麦茶のポットが備えられてありました☆
感謝して喉を潤しながら、木々を渡る風と鶯の声音に暫し耳を澄ませ・・
(続)