日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

今日は「海外移住の日」のようです。

2024年06月18日 07時00分29秒 | Weblog
今朝の信州は気温15度、未明からの雨が音もなく静か
に降り続けています。
暦を見ますと、今日は「海外移住の日」とありました
1908年(明治41年)の6月18日、ブラジルへの第1回移民
158家族、781人が笠戸丸でブラジルのサントスに上陸
したことを記念して1966(昭和41)年に国際協力事業団
が制定した。とありました。
ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、1908年以
降の約100年間で約26万人の日本人がブラジルに移住
し、現在約200万人以上の日系人が住む。1970年代に
移民船による集団移民が終わったことを受けて、日本
国籍を有する一世は今は少ないようです。ブラジルへ
の日本国公認の移民はその後も1993年まで続きました。
他方、20世紀末から在ブラジル日本人や日系ブラジル
人が日本に永住帰国あるいは移住が始まりました。
在日ブラジル人は、2000年代中頃まで顕著に増加し、
2019年度の日本政府の発表では208,857人である(但
しこの中には日本国籍を持つ者、移住後に日本国籍を
取得した者は含まれない)2008年秋のリーマンショッ
ク以降、日本国内の不況を受けて製造業の雇用が減った
ことから毎月1万人程のブラジル人が減少し、2011年
時点では既に多くの人がブラジルに戻ったが、2012年
に入り、再び日本への移住希望者が増え始めている。
  • 1919年:初の農業組合である日伯産業組合が設立
  • 1929年:ブラジル拓植組合設立
  • 1933年 私の母のが家族全員でブラジル移民
  • 1938年:ヴァルガス大統領が移民同化政策を開始
  • 1940年 二人の姉を残して一家皆帰国
  • 1941年:日本人移民受け入れ停止
  • 1942年:日伯国交断絶
  • 1945年:第二次世界大戦においてブラジルが日本宣戦布告
  • 1951年:日伯国交回復
私の母は1933年の小学4年生の時からブラジルに移民
して僅か7年間ですがブラジルで生活していました。
二人の姉はその間に、移民したご近所の日本人と結婚
してブラジルに残りましたが私の母は両親と共に帰国
して日本で第二次大戦を迎え、終戦後、復員してきた
私の父と結婚して私が生まれました。まさにブラジル
移民の帰国子女でした。丁度と小学校中学校高校時代
をブラジルで過ごした母との思い出は沢山ありますが
それについては、また機会がありましたらお話させて
頂きます。

先月の長野県営松本空港のFDA航空金色機体の写真















都合により本日もコメント欄をお休みさせて頂きます



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