去年の ちょうど今頃でしたか、
ご紹介しましたよね・・・覚えてますか?
秋の七草の覚え方⇒「オ・ス・キ・ナ・フ・ク・ハ(お好きな服は?)」
秋の七草を探して歩きました☆
オミナエシ(女郎花)
オミナエシ科
「 さを鹿の 己が棲む野の女郎花 花にあかずと 音(ね)をや鳴くらむ 」
源 実朝
ススキ(薄)
イネ科
「 人は皆 萩を秋と云ふよし吾は 尾花が末を 秋とは云はむ 」
『万葉集 巻10』より
キキョウ(桔梗)
キキョウ科
「 桔梗の花 咲くときぽんと 言ひさうな 」 千代女
ナデシコ(撫子)
ナデシコ科
「 野辺見れば 撫子の花咲きにけり 我が待つ秋は 近づくらしも 」 西行法師
フジバカマ(藤袴)
キク科
(まだ蕾でした・・・)
「 藤袴 この夕暮の しめり哉 」 園女
クズ(葛)
マメ科
「 山深み 散るか萎むか 葛の花 」 白雄
ハギ(萩)
マメ科
「 秋萩の 軟らかき葉に 日は宿り 葉ごとに日影 透きとほりをれり 」
尾山 篤二郎
この季節は、晴天が続きませんねェ
お彼岸を過ぎた辺りから、ぐっと秋らしさが増してきました。
今を盛りと、曼珠沙華の花が☆
「 赤々と地より沁み 身につくづくと 火を焚きあぐる 曼珠沙華の花 」
尾山 篤二郎
「 このごろの 西日冷たし 曼珠沙華 」 蓼太
朝夕肌寒く感じることもある 今日この頃、「風邪にご用心!」・・なんて
会話も聞かれるようになり・・・あぁ 時の流れは容赦なしだ~
今度の連休は比較的天候に恵まれましたね。 如何お過ごしでしたか?
我が家では 久々のお客さんを迎えて、忙しくも楽しい時間を過ごしました。
で、
今日やっと お彼岸のお墓詣りを済ませ、ようやく気分スッキリ!
久しぶりに、日本橋~銀座四丁目辺りをぶらり歩き☆
あちらこちらで、盛んにビル工事などが行われていました。
これから 大分変わっていくのでしょうね。
懐かしいモノがどんどん消えていくのは、ちょっと淋しいけれど・・
今年4月にオープンした 新装「歌舞伎座」
うしろの高層ビルは「歌舞伎座タワー」というそう。
高くて、画面に入りきれなかった~(苦笑)
‘昭和’な雰囲気が色濃く漂うこの周辺にも
高いビルが増えて、大分印象が変わってきたけれど
ビルの谷間に・・今も変わらぬ存在感の建物。
「酒蔵 秩父錦」
前を通るたびに、いつも中の様子が気になるんですが・・(笑)
3代目‘銀座の柳’が揺れる「銀座柳通り」には
「ヨネイビル」
建築年:1930(昭和5)年
設計者: 森山松之助氏
モボ・モガが銀座の街を闊歩していた当時の趣を 今も残す
建物の1つとして、都の歴史的建造物に選定されているとか。
中世ロマネスク調の意匠で、らせん模様の装飾が美しいアーチ窓☆
17,293歩
十五夜
100点満点の‘名月’でしたね~☆
いつまでも見ていたくなるような いいお月さまでした。
そして、我が家では
今年最後(たぶん・・)の 月下美人が咲きました☆
あぁ、夏が終わったな~
以前 、カラスウリは別名「玉章(タマズサ)」というらしい と書きました。
カラスウリのあの赤い実は、秋になるとよく目にしますけども
中を割って、種子をご覧になったこと あります?
小さなウリの形をした実の中に、種子がギッシリ・・
種子を包むワタを、そおっと剥がしてみると・・
ちょっと変わった形の、かわいらしい種子が出てきます。
ツヤツヤと光沢があって、一見 象牙細工みたい☆
初めて見たとき、‘猫’は けっこう感動しました
これが自然に出来たものだなんて・・ちょっと思えないよね!?
「タマズサ(昔の結び文)」か~、なるほどねェ!
名付けた人の 初めてこれを見たときの感動が、伝わってくる気がしませんか。
三戸海岸
台風一過、抜けるようなまっ青な秋空になりました
こりゃあもう 歩かずにはいられない~~♪
見渡すかぎりの広い畑で、ダイコンの植え付けが始まっています。
そろそろ見えてきました・・ はーい、久しぶりだねェ!
いつ来ても、変わらない景色が のどかに広がっている海岸デス
11,692歩
列島を縦断し、各地を水びたしにしていった台風18号・・・
加えて、竜巻のような突風が吹いた所もあったそうですね。
皆さまお住まいの地域では、大事ありませんでしたか?
お見舞い申し上げます
我が家の方は、今回は幸い さしたる被害はありませんでした。
ただ オシゴトがあったので、スムーズに受け渡しができるかと
ちょっと緊張しました。 はい、大丈夫でした~
東北・北海道の方は まだもう少しの間、安心できませんよね。
これ以上 被害が拡がることがありませんように!
