鎌倉・二階堂にある「永福寺跡」の史跡復元が進み、
このほど整備が完了したと聞いて 訪ねてみました。
「永福寺」は、源頼朝建立の三大寺院のひとつとされる大寺院でした。
(説明板のCGによる想像図)
1189(文治5)年に奥州藤原氏を攻めた頼朝は、平泉の中尊寺や毛越寺に
感銘を受け、源義経・藤原泰衡をはじめ多くの死者の霊を供養するために寺の
建立を思い立った・・とは表向きで、権勢を誇示する狙いがあったといわれます。
1191(建久2)年に着工し、翌年にはほぼ完成した壮麗な伽藍は
1405(応永12)年焼失、室町時代に廃絶してしまったそうです。
以前 訪ねた時はまだ整備工事中でしたが、今回は池や鑓水も完成し
要所要所に説明板が立って、全容を想像しやすくなっていました。
(説明栞より)
説明板には発掘当時の写真もあって、興味深く見学してまわりました。
二階堂跡
(説明板より)
三堂の中心の仏堂で、正面 約19.6.m 奥行 約17.6m 周囲に2.4mの
裳階(もこし)を付けた本瓦葺であったと考えられています。基壇は
正面 約22.6m 奥行 約20.6m 推定高さ70cmの全国的にも珍しい木製。
正面と両側面に階段があり、釈迦如来像が祀られていたようです。
阿弥陀堂跡
(説明板より)
二階堂の南側の脇堂で、正面 約16.7m 奥行 約12.7m 本瓦葺き。木製
基壇は 正面 約19.2m 奥行 約15.3m 推定高さ 54cm。周囲に縁と
雨落ち溝、正面に階段が確認されています。
薬師堂跡
(説明板より)
二階堂の北側の脇堂で、構造は阿弥陀堂とほぼ同じ。
堂前の池と橋
(説明板より)
池は南北に約200m 東西に約70mの瓢箪型。復元された池の
大きさは創建時より縮小されています。架けられていた橋は、
幅 4.8m 推定長さ35mの反り橋であったと推定されています。
橋跡
発掘時の橋脚
(説明板より)
薬師堂から北翼廊、阿弥陀堂から南翼廊が伸び、いずれも板敷で
それぞれの先端は、寺院建築には珍しい釣殿だったと考えられています。
釣殿跡
(説明板より)
鑓水跡
北翼廊北側に、長さ約35m 幅約1.8~3m 深さ約20cmの素掘りの溝が発掘されました。
(説明板より)
嘗ては 一面に萱が生い茂っていましたが
このような史跡公園に変貌しました☆