ビャクシンの古木のすぐ近くに、お寺がありました。
「牛頭(ごず)山 妙法寺」
日蓮宗のお寺です。
寺伝によると;
日本武尊の東征にまつわる霊跡といわれ、弘法大師がこの霊跡を敬慕し
810(弘仁元)年 牛頭天王を祀る草庵を結んだことに始まるといいます。
領主 荒井因幡守光善が自らを妙法院日荷と改めて法華経に帰依し、
1352(文和元)年 当寺を日蓮宗に改め、妙法寺と改称しました。
境内には、日本武尊を祭神とする
「牛頭天王社」
日荷上人は、三日三晩仁王尊像を背負って身延山へ
奉安したと言い伝えられているそうで・・スゴい怪力!
その折、身延から持ち帰った苗木を手植えしたという
榧(カヤ)
当寺は嘗て、「杉田の梅林」の中心的な所として知られていたそうです。
この辺り一帯は地質的に農耕には適さないため、天正年間(1573~1592)に
領主 間宮信繁が梅樹の植付けを奨励しました。その後次第に 植付けは近隣の
村々にも広がり、明和~安永(1764~1781)の頃 「杉田の梅」は金沢探勝の
ルートに加えられて広まり、文化~文政(1804~1830)の頃には江戸近郊の
名所として文人墨客が訪れるようになり、明治時代まで梅林が広がっていたとか。
今も境内には、梅の古木や句碑が残り、往時の名残をとどめています。
(左): 「簾ごし 居るここちして 梅のもと 」 月朶
(右): 「さびしきは 星をのこせる しぐれかな 」 孋無公
(左): 「まだ寒き 月のひかりや 梅の花 」 梅月
(右): 「 古枯の 謎いま解けつ 梅の花 」 買明
季節にはきっと、境内いっぱいに芳香が漂うのでしょうね
12,172歩
R16の「杉田八幡宮入口」信号を右に入っていくと
道の突き当たりに石の鳥居。
鳥居前に工事の車が停まっていて、改修工事中のようなので
どうしようか躊躇ったのですが・・・ま、取り敢えず行ってみることに。
「杉田八幡宮」
祭神:誉田別尊(ほんだわけのみこと)
創建: 1063(康平6)年
平安中期 奥州の乱を鎮めた源頼義とその子義家が戦勝を祝し、源家の
武運長久を願って石清水八幡宮を勧請、頼義が鎌倉に「若宮八幡宮(後の
鶴岡八幡宮)」を、義家が杉田に「杉田八幡神社」を建立したと伝えられます。
鎌倉末期には「東漸寺」の僧が八幡宮の神職も兼ねていましたが、
その後 東漸寺末寺の「妙観寺」が別当寺となりました。 明治の
神仏分離で「杉田八幡宮」となり、妙観寺は廃寺になったようです。
工事の足場で参拝も儘ならない感じでしたが、珍しい狛犬さんがいたので
スミマセン、ちょっとこれだけ・・・と、大急ぎで
正に、イヌですね カエルみたい?
1692(元禄5)年に 妙観寺の住職が奉納したものだとか。
こんな姿の狛犬さんは例が少ないそうで、市地域有形文化財になっています。
工事の方々、お邪魔いたしました~~
神社前の道を左に、民家の間を歩いていくと
小路の右手に 見上げるほどの大木。
推定樹齢600年というビャクシンの古木です。
樹高 約10m 胸高周り 約5.2m
幹は3本に分かれ、北側は落雷のためか樹皮が剝がれてしまっていますが、南東
方向に大きく枝を張り出しています。 「かながわの名木100選」に選定されています。
(続)
京急線「杉田」駅で降りてみました。
この辺りは、江戸時代に「杉田の梅」で名高い所だったそうです。
果たして、そんな名残がどこかに残っているのでしょうか?
駅を出てR16に向かう途中に、大変立派なお寺。
「霊桐山 東漸(とうぜん)寺」
臨済宗のお寺です。
創建: 1301(正安3)年
開山: 桃渓徳悟
開基: 北条宗長
本尊: 釈迦如来
桃渓徳悟師は大覚寺派を代表する禅僧で、鎌倉・建長寺開山の蘭渓道隆師の高弟。
このお寺は、嘗て鎌倉・瑞泉寺などとともに「関東十刹」に列せられ
戦国時代には後北条氏も寺領を寄進したという古刹だそうです。
伽藍神倚像 達磨大師像
いずれも玉眼 寄木造の木像で、市指定の有形文化財。
胎内墨書銘文によると、1395(応永2)年 仏師 院覚に
よる制作で、室町時代初期の作風をよく伝えています。
(説明パネルより)
永仁の鐘
1398(永仁6)年に当時の名工 物部国光制作と伝えられる梵鐘は
金澤文庫の称名寺のものと同形で、国の重要文化財になっています。
鐘楼の鐘は除夜の鐘用だそうで、実物は釈迦堂内にあるとか。
その釈迦堂
どっしりとした威容を誇る禅宗様式の欄間裳階(もこし)付き仏殿で
1301(正安3)年に建立され、県重要文化財の指定を受けています。
カシワバアジサイや
ツツジなどが美しく整えられた庭園もありました。
東漸寺から 車の往来が激しいR16に出て、右手の方へ歩いてみました。
(続)