1日吹きまくった強風が 漸くやんだ夕方の西の空
明日はになるそうです☆
やれやれ・・
大きな葉の蔭に、埋もれるように咲いている涼しげなこの白い花
さて、何の花でしょう?
葉は、芭蕉に似ています。
この根を薬用とし、また老根は染料になります。
南アジア原産で、江戸時代に渡来。
答えは、ウコン(鬱金)
ショウガ科
別名:キゾメグサ(黄染め草)
これで染めた布は防虫効果があると、和服の保管に使われたりしますよね。
肝臓に不安のある飲んべさん達の 強~い味方でもあるとか?
こんな花が咲くんだね・・
「 芭蕉にも 思はせぶりの 鬱金かな 」 鬼貫
「 朝露や うこん畑の 秋の風 」 野沢風兆
秋の気配
朝夕 だいぶ凌ぎやすくなってきました☆
歩けば依然 汗は出るけれど、必携タオルは小さめサイズの
もので 充分間に合うようになったしね
さあ、小さな秋を見つけに出かけてみましょうか。
お気に入りのトチノキの並木は、早くも色づき始めています。
あ、もう咲いてるヮ!
見上げる空は、心なしか高くなってきた気が・・
さて、この秋は何処へ行ってみようかなぁ
18,543歩
JR「鎌倉」駅のすぐ近くにある「丸七商店街」。
入口は、こんな感じで
初めて入るときは、ちょっとだけ勇気が要る・・カナ?
でも入って行くと、小さなお店が普通に並ぶ商店街
・・・っていうか、マーケットと呼んだ方が似合いそう・・
思いっきり‘昭和’な 牛乳スタンドも☆
なんでも、戦後の闇市の跡なんだとか。
営業しているのはどこも、常連さんが通う人気のお店のようです。
歩いていると、なんだか楽しくなってきちゃう・・
そんな雰囲気の商店街デス☆
京急「金沢文庫」駅から、R16を品川方面に10分ばかり歩いて
「片吹」という信号を 少し過ぎた左側にある地下歩道をくぐり、
右手の住宅地の坂を上って行くと、突き当たりに石段が数段。
「海蔵山 太寧寺」
臨済宗のお寺。
本尊: 木造薬師如来立像
(檜寄木造・鎌倉時代)
日光・月光両菩薩像と共に安置されているこの御像には、
こんな逸話が伝わっています;
昔 村の貧しい娘が、早死した両親の供養に線香を買うために
紡いだ麻糸を織機にかけるための‘へそ’と呼ばれる糸玉を拵えて
村中を一生懸命に売り歩きましたが、なかなか売れませんでした。
すると、
疲れ果てた娘の所に1人の男の子が近づき、母親に言いつかったからと
‘へそ’を全部買ってくれ、娘は無事に両親の供養をすることができました。
その後、
お寺の本堂の薬師像の前に積まれた‘へそ’を見つけた娘は、
あの男の子が薬師様の化身であったことを知ったのでした。
それ以後、この薬師様は「へそ薬師」と呼ばれるようになったそうです。
境内には、源義朝の六男(頼朝の義弟) 範頼のものと伝わるお墓があります。
当寺の名称は、範頼の法名「太寧寺殿道悟大禅定門」によるとのこと。
此処には、範頼の位牌や画像などが寺宝として遺されているそうです。
「伝源範頼公墓所」
中央のひとまわり大きな五輪塔が それでしょうか。
周囲の塔は、付き従った人達のものかもしれません。
範頼は 源氏再興の旗を揚げた頼朝を援け、義弟義経と共に各地で奮戦し
壇ノ浦で平家を滅ぼしました。その後頼朝に謀反を疑われて伊豆・修善寺に
幽閉され最後を遂げたとされていますが、当寺の寺伝によると、範頼は
修禅寺を脱出し浦郷鉈切(横須賀市)に逃れましたが、鎌倉方に知られる
ところとなり、当時瀬ヶ崎にあった太寧寺で自害したと伝えられています。
(範頼の位牌は、市内の薬王寺にも残されており、また
墓は、静岡・伊豆市と埼玉・北本市にもあるとのこと。)
「雲語子之墓」
江戸時代の漢方医 小川笙船(号・雲語)のお墓です。
小川笙船こと藤原廣正(1672-1760)は、身寄りの無い者や生活困窮者の
ために施薬院の建設を願い出て 第8代将軍 徳川吉宗に許され、1722年
江戸「小石川養生所」の初代肝煎(医院長)に就任しました。 (その活躍は
山本周五郎の『赤ひげ診療譚』の主人公のモデルとして描かれています。)
2代目肝煎の座を息・隆好に譲って隠居し、晩年の3年間をここ金沢の地で
過ごしました。 死後、小石川・光岳寺に埋葬(後に雑司ケ谷霊園に改葬)
されましたが、遺言により 当時瀬ケ崎にあった太寧寺に歯が納められたと
いうことです。(その後 瀬ケ崎が軍事施設工事により、寺は現在地に移転)
笙船の言葉が刻まれてあります。
『山に居るときは海を語り 海に居るときは雲を語る』
静かな境内に、歴史の一片がひっそりと遺されていました